2011年11月20日

書評
前田亮介
「三谷太一郎著『ウォール・ストリートと極東--政治における国際金融資本』」
史学雑誌120-9、2011年9月

三谷太一郎著『ウォール・ストリートと極東--政治における国際金融資本』
東京大学出版会、2009年12月

三谷太一郎著を通読し始めた。勝海舟について捉えている21〜22ページに、思わず身震いする。明治に入ってから、海軍と海事、貿易立国について勝がどのような言説を行なっているのかを確認する必要がある。

あと、添田寿一も『軍備論集』に、雑誌『富国』1号(1890年1月1日)掲載「帝国海軍振起論」が収録されている。添田も、系統的に追跡する必要がありそうだ。







rshibasaki at 20:18コメント(0)トラックバック(0)<海事・海軍史><世界交通線> 

2011年11月16日

昨日、CiNiiの論文データベースの全文検索が公開された。早速「ニカラグア 運河」で検索すると、つぎの論考の存在を知ることができた。

金澤宏明「中米地峡運河とハワイ---アメリカ海外膨脹のレトリックと実態
太平洋学会誌98号、2009年3月


ニカラグア運河(未着工)とパナマ運河(1914年竣工)の総称が「中米地峡運河」と表現可能なことを知った。

rshibasaki at 12:12コメント(0)トラックバック(0)<世界交通線>『日記』 

2011年11月14日

事典という名から、もっと項目数の多い大部な書籍を想像していた。15,750円という価格からも当然と思われる。

この本は、数を絞った項目を、小論文形式で著述し、排列している。「交通線」ないし「海上交通線」という項目を期待したが、それはなく、他の項目のなかに自分の探す情報が実質的に含まれていないかを通覧せねばならない。

そういう意味で、全文を通読することを読者に要求する著作物であった。








rshibasaki at 21:35コメント(0)トラックバック(0)『日記』<世界交通線> 

2011年11月08日

国家将来像と陸海軍備をめぐる海軍と徳富蘇峰
(Rivalry between TOKUTOMI Soho and Imperial Japanese Navy on Ground Strategy of Military Buildup)
大阪工業大学紀要 人文社会篇56巻1号



rshibasaki at 21:47コメント(0)トラックバック(0)<徳富蘇峰>「国家将来像をめぐる海軍と徳富蘇峰」工・歴史学2009-2010 

2011年03月08日

紀要につぎの研究ノートを掲載した。

海軍の広報を担当した肝付兼行」(PDFファイル)

rshibasaki at 21:30コメント(0)トラックバック(0)『日記』<海事・海軍史> 

2010年11月11日

紀要に研究ノートを2つ掲載した。図書館の紀要情報のページからたどるか、直接クリックして開いてください。

海軍少将から代議士に転じた井上敏夫」(PDFファイル)
仮装巡洋艦を提唱した寺島成信」(PDFファイル)


rshibasaki at 17:49コメント(0)トラックバック(0)『日記』<海事・海軍史> 

2010年09月06日

2010年9月5日夕、煙霧が明石海峡から神戸へ勤務先8階から望遠で撮影。夕刻になると、明石海峡から神戸市内へ海風が吹き込むのは以前からのことであるが、この夏は、写真の通りにそれが、細かい塵を浮遊させたエアロゾルとなっている。見ていてぞっとする光景である。1710分〜1720分頃がそのタイミング。
今日も同じような光景が目視できた。写真は昨日で神戸市内全域に広まった後の時刻。

rshibasaki at 17:28コメント(0)トラックバック(0)周辺の風景『日記』 

2010年09月01日

2010年9月1日の日没後2010年9月1日の日没後(拡大)

菅原城北大橋(百円橋)、その向こう側に、赤川鉄橋(城東貨物線淀川橋梁)が見える。

rshibasaki at 18:32コメント(0)トラックバック(0)周辺の風景『日記』 

2010年08月16日

 歴史学機 ー萄蝓  。嫁次〜   木曜・2/3時限    参照許可物等なし
1.下線部に適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。    (1個4点、計100点)

(1) 地球表面の自然地理は、その時代に利用可能な交通・通信技術によって、その時代の舞台設定となった。1891年に、日本海の対岸にある港湾都市、             を起点とする             鉄道の建設が始まり、太平洋と大西洋を結ぶ             運河建設計画が日本の新聞紙面で話題となった。          著『実業論』には、この年に『時事新報』に掲載された後者の建設計画についての社説が引用されている。
<選択肢> 釜山、大連、ウラジオストク、サンフランシスコ、北米大陸横断、シベリア
スエズ、ニカラグア、福沢諭吉、佐藤鉄太郎

(2) 肝付は、ウラジオストクから伸びる航路を三つ想定し、それぞれの航路に対応した商港の候補地を挙げる。日本海と東シナ海を結ぶ         海峡を経由し上海にいたる航路に面した北九州の港として仮屋、日本本土の中心部に対応した港として日本海沿岸の                     海峡を経由しアメリカ大陸西海岸にいたる航路に面した港として           を適地とする。最後の北米方面航路に対応し適地とされた港湾候補地のある青森県で出版された本が『                     』である。その巻末には、稲垣満次郎の論説とともに、肝付の「西比利亜鉄道に対する日本の開港場を論す」が抄録されている。
<選択肢> 対馬、津軽、下関、敦賀、大湊、室蘭、陸奥湾之将来、「陸奥海王国」の建設と海軍

(3) 基調講演「海洋国家日本の戦略----福沢諭吉から吉田茂まで」で、                氏は、「明治中期における海軍拡張論は、貿易国家論と強く結びついていた。それはまた、日英米協調論とも結びついていた」と指摘する。これは、談話記事「二十世紀の軍事(肝付兼行氏談)」末尾で、肝付が、「余は最後に明言す。二十世紀に於て我が帝国は如何なる事情あるもアングロサクソン人種を敵とすべきに非ず。何となれば其長所を同じくするものを敵とするは国の利益にあらざればなり」と語ったのに符合する。また、前述の『実業論』も、自由貿易による経済発展を基調とした同じ方向性をもつ議論であった。そもそも、今回の講義で扱った明治期にあっては、海洋は、             という新たな技術によって従来に比して高度に利用可能となったフロンティアであり、現在、地球周辺の宇宙空間が占めているのと類似した意味づけをもつ空間であった。
<選択肢> 北岡伸一、平間洋一、帆船、蒸気船

(4) フロンティアにつぎの世代を呼び込むこと、子どもや青年にその重要性を理解させることは、どの時代にあっても欠かすことのできない活動であった。肝付の時代は、20世紀になってから始まる          メディアがまだない時代である。肝付は、               の役員を務め、その組織を通じて、義務教育の小学校の教育内容へ影響を与えようとし、また、全国を行脚し           活動を行った。どちらの場合も、海軍や海洋についての理解、すなわち、             を、子どもの世代を含む国民に広めることを意図したものであった。
<選択肢> 放送、印刷、大日本教育会、東京数学会社、講演、執筆、海事思想、開明思想

(5) 米国海軍のアルフレッド・セイヤー・マハンが            年に刊行した『海上権力史論』は、その年か翌年には日本海軍関係者の注目するところとなったと推測できる。その刊行年、日本では第一回総選挙が行われ、最初の国会である第一回帝国議会が召集された。これ以後、建艦計画を含む海軍の         は、帝国議会の事前承認が必要となる。海軍は、議員や議員の背後にいる国民に、海軍力整備に対する支持を取り付ける必要に迫られることになった。
<選択肢> 1890、1911、予算、決算

(6) 肝付がマハンの主張について、公開の場で最初に語ったのは、           戦争中の国民新聞に連載された「海上の権力 (肝付海軍大佐の意見)」においてであった。これは、「二十世紀の軍事(肝付兼行氏談)」と同様に、マハン『海上権力史論』緒論で詳述された一国の海洋支配力、すなわち、               を構成する6つの要素についてコメントを加える形式で語られていた。その6要素とは、国土の位置、国土の形、国土の広さ、人口、国民の品性、政治体制である。当該談話記事では、このうち             について論し、海に関わる職業人をどのように養成するのかを語っている。マハンの論が伝わる以前、1886年に肝付が行った講演「本邦沿海ノ大勢ヲ知ラシムルノ教科ヲ小学校ニ設クルノ必要ヲ論シ併せて該書編輯ノ意見ヲ述ブ」においてかつて論じたことのある海軍軍人・商船員の養成に関する主張が、マハンという           思想との出会いを通じて具体的かつ詳細に提示されるようになった姿を見ることができる。
<選択肢> 日清、日露、ネイバルパワー、シーパワー、国土の形、人口、外来、在来

(7) 今回の講義を組み立てるに際し直接に影響を受けたのは、1997年に発表された平間洋一氏の論文であった。明治期の日本では、マハンの主張を「海上権力論」と訳し、それを短縮して「            」と呼んだ。単に海軍力だけでなく、海外貿易や移民の手段となる           、港や造船所などを含め、一国の海洋支配力の全体を発展させる必要が説かれた。先に(1) で言及したように、中米の運河開削と、東アジアとヨーロッパを結ぶ大陸横断鉄道の建設が背景の事情となっていたことは、既にこの論文が指摘していた。
<選択肢> 海権論、制海権、商船隊、漁船隊

(8) 肝付兼行は、海軍の           担当者とでも言うべき役割を果たした。             の業務として日本沿岸各地域の実地測量を行った。その経歴が、結果として、軍港の適地の選定のみならず、商港の適地選定の権威者としての社会的立場を形作った。
<選択肢> 広報、諜報、水路部、陸地測量部















【正解】
(1) ウラジオストク、シベリア、ニカラグア、福沢諭吉
(2) 対馬、敦賀、津軽、大湊、陸奥湾之将来
(3) 北岡伸一、蒸気船
(4) 放送、大日本教育会、公園、海事思想
(5) 1890、予算
(6) 日清、シーパワー、人口、外来
(7) 海権論、商船隊
(8) 広報、水路部



rshibasaki at 19:38コメント(0)トラックバック(1)「肝付兼行とその時代」工・歴史学2009-2011 

2010年08月15日

歴史学  柴崎  3年次〜  水曜・2時限  参照許可物等なし
1.つぎの各文章のうち、(1)〜(10)は講義シラバス「授業の内容・教育方法」欄の文章、(11)は今回起草した文章である。下線部に適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。  (1個4点、計100点)
(1) 第1回「導入」。
「地理的条件、地理的条件の意味を変化させる            の発達、その結果生じる時代の境界、各分野の時期区分の相互関係、別段階での類似事例の対比を発展の形として見る、など、講義を骨格となる基本発想を説明する」。
<選択肢> 技術、芸術

(2) 第2回・第3回「西ヨーロッパへの最短経路の変遷」。
「近代日本の空間的前提条件の確認。1869年の              鉄道と            運河の開通、1902年の           鉄道の開通による変化。20世紀後半の航空交通の時代において           機の登場が大圏航路を可能としたのと対比し、地表交通の時代における大陸横断鉄道の登場による交通路の変化を考える」。
<選択肢> 北米横断、シベリア、スエズ、パナマ、プロペラ、ジェット

(3) 第4回・第5回「初期の洋行と人材育成」。
「限られた時間・資金・人材を用いて近代化を始動させる際の知恵。 海外渡航許可以前の渡航者と明治国家、伊藤博文の場合。日本が採用したのは、正則教育・   A   教育・義務教育の三段構え。人材育成・国民統合における           化された地域との違い。技術導入における   B   に対比できる、人材育成における   A   教育という方法」。
<回答欄>   A →                   B →                
<選択肢> 一般人、幕臣、植民地、砂漠、不正規、変則、先端技術、伝統技術、中間技術

(4) 第6回「文部省唱歌「  C  」から「冬の夜」へ」。
「1881年の『小学唱歌集(初)』に掲載の「  C  」と、1912年の『尋常小学唱歌(三)』に初出の「冬の夜」の歌詞を対比させ、           の間に生じた国家への献身の質的な差を考える」。
<回答欄>   C →              
<選択肢> 一世代、二世代、螢の光、元寇

(5) 第7回・第8回「  D  著『民情一新』第3章を読む」。「1879年の  D  の著作から、   E   について考える」。
<回答欄>   D →                  E →                
<選択肢> 福沢諭吉、徳冨蘆花、国民国家形成、条約改正実現

(6) 第9回「   F   に見る産業競争と地域・国家・世界」。
「産業情報交換の場としての19世紀の   F   。万国   F   ・内国勧業   F   ・地方   F   の同時的進展を、地域社会から     E    への参加チャンネルとして捉える。   B   という手法」。

<回答欄>   F →              
<選択肢> 博覧会、共進会、商品見本市

(7) 第10回・第11回「交通体系の変容と地域  近世から近代へ、   G  から   H  へ」。
「交通体系の変転を時期区分するとき、近世の街道と   G  の体系と、近代の   H  中心の体系の間に、馬車・人力車と            の時代があった。   H  の時代は明治から大正にかけて、中央から地方へと波及する。             を事例として、鉄道・築港をめぐる地域間競争を例示し、明治・大正の「対岸貿易」と現在の「環日本海経済圏」を対比させる」。
<回答欄>   G →                   H →               
<選択肢> 陸運、水運、鉄道、自動車、帆船、蒸気船、福井、秋田

(8) 第12回「国際秩序の変遷と   I   」。
「巨視的には「国際環境→    I   」という変化の連鎖が複数回繰り返された。             後の現在を過去150年のなかで捉え直し、現在我々が越えようとしている転換期を考える」。
<回答欄>   I →              
<選択肢> 国際政治、国内政治、東西冷戦、第二次世界大戦

(9) 第13回「明治維新から帝国議会にいたる道のり」。
「軍事的・財政的に自立した幕府・            ・諸外国から構成される幕末政局から、廃藩置県、地方民会、国会開設を経て現在のような個人を最少単位とする「政界」が生み出されたプロセス」。
<選択肢> 諸藩、府県

(10) 第14回「身分秩序の長期的変遷と参政権の拡大」。
「「近世→(明治維新)→近代→(戦後改革)→現代」と時代を経るに従い、平準化と           の拡張が長期的に進展し、         と国民の二大身分に単純化されるまでを鳥瞰する」。
<選択肢> 政治参加、納税の義務、皇族、華族、士族

(11) 江戸時代以来の             と、西洋の近代的な技術が普及した段階の間には、後者の要素を取り入れつつ前者を改良し従来とは質的に異なる生産性をもつ技術が普及した段階があった。第二次世界大戦後の開発援助の経験のなかからこうした技術の発展段階や、その段階にある技術を   B   と呼ぶようになった。綿紡績における             がその実例である。手回しや水車の力でで十数本の糸を同時に紡ぐことができる木製の簡易製糸機械であった。また、輸入した金属製ジャガード織機を、木製フレームで模造した京都西陣の職人の努力も、この   B   段階の一例と言えるだろう。
<選択肢> 伝統技術、中間技術、先端技術、ガラ紡、バッタンの一例と言えるだろう。


rshibasaki at 20:46コメント(2)トラックバック(0)知・歴史学「日本近代の舞台設定」 2004-2013終了 
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