2011年11月14日

事典という名から、もっと項目数の多い大部な書籍を想像していた。15,750円という価格からも当然と思われる。

この本は、数を絞った項目を、小論文形式で著述し、排列している。「交通線」ないし「海上交通線」という項目を期待したが、それはなく、他の項目のなかに自分の探す情報が実質的に含まれていないかを通覧せねばならない。

そういう意味で、全文を通読することを読者に要求する著作物であった。








rshibasaki at 21:35コメント(0)トラックバック(0)『日記』<世界交通線> 

2011年11月08日

国家将来像と陸海軍備をめぐる海軍と徳富蘇峰
(Rivalry between TOKUTOMI Soho and Imperial Japanese Navy on Ground Strategy of Military Buildup)
大阪工業大学紀要 人文社会篇56巻1号



rshibasaki at 21:47コメント(0)トラックバック(0)<徳富蘇峰>「国家将来像をめぐる海軍と徳富蘇峰」工・歴史学2009-2010 

2011年03月08日

紀要につぎの研究ノートを掲載した。

海軍の広報を担当した肝付兼行」(PDFファイル)

rshibasaki at 21:30コメント(0)トラックバック(0)『日記』<海事・海軍史> 

2010年11月11日

紀要に研究ノートを2つ掲載した。図書館の紀要情報のページからたどるか、直接クリックして開いてください。

海軍少将から代議士に転じた井上敏夫」(PDFファイル)
仮装巡洋艦を提唱した寺島成信」(PDFファイル)


rshibasaki at 17:49コメント(0)トラックバック(0)『日記』<海事・海軍史> 

2010年09月06日

2010年9月5日夕、煙霧が明石海峡から神戸へ勤務先8階から望遠で撮影。夕刻になると、明石海峡から神戸市内へ海風が吹き込むのは以前からのことであるが、この夏は、写真の通りにそれが、細かい塵を浮遊させたエアロゾルとなっている。見ていてぞっとする光景である。1710分〜1720分頃がそのタイミング。
今日も同じような光景が目視できた。写真は昨日で神戸市内全域に広まった後の時刻。

rshibasaki at 17:28コメント(0)トラックバック(0)周辺の風景『日記』 

2010年09月01日

2010年9月1日の日没後2010年9月1日の日没後(拡大)

菅原城北大橋(百円橋)、その向こう側に、赤川鉄橋(城東貨物線淀川橋梁)が見える。

rshibasaki at 18:32コメント(0)トラックバック(0)周辺の風景『日記』 

2010年08月16日

 歴史学機 ー萄蝓  。嫁次〜   木曜・2/3時限    参照許可物等なし
1.下線部に適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。    (1個4点、計100点)

(1) 地球表面の自然地理は、その時代に利用可能な交通・通信技術によって、その時代の舞台設定となった。1891年に、日本海の対岸にある港湾都市、             を起点とする             鉄道の建設が始まり、太平洋と大西洋を結ぶ             運河建設計画が日本の新聞紙面で話題となった。          著『実業論』には、この年に『時事新報』に掲載された後者の建設計画についての社説が引用されている。
<選択肢> 釜山、大連、ウラジオストク、サンフランシスコ、北米大陸横断、シベリア
スエズ、ニカラグア、福沢諭吉、佐藤鉄太郎

(2) 肝付は、ウラジオストクから伸びる航路を三つ想定し、それぞれの航路に対応した商港の候補地を挙げる。日本海と東シナ海を結ぶ         海峡を経由し上海にいたる航路に面した北九州の港として仮屋、日本本土の中心部に対応した港として日本海沿岸の                     海峡を経由しアメリカ大陸西海岸にいたる航路に面した港として           を適地とする。最後の北米方面航路に対応し適地とされた港湾候補地のある青森県で出版された本が『                     』である。その巻末には、稲垣満次郎の論説とともに、肝付の「西比利亜鉄道に対する日本の開港場を論す」が抄録されている。
<選択肢> 対馬、津軽、下関、敦賀、大湊、室蘭、陸奥湾之将来、「陸奥海王国」の建設と海軍

(3) 基調講演「海洋国家日本の戦略----福沢諭吉から吉田茂まで」で、                氏は、「明治中期における海軍拡張論は、貿易国家論と強く結びついていた。それはまた、日英米協調論とも結びついていた」と指摘する。これは、談話記事「二十世紀の軍事(肝付兼行氏談)」末尾で、肝付が、「余は最後に明言す。二十世紀に於て我が帝国は如何なる事情あるもアングロサクソン人種を敵とすべきに非ず。何となれば其長所を同じくするものを敵とするは国の利益にあらざればなり」と語ったのに符合する。また、前述の『実業論』も、自由貿易による経済発展を基調とした同じ方向性をもつ議論であった。そもそも、今回の講義で扱った明治期にあっては、海洋は、             という新たな技術によって従来に比して高度に利用可能となったフロンティアであり、現在、地球周辺の宇宙空間が占めているのと類似した意味づけをもつ空間であった。
<選択肢> 北岡伸一、平間洋一、帆船、蒸気船

(4) フロンティアにつぎの世代を呼び込むこと、子どもや青年にその重要性を理解させることは、どの時代にあっても欠かすことのできない活動であった。肝付の時代は、20世紀になってから始まる          メディアがまだない時代である。肝付は、               の役員を務め、その組織を通じて、義務教育の小学校の教育内容へ影響を与えようとし、また、全国を行脚し           活動を行った。どちらの場合も、海軍や海洋についての理解、すなわち、             を、子どもの世代を含む国民に広めることを意図したものであった。
<選択肢> 放送、印刷、大日本教育会、東京数学会社、講演、執筆、海事思想、開明思想

(5) 米国海軍のアルフレッド・セイヤー・マハンが            年に刊行した『海上権力史論』は、その年か翌年には日本海軍関係者の注目するところとなったと推測できる。その刊行年、日本では第一回総選挙が行われ、最初の国会である第一回帝国議会が召集された。これ以後、建艦計画を含む海軍の         は、帝国議会の事前承認が必要となる。海軍は、議員や議員の背後にいる国民に、海軍力整備に対する支持を取り付ける必要に迫られることになった。
<選択肢> 1890、1911、予算、決算

(6) 肝付がマハンの主張について、公開の場で最初に語ったのは、           戦争中の国民新聞に連載された「海上の権力 (肝付海軍大佐の意見)」においてであった。これは、「二十世紀の軍事(肝付兼行氏談)」と同様に、マハン『海上権力史論』緒論で詳述された一国の海洋支配力、すなわち、               を構成する6つの要素についてコメントを加える形式で語られていた。その6要素とは、国土の位置、国土の形、国土の広さ、人口、国民の品性、政治体制である。当該談話記事では、このうち             について論し、海に関わる職業人をどのように養成するのかを語っている。マハンの論が伝わる以前、1886年に肝付が行った講演「本邦沿海ノ大勢ヲ知ラシムルノ教科ヲ小学校ニ設クルノ必要ヲ論シ併せて該書編輯ノ意見ヲ述ブ」においてかつて論じたことのある海軍軍人・商船員の養成に関する主張が、マハンという           思想との出会いを通じて具体的かつ詳細に提示されるようになった姿を見ることができる。
<選択肢> 日清、日露、ネイバルパワー、シーパワー、国土の形、人口、外来、在来

(7) 今回の講義を組み立てるに際し直接に影響を受けたのは、1997年に発表された平間洋一氏の論文であった。明治期の日本では、マハンの主張を「海上権力論」と訳し、それを短縮して「            」と呼んだ。単に海軍力だけでなく、海外貿易や移民の手段となる           、港や造船所などを含め、一国の海洋支配力の全体を発展させる必要が説かれた。先に(1) で言及したように、中米の運河開削と、東アジアとヨーロッパを結ぶ大陸横断鉄道の建設が背景の事情となっていたことは、既にこの論文が指摘していた。
<選択肢> 海権論、制海権、商船隊、漁船隊

(8) 肝付兼行は、海軍の           担当者とでも言うべき役割を果たした。             の業務として日本沿岸各地域の実地測量を行った。その経歴が、結果として、軍港の適地の選定のみならず、商港の適地選定の権威者としての社会的立場を形作った。
<選択肢> 広報、諜報、水路部、陸地測量部















【正解】
(1) ウラジオストク、シベリア、ニカラグア、福沢諭吉
(2) 対馬、敦賀、津軽、大湊、陸奥湾之将来
(3) 北岡伸一、蒸気船
(4) 放送、大日本教育会、公園、海事思想
(5) 1890、予算
(6) 日清、シーパワー、人口、外来
(7) 海権論、商船隊
(8) 広報、水路部



rshibasaki at 19:38コメント(0)トラックバック(1)「肝付兼行とその時代」工・歴史学2009-2011 

2010年08月15日

歴史学  柴崎  3年次〜  水曜・2時限  参照許可物等なし
1.つぎの各文章のうち、(1)〜(10)は講義シラバス「授業の内容・教育方法」欄の文章、(11)は今回起草した文章である。下線部に適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。  (1個4点、計100点)
(1) 第1回「導入」。
「地理的条件、地理的条件の意味を変化させる            の発達、その結果生じる時代の境界、各分野の時期区分の相互関係、別段階での類似事例の対比を発展の形として見る、など、講義を骨格となる基本発想を説明する」。
<選択肢> 技術、芸術

(2) 第2回・第3回「西ヨーロッパへの最短経路の変遷」。
「近代日本の空間的前提条件の確認。1869年の              鉄道と            運河の開通、1902年の           鉄道の開通による変化。20世紀後半の航空交通の時代において           機の登場が大圏航路を可能としたのと対比し、地表交通の時代における大陸横断鉄道の登場による交通路の変化を考える」。
<選択肢> 北米横断、シベリア、スエズ、パナマ、プロペラ、ジェット

(3) 第4回・第5回「初期の洋行と人材育成」。
「限られた時間・資金・人材を用いて近代化を始動させる際の知恵。 海外渡航許可以前の渡航者と明治国家、伊藤博文の場合。日本が採用したのは、正則教育・   A   教育・義務教育の三段構え。人材育成・国民統合における           化された地域との違い。技術導入における   B   に対比できる、人材育成における   A   教育という方法」。
<回答欄>   A →                   B →                
<選択肢> 一般人、幕臣、植民地、砂漠、不正規、変則、先端技術、伝統技術、中間技術

(4) 第6回「文部省唱歌「  C  」から「冬の夜」へ」。
「1881年の『小学唱歌集(初)』に掲載の「  C  」と、1912年の『尋常小学唱歌(三)』に初出の「冬の夜」の歌詞を対比させ、           の間に生じた国家への献身の質的な差を考える」。
<回答欄>   C →              
<選択肢> 一世代、二世代、螢の光、元寇

(5) 第7回・第8回「  D  著『民情一新』第3章を読む」。「1879年の  D  の著作から、   E   について考える」。
<回答欄>   D →                  E →                
<選択肢> 福沢諭吉、徳冨蘆花、国民国家形成、条約改正実現

(6) 第9回「   F   に見る産業競争と地域・国家・世界」。
「産業情報交換の場としての19世紀の   F   。万国   F   ・内国勧業   F   ・地方   F   の同時的進展を、地域社会から     E    への参加チャンネルとして捉える。   B   という手法」。

<回答欄>   F →              
<選択肢> 博覧会、共進会、商品見本市

(7) 第10回・第11回「交通体系の変容と地域  近世から近代へ、   G  から   H  へ」。
「交通体系の変転を時期区分するとき、近世の街道と   G  の体系と、近代の   H  中心の体系の間に、馬車・人力車と            の時代があった。   H  の時代は明治から大正にかけて、中央から地方へと波及する。             を事例として、鉄道・築港をめぐる地域間競争を例示し、明治・大正の「対岸貿易」と現在の「環日本海経済圏」を対比させる」。
<回答欄>   G →                   H →               
<選択肢> 陸運、水運、鉄道、自動車、帆船、蒸気船、福井、秋田

(8) 第12回「国際秩序の変遷と   I   」。
「巨視的には「国際環境→    I   」という変化の連鎖が複数回繰り返された。             後の現在を過去150年のなかで捉え直し、現在我々が越えようとしている転換期を考える」。
<回答欄>   I →              
<選択肢> 国際政治、国内政治、東西冷戦、第二次世界大戦

(9) 第13回「明治維新から帝国議会にいたる道のり」。
「軍事的・財政的に自立した幕府・            ・諸外国から構成される幕末政局から、廃藩置県、地方民会、国会開設を経て現在のような個人を最少単位とする「政界」が生み出されたプロセス」。
<選択肢> 諸藩、府県

(10) 第14回「身分秩序の長期的変遷と参政権の拡大」。
「「近世→(明治維新)→近代→(戦後改革)→現代」と時代を経るに従い、平準化と           の拡張が長期的に進展し、         と国民の二大身分に単純化されるまでを鳥瞰する」。
<選択肢> 政治参加、納税の義務、皇族、華族、士族

(11) 江戸時代以来の             と、西洋の近代的な技術が普及した段階の間には、後者の要素を取り入れつつ前者を改良し従来とは質的に異なる生産性をもつ技術が普及した段階があった。第二次世界大戦後の開発援助の経験のなかからこうした技術の発展段階や、その段階にある技術を   B   と呼ぶようになった。綿紡績における             がその実例である。手回しや水車の力でで十数本の糸を同時に紡ぐことができる木製の簡易製糸機械であった。また、輸入した金属製ジャガード織機を、木製フレームで模造した京都西陣の職人の努力も、この   B   段階の一例と言えるだろう。
<選択肢> 伝統技術、中間技術、先端技術、ガラ紡、バッタンの一例と言えるだろう。


rshibasaki at 20:46コメント(2)トラックバック(0)知・歴史学「日本近代の舞台設定」 2004-2013終了 

2010年08月11日

昨日の読売新聞朝刊に、高野静子著『蘇峰への手紙』藤原書店の新刊広告が載っていた。ジュンク堂に行き確かめると、史料集としての翻刻ではなく、副題「中江兆民から松岡洋右まで」にあるように、蘇峰宛書翰についての評論集。肝付兼行からの書翰7通について言及があるわけではない。






rshibasaki at 19:53コメント(0)トラックバック(0)<徳富蘇峰> 

2010年07月05日

兵商論

自序
我が国百年の大計(長期戦略)は兵商併進の方策に外ならない。これは私が長年確信する所の方策である。そもそも日本の国是(コクゼ、国家方針)は商業に在る。立国上我が国民の採るべき方針は全力を海外に伸ばすことにあるだけである。そして平時に於ける文明海軍の任務は商業の保護を主とする。されば(そうであるならば)商業と海軍の密接な関係により平和的軍備を振興することは、どうして国家の急務であると言わないで居られようか。然るに世上を顧みれば、一般に海軍任務の真相を察せず、たまたま国防を説く者がいても、多くは立論が偏っており、国防と国益の関係を考えないようである。私のこの状況に対する感慨の思いは、終にこの一篇を出現させるに至ったのである。非才浅文であるので、あるいは説明の周到さを欠き、あるいは引証の豊富でないおそれを免れないけれども、もしこの論考によって少しずつ世人の海事思想を啓蒙し、我が天賦の国柄を発揚することになり得るのならば、私の幸いと感じるところである。
  明治24年6月                  編者識(ヘンジャシルス)

  目次
第1章 緒言
第2章 列国海軍の形勢
第3章 商業立国の主義
第4章 兵商の関係
第5章 軍用商船の製造
第6章 海軍予備員の養成
第7章 結論

第一章  緒言
国を開いて列国交渉の間に立った以上は、立国の大計を成就することに全力を注がないわけには行かない。立国の大計とは何であるか。国家のそれによって重視されることになる軍備を整頓し、国民が頼って利益に浴すべき事業を発達させることがそれである。
人は「兵は凶事であり、軍備は不生産的である」と言う。これは海軍と陸軍の任務の差別を知らない者の発言である。そもそも文明海軍任務のある所を熟知していれば、容易にこのような説の間違いであることを説明できよう。そもそも海軍の任務は、戦時において攻撃また防禦上の主働者であるに止まらず、平時に於ても、商業や漁撈を保護し、商業民や移住民を守るなど、まったく国益の増進をたすけることにあるから、むしろ平和の保証者であって、間接には国家の生産を助長するものである。すなわち、つぎのことが判る。各国が海軍を整備する理由・目的は、単に非常の時に準備する消極作用に限らず、また進んで平和の時に利益を図る積極作用に由るものであることを。アメリカ合衆国海軍長官は、「平和の最良な保証は国家の必要に応ずべき正常な海軍費を支出するにあり」と語っている。
陸軍にはいわゆる平時の任務というものはない。もしあるとすればただ屯田兵を置くことだけである。これが海軍と陸軍が性質を異にする要点であって、海軍任務の関係がはるかに陸軍の右にでる所以である。然るに世人は海軍を陸軍と同視し、戦時だけの任務を見て粗忽にもこのような断定を下すのはそもそも間違いの甚だしいものではないだろうか。またつぎのことを怪しむ。日本の国防を論ずる者、しかも軍事には玄人である人々が、「我が国は陸軍を主眼とすべきだ」あるいは「陸海軍のバランスが大切だ」などと唱える者が少なくないことを。しかしながら、これにはその理由がないわけではない。ヨーロッパ大陸の諸国が陸軍重視の傾向がないわけでないのは、各国の地勢の関係上止むを得ないことに原因していることが多いのだけれども、また世界史に光彩を放つ所の戦争は、古代から陸上の戦いが多くて、近代のワーテルローの戦い(1815年、ナポレオン仏軍敗北)、サドアの戦い(=ケーニッヒグレーツの戦い、晋奥戦争、1866年)、セダンの戦い(1870年、晋仏戦争)などのように最も人の語る所となり、固く印象に残り、先入主となるため、ついに陸軍思想を偏長するに至ったものである。そして日本では、古代以来鎖国主義を貫徹してきたので、海戦と称すべきものが絶えてなく、歴史上全く著名な陸戦に充ちているのであるから、陸軍過長説が出ることはまた止むを得ないことである。しかしながら、すでに世界の日本となり、同時に、欧州諸国とは大いに地勢を異にしているだけでなく、世界軍備の趨勢も最早変更を加えることを理解した以上は、我が国防に対して海軍と陸軍の軽重を判定することは決して難しいことではない。私は多言を重ねて陸軍主張者を弁駁することを必要としない。ただ彼らに向って海軍と陸軍の任務の差別を察して、つぎに四囲の境遇に鑑み、自国の特質を考えれば、自然と釈然と理解するところがあるだろうと告げるだけである。
国防問題は国民共有の問題である。そもそも日本人民は日本の防衛に付き論じ究める所がなくていいのであろうか。昨年来、帝国議会の開設に連れて海陸軍備を論ずる者は頻々として数が多いけれども、概ね皆純然たる戦時の消極任務に拠って立論し、更に平時の利益者として国益の助長策を画する者があるのを見ない。私は深く感慨ないわけには行かない。ここに文明海軍の任務を基として兵商論を草し、我が立国上最も経済的にして最も効力を奏すべき方策を論究しようとする。

第2章 列国海軍の形勢(略)
第3章 商業立国の主義(略)
第4章 兵商の関係(略)
第5章 軍用商船の製造(略)
第6章 海軍予備員の養成(略)

第7章 結論
以上六章を用いて、列国海軍の現勢を参照し、商業立国の主義に基づき、我が海軍を拡張し外国貿易を振起することの急務であることを証明し、更に、海軍と商業の密接な関係を論じ、この関係を利用し国家の大計を実行する最良手段は軍用商船の制度を定め、海軍予備員の組織を立てることにあることを述べた。論者はあるいは我が国は未だ正則(正規)の海軍の整備を告げないうちに半兵半商の変則海軍を設備しようとするのは本末を知らぬものであると論駁するかれ知れないが、このようなことは我が国が立つ所の位置を省みないだけでなく、文明海軍の任務に疎く、単に昔の軍備思想に支配された者の論である。固より国防に必要な程度までは純然たる軍艦を新製し、正則の海軍将校、兵員を増加すべきであることは、だれかこれを是認しない者があろうか。しかしながら、国家経綸の策を立てるには主として経済と効力の二点に注意し、相平衡を得る(バランスをとる)方法を忘れるべきでない。一方において日本の財力は未だにわかに右の必要を充たすことを許さないとともに、一方においては、外国貿易は恰も誘掖(ユウエキ、さそいたすける)奨励を待ちつつある現状を理解すれば、一石二鳥の策として、特に補助的な海軍を創設し、国権を張り、併せて国益を進める方法を採ることは、もっとも須要な次第ではないだろうか。
いまや論旨を結ぼうとするに臨み、その費用の支出の点について少し鄙見(私の意見)を述べることとする。
初期の国会は大胆にも政府支出650万円の節減を可決した。この節減額を如何なる用途に供すべきかは、目下朝野の間に喧しい問題である。思うに、代議士諸氏の意見は多くは地租を軽減して民力休養を図ることにあることは、殆ど明白であるけれども、或いは治水工事に用いるべしといい、或いは輸出税全廃を補うべしといい、或いは国債償還に、或いは監獄費支弁にと、異説紛々たるありさまであるようである。これらの所説中、その実行を急ぐ必要があるものがあるけれども、私は断然これを兵商費に使用することの至当であることを信ずるものである。地租軽減は果たして民力休養の目的を果すことができるか。治水工事は必ずしも今急速に完成しないわけには行かない事業であるのか。輸出税の全廃すべきは論ないものの他に一層の急務ある場合においてもなお猶予しないわけには行かないものか。翻って思慮を外国との関係に注げば、我々が実に憤然としない訳には行かないものがある。一独立国として万国と交渉するにもかかわらず、海軍は国防必要の程度に達せず、たとえ今日まで平和の破裂する場面に遇わなかったとしても、そのために、国家の権利を曲げ、利益を損じたことがどれほどあろうか。商船は数少なく、航海業は開けず、東洋の商権は皆遠く外人の手の内に占められているのではないか。今や日本の国内政治は秩序的に進歩しつつある。必ずしもこれに向って主に配慮することを必要としない。然るに、外国に対する関係はこれと絶対の反対に、微々寥々(リョウリョウ、さみしい様子)不振の境界に彷徨する姿を見るだけである。我が国民は封建鎖国の遺伝によるものか、一般に対外の観念に乏しく、身は経世の任に当たる人にしても、甚だこれに冷淡な憾がある。このような状態のまま、悠々経過すれば名声煥発して開国の実を挙げることは、これを何れの日に求むことができようか。
故にこの650余万円を以て、兵商併進の策に着手し、歩一歩、対外上に勢力を博する方法を探ることは今日にあって最もその当を得たものと信ずる。いま製造補助金の制度を立てるも巡航船たるべき新式汽船数隻を新たに製造するのは国内の汽船会社の堪えることのできない所と看做し、政府から製造の上、これを貸し渡すこととして、仮にその金額を折半して、半分を半兵半商の組織設立に用い、半分を純粋の軍艦新製に使用することとすれば、巡航船たるべき新式汽船は4、5千トンのものであって、その価格は60、70万円にすぎないので、折半額325万円のうち、300余万円を2〜3年間これに支出すれば、10隻ないし14〜5隻を製造することを得るだろう。その余額を以てこれを予備海員養成に充てれば、商船学校の拡張と海兵団の増設を計るのに余裕があるだろう。また軍艦に付いては、艦隊の本幹となり攻守の主働者たるべき1万トン以上の主戦艦5〜6隻を備えれば、我が国の海防は必要の程度に達するであろう。そして一艘の価格を6〜7百万円の間と定め、今後3年間は折半額を支出するとしても、その後は全額を支出すべきために、7年半の後には6艘の主戦艦は雄然国防の退任に当たることができよう。このようにして、我が海軍の基礎が定まり、また東洋の商権を掌中に握ることができ、酷寒と国益とを相併せて伸張し、始めて日東帝国の面目を発揚することができるのである。

[註] 原文は、国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」にて閲覧できる。編者は、予備役海軍少佐伴正利(水路部OB)であるが、明記されていない著者は寺島成信である。


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