2018年03月24日

蔵書の整理をしている。京都のある古書店に、3辺合計が100cmの箱14個分をヤマト便で送り出した。残りの本たちは、東京へ持ち帰る。引越しは早くて五月連休以降。

rshibasaki at 18:48コメント(2)『日記』 

2018年03月22日

定年退職間近の時間帯を過ごしています。このブログのタイトル「研究と教育」のうち「教育」は過去に過ぎ去って行きますが、タイトルはこのまま残します。

rshibasaki at 23:49コメント(0)『日記』 

2018年03月01日

1.下線部に最も良く適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。 (1個4点、計72点)
(1) 「台湾占領の意見書」には、台湾を「今日占領することができなければ、永遠に占領する機会はないに違いない。なぜならば、他の諸強国は今後において手を拱き指をくわえて傍観するはずはないからである。言い換えれば、日本がもし今日において取らなければ、近い将来、諸強国が必ず今後において取るに違いない」という主張がある。これは当時の人々には自明の前提となっていた 国際法の知識がなければ理解できない事柄である。日清両国が戦争状態にある間は、その戦争に参加していない欧米諸国には            の義務が課せられる。欧米諸国間の相互牽制もあり、欧米の一国が台湾を占領することはあり得なかった。しかし、戦争当事国である日清間に             条約が締結・批准され、東アジアが            に戻った後に、欧米のある一国が、外交的圧力や経済的な力を用いて清国に台湾割譲を強要する可能性が想定された。意見書の差出人はそうした事態を危惧していた。
<選択肢> 平時、戦時、交戦国、中立国、講和、休戦

(2) 井上毅が伊藤博文宛に投じた1894年10月11日付の書翰が主張する台湾占領論には、「台湾占領の意見書」には存在しない、ないしは明示されていない論点が二つある。一つは、台湾と           とを対比し、それぞれに関与することの利害得失を考察する視点である。もう一つは、東シナ海周辺の          を掌握する上で台湾が枢要な地位にあるとの把握である。
<選択肢> 朝鮮、遼東半島、制海権、鉄道網

(3) 田中宏巳「東シナ海と対馬・沖縄」には、            の時代の到来とともに、沖縄・台湾の東アジア世界における重要性が増したと解読できる指摘がある。日本における             、米国における             がほぼ同時期に、そして、清国における             がやや遅れてその重要性に気づいたとする。
<選択肢> 大陸横断鉄道、蒸気船、島津斉彬、副島種臣、マシュー・ペリー、リゼンドル、李鴻章、丁汝昌

(4) (3)の田中論文も、              氏が著した論文「台湾経略再考--台湾割譲要求の思想的背景を中心に」も、日清戦争直前の時期の考察を欠いている。一方、本講義で検討した日清戦争中の複数の台湾占領論の内容と、直隷作戦の展開を精査した学術書、               著『日清戦争の軍事戦略』の記述を照らし合わせると、日清戦時下において台湾占領という政策判断が、スムースに政府・軍・民間の識者間に成立し、共有された様子が窺い知れる。この落差を埋めたのが、1891年に結成された次項(5)で指摘するある地域研究団体の月例集会と機関誌によって実現されたコミュニケーションであったとするのが本講義の立場である。
<選択肢> 戒能善春、田中宏巳、斎藤聖二、安岡昭男

(5) 台湾占領についてのコンセンサス成立の前提には、日清戦争前の数年間、             の果たした役割が大きかった。同協会の会員、             は、1892年2月27日、「東洋の大勢上大島と台湾と孰れが優れる」という講演を行なった。台湾と             を併せ用いると、東洋の海上交通線をコントロールすることが可能であると主張していた。機関誌に掲載されたその講演を、同協会の会員である本講義に登場した人物たち、すなわち、伊藤博文、陸奥宗光、松方正義、川上操六、樺山資紀、井上毅、徳富猪一郎らは目にしていて、地図の上に海上交通路を思い描き、船舶を保護したり戦時に拿捕したりするための枢要な地点を把握
するという共通のイメージを得ていたと推測される。
<選択肢> 東京地学協会、東邦協会、志賀重昂、稲垣満次郎、伊豆大島、奄美大島

(6) 地政学とは、国家戦略にとっての地理的条件を考察する理論体系である。そこでは、不変な地理、変化する技術、偏在する資源という三者の相互関係が考察されることになる。国家は必ず国土をもち、そこへ資源を入手し、産物を輸出するための経路を確保せねばならない。これを交通線と呼ぶ。19世紀において陸上交通線として新たに登場したのは             であり、海上交通においては新たに              が登場したことによって、海上交通線のあり方も大きく変化した。            と真水を供給する拠点を航続距離以内に点在させねばならなくなり、航路はそれら拠点を結ぶものとなった。
<選択肢> 大陸横断鉄道、大圏航路、蒸気船、帆船、石炭、石油

2.「台湾占領の意見書」と「威海衛ヲ衝キ台湾ヲ略スヘキ方略」を対比し、それぞれ一方にしか存在しない論点・主張としてはどのような内容があるのかを指摘せよ。また、この二文書にそのような差異が生じた理由を考察せよ。(前半14点、後半14点)






【正解】
1.
(1)中立国、講和、平時
(2)朝鮮、制海権
(3)蒸気船、 島津斉彬、マシュー・ペリー、李鴻章
(4)戒能善春、斎藤聖二
(5)東邦協会、稲垣満次郎、奄美大島
(6)大陸横断鉄道、蒸気船、石炭

2.
両者ともに、冬季のうちに、清国北洋艦隊が立てこもる威海衛を攻撃し、同艦隊を無力化し、さらに、台湾占領作戦を準備し着手すべきであると主張している点では共通していくる。「台湾占領の意見書」は、台湾の重要性を「国防上」「通商上」「植民上」から説き、戦争における「軍略」だけでなく、平和回復後の「商略」からも指摘している。一方、「威海衛ヲ衝キ台湾ヲ略スヘキ方略」は、山海関から天津付近に上陸し、北京を目指して進軍した場合、清国政府が倒れ、講和の相手が居なくなってしまうと同時に、欧米列強による合同干渉を引き起こす危惧を述べている。

「台湾占領の意見書」の発信人、松方正義は大蔵大臣の経験が長く、薩摩藩士時代から財政経済畑の経歴を積み重ねてきた人物である。そのため、日清戦争の終結や戦後経営を考える場合も、財政政策を経済政策上の観点から考えることになったのであろう。一方、伊藤博文首相は、外交の舵取りの最高責任者であり、戦争の終結に至る道筋を描くことを我がこととして考えねばならない立場にあった。そのため、清国の土崩瓦解や合同干渉への危惧を特に強調することになったのであろう。


rshibasaki at 15:36コメント(0)後期「歴史学」「歴史学供---台湾占領の起源 

2017年06月01日

欠席した日のカードを提出してください。

第2回予習カード(4月20日)
第3回予習カード(4月27日)
第4回予習カード(5月11日)
第5回予習カード(5月18日)
第6回予習カード(5月25日)
第7回予習カード(6月1日)
第8回予習カード(6月8日)
第9回予習カード(6月15日)
第10回予習カード(6月22日)
第11回予習カード(6月29日)

拡張子「.docx」を付けて、ワードファイルとして、右クリック→「名前を付けてリンク先を保存」の操作をしてください。

rshibasaki at 19:56コメント(0)「英国外交官の見た幕末維新」日本の伝統と文化 2005-2017 

2017年05月31日

「日本の伝統と文化」受講生へ

日本の伝統と文化「予備調査研究フォーマット」です。拡張子「.docx」を付けて、ワードファイルとして、右クリック→「名前を付けてリンク先を保存」の操作をしてください。

操作がうまく行かない場合には、紙に印刷して講義中に配った書式を、ワードファイルに手入力して使ってください。


rshibasaki at 21:42コメント(0)トラックバック(0)「英国外交官の見た幕末維新」日本の伝統と文化 2005-2017 

2017年01月15日

1890年に米国ボストンで原著が刊行されたアルフレッド・セイヤー・マハン著『海上権力史論』。1896年に東邦協会から刊行された初の日本語訳の翻訳者(の少なくとも一人)が誰であるかを昨日、調査中に知り得ました。高橋作衛が、自分が海軍大学校教授に奉職中に翻訳したと、明治29年の国家学会の大会で語っています。

研究史的には、だれも指摘したことのない経緯かと考えます。

rshibasaki at 05:05コメント(0)<海事・海軍史> 

2016年09月14日

課題「授業内容を、以下の専門的検索サイト(1)〜(4)のうち少なくとも一つを用いて得た情報と対比して検証せよ」



(1) 「国立国会図書館デジタルコンテンツ」を「図書」を指定して検索し、国会図書館がネット公開している図書を閲覧する。「図書」を指定するには検索語入力窓の左端「すべて」をクリックし、一番最初の項目「図書」を指定する。


(2) 明治時代まで遡る新聞記事データベース。朝日新聞「聞蔵」は大阪工業大学学内から同時に1ユーザーのみアクセスできる(工大図書館HPの外部データーベースページから入らないと認証されないので注意すること)。朝日新聞に加えて、読売新聞、毎日新聞は、大阪市立図書館の中央館と、各区にある分館で利用できる。


(3) 国の公文書をさがして閲覧できるサイト。「アジア歴史資料センター」。(同サイト内の特別展「描かれた日清戦争」等の内容を除く。)


(4) 帝国議会の議事録を検索・閲覧できるサイト。「帝国議会会議録検索システム」。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

【参考: (1)〜(4)の少なくとも一つを使った上で、以下のサイトを補助的に用いることがあるかも知れない】


(5) 日本の論文をさがすデータベース「CiNii Articles」。特に、全文検索モードがお奨め。「オープンアクセス」の記事はどこからでも読める。一方、「定額アクセス可能」の記事は、大阪工業大学内からだと無料で読める。

(6) 国会図書館と公立図書館の本をさがす「国会図書館サーチ」。

(7) 大学図書館の本をさがす「CiNii Books」。(6)には出てこない本が見つかることがある。

(8) 辞書と事典の一括検索には「ジャパンナレッジ」(学内からアクセス)。

(9) 国会図書館、公共図書館、大学図書館、専門図書館等におけるレファレンス事例を集積している「レファレンス協同データベース」。



rshibasaki at 16:28コメント(0)トラックバック(0)後期「歴史学」「歴史学供---台湾占領の起源 
20点満点のうち、つぎの4要素に「5点」ずつ分配する。


【関連】 最初の「5点」は、授業内容のどの部分に対して、報告者が提示する情報が関連するのかについて説明されているかに対して付ける。レポート冒頭の最初の段落で、この点について説明する。


【出典】 次の「5点」は、情報の所在について明確に記されているかに対して付ける。情報の明記の仕方のポイントは、「採点者(柴崎)が同じサイトにたどり着けるか否」である。本の場合だと、(著者名)著『(書名)』(出版社名)、(刊行年)年、などを具体的に明記する。


【紹介】 3番目の「5点」は、引用がある場合には引用の形式が整っているか、あるいは、自分の言葉で内容を適切に要約できているかに対して付ける。引用の場合、かぎ括弧で括る、前後に行空けをして区別する、(引用開始)(引用終了)などと書いて区別する、などが出来ているかがポイントである。また、引用だけで、それがどのような内容であるのかを自分の言葉で要約していないものは望ましくない。


【情報の質】 最後の「5点」は、自分がさがし出した情報や、授業内容について、それぞれの情報のもつ確からしさを見極める意識が存在していることに対して付ける。情報のさがし方、提示の仕方、などからこの部分の水準を読み取り評価する。前述した【出典】や【紹介】がきちんとなされていれば、この【情報の質】の評価も高くなる。


rshibasaki at 16:27コメント(0)トラックバック(0)後期「歴史学」「歴史学供---台湾占領の起源 
1. レポートはA4用紙を用い、ワープロソフトで作成すること。手書きは不可。引用資料などは切り貼りして張り付けてあってもいい。

2. 1行目に「歴史学() 第★回検証レポート ★曜★限 ★科★年 (学生番号) (氏  名)」と書く。表紙は付けない。

3. 2行目は空白。3行目にタイトルを書き、4行目から報告する内容を書き始める。  

4. A4で2枚の分量の場合は、1枚の用紙の表裏に印字し、提出すること。

5. A4で3枚以上の場合は、片面印刷とし、左上をホチキスで止めて提出すること。


rshibasaki at 16:24コメント(0)トラックバック(0)後期「歴史学」「歴史学供---台湾占領の起源 

2016年08月27日

【 問 題 】

1.下線部に適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。    (1個4点、計72点)

(1) 本講義で扱ったのは、明治海軍における                      であった。このテーマの所在に気づいたきっかけは、山口県における                の支部形成を調査する中で、現役を退いた海軍将校たちが、海事に関わる諸団体のために立ち働く姿に出会ったことであった。肝付兼行は、沖縄県への講演旅行の帰途、山口県に立ち寄り、上述の団体の理事として、難破した船舶の船員・乗客を救助するボランティア組織の充実の意義を説いていた。また、日露戦争開戦前、          富士の艦長として関門海峡の試験航行を成功させた井上敏夫は、海軍少将となり予備役に編入された日露戦争後、             の理事となり、海員宿泊所建設のため訪れた三重県四日市市の人々から、               に立候補することを求められた。
<選択肢> 戦闘組織としての充実、 社会的支持基盤の形成、 帝国水難救済会、 帝国海事協会、日本海員掖済会、 大日本教育会、 仮装巡洋艦、 戦艦、 駆逐艦、 四日市市長、三重県知事、 衆議院議員

(2) 肝付兼行と井上敏夫を『明治の読売新聞 CD-ROM 』でデーターベース検索すると、肝付は(1) で言及した団体の理事以外に、1899年に創立された      の理事となっており、井上敏夫は(1) で言及した団体の理事となる前に、この1899年創立の団体が提唱した     建設募金のための遊説に参加していた。肝付兼行は、1890年11月から1891年3月の第一回帝国議会が開催されていた当時、海軍の広報担当とでもいうべき役目を負っていた。当時、                の職にあった有地品之允は、艦隊建設予算に議会の賛成を得るための方策について、海軍内部にアイディアを募集していた。また、海軍将校の親睦団体の機関誌『              』を通覧していると、寺島成信が、1894年8月号に掲載した 「海運ノ振興ト巡航商船の制」のなかで、『兵商論』および「兵商論」の著者は自分であると述べていることを発見した。同論考は、まず、1891年7月に私家版の小冊子として印刷に付され、続いて、翌8月には徳富蘇峰が経営する民友社が発行する雑誌『               』に、匿名の著者              の特別寄書(寄稿)として転載されていた。ここに、肝付兼行、有地品之允とともに、第一回帝国議会当時、海軍の世論対策に携わった人物として寺島の存在を知ることが出来た。
<選択肢> 帝国水難救済会、 帝国海事協会、 日本海員掖済会、 大日本教育会、 大日本武徳殿、帝国義勇艦隊、 海軍大臣、 海軍参謀部長、 水交社記事、 国民之友、 日本国防論、Q. S. T. 、 波涛生

(3) この海軍と民間の海洋活動の接触面について、明治時代の海軍軍人が共通に用いた説明のことば、あるいは、スローガンとでも言うべきものが、「               」である。この問題に関する先行研究としては、平間洋一「「陸奥海王国」の建設と海軍--- 大湊興業を軸として」(政治経済史学370、1997年)が存在する。平間は、明治期の日本海軍が米国海軍の理論家、アルフレッド・セイヤー・マハンのシーパワー論を日本語に移植し、                に対する広報・宣伝のために用いたことを先駆的に指摘している。
<選択肢> 兵商論、 海権論、 一般国民、 議員や記者


(4) 寺島成信が『兵商論』ないし「兵商論」で提唱した「軍用商船の制」は、日清戦争終結の翌年、1896年4月に公布された航海奨励法・造船奨励法として公布された。この時点では、義勇艦隊という組織を所有する国は、世界中で             一か国であった。航海奨励法・造船奨励法により建造と平時における維持が可能と なった高速商船は、日露戦争に際して徴用され、仮装巡洋艦や輸送船として用いられた。寺島成信は、1923年刊『帝国海運政策論』でこの経緯を回顧し、            に評価した。この時、徴用された「大型高速 (六千噸級、十三節以上)の汽船十数隻」のうちには、陸軍兵士を載せ戦地に向かう途次、           において露国ウラジオストク巡洋艦戦隊に遭遇し、撃沈された日本郵船の所有船・常陸丸、井上敏夫が艦長として1904年12月から翌年1月にかけてシンガポールを含む東南アジア方面へ派遣された             、1905年5月、対馬海峡に接近するバルチック艦隊発見の打電をした               、などが あった。
<選択肢> イギリス、 ドイツ、 ロシア、 否定的、 肯定的、 津軽海峡、 対馬海峡、香港丸、 信濃丸、 佐渡丸、 さかき丸

2.有地品之允「海防意見書」と、寺島成信『兵商論』の海軍整備論を対比せよ。また、その差は何によって生じたと考えられるか。                           (前半14点、後半14点、計28点)




【 正 解 】

1.
(1) 社会的支持基盤の形成、帝国水難救済会、戦艦、日本海員掖済会、衆議院議員

(2) 帝国海事協会、帝国義勇艦隊、海軍参謀部長、水交社記事、国民之友、Q.S.T.

(3) 海権論、、一般国民

(4) ロシア、肯定的、対馬海峡、香港丸、信濃丸

2.
両者ともに共通するのは、海軍整備の中核に戦艦6隻の建造を置くことである。その財源として、第一回帝国議会において明治24年度予算から削減された一年度当り約650万円の使途の定まっていない政府予算を想定することも共通している。

異なっている点は、有地「海防意見書」では、第一年度から第六年度の各年度において、650万円で戦艦1隻を建造し、六か年で6隻の戦艦を揃えるというシンプルな提案であるのに対して、寺島『兵商論』では、最初の三年度においては、650万円の半額を「兵商費」として別に用い、その分だけ戦艦6隻の完成は後にずれ込み、7年度半かかることになっている点である。

「兵商費」の使途は、300万円×3か年=900万円を「巡航商船」の建造に宛て、残りの25万円×3か年=75万円を海兵団と商船学校の充実に宛てる提案となっている。


内容の差が生じた理由としては、(1) 書かれた時期とその順序、(2) 執筆者の立場と読者の違い、を考慮する必要がある。

まず、有地「海防意見書」は明治24年4月、寺島『兵商論』は同年7月である。まず基本的な事項を記した文書が書かれ、つぎに、より複雑な考慮を含んだ文書が書かれたという説明が可能である。

つぎに、有地は海軍参謀部長であり、明治天皇と海軍大臣の命を受け、海軍整備の中核的な事項について政府・軍内部に対して提案し、コンセンサスを得ることがその目的であった。一方、寺島は海軍編修書記であり、広報用のパンフレット執筆を通じて、帝国議会議員、雑誌・新聞記者、そして、一般国民に語りかけ、海軍整備予算を支持する世論を作り上げることが目的であった。

それゆえ寺島は、海軍の存在は貿易立国の実現に不可欠であることの指摘を『兵商論』の冒頭に置き、末尾では、それに対応するように、海軍整備と貿易立国の両者に同時に役立つ、仮装巡洋艦として使用可能な高速商船の建造と、海軍兵と船員の養成に650万円の一部を宛てる提案を行なったのである。






rshibasaki at 18:46コメント(0)前期「歴史学」「歴史学機---明治日本の海権論と広義の海軍 
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