2010年08月11日

昨日の読売新聞朝刊に、高野静子著『蘇峰への手紙』藤原書店の新刊広告が載っていた。ジュンク堂に行き確かめると、史料集としての翻刻ではなく、副題「中江兆民から松岡洋右まで」にあるように、蘇峰宛書翰についての評論集。肝付兼行からの書翰7通について言及があるわけではない。






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2010年07月05日

兵商論

自序
我が国百年の大計(長期戦略)は兵商併進の方策に外ならない。これは私が長年確信する所の方策である。そもそも日本の国是(コクゼ、国家方針)は商業に在る。立国上我が国民の採るべき方針は全力を海外に伸ばすことにあるだけである。そして平時に於ける文明海軍の任務は商業の保護を主とする。されば(そうであるならば)商業と海軍の密接な関係により平和的軍備を振興することは、どうして国家の急務であると言わないで居られようか。然るに世上を顧みれば、一般に海軍任務の真相を察せず、たまたま国防を説く者がいても、多くは立論が偏っており、国防と国益の関係を考えないようである。私のこの状況に対する感慨の思いは、終にこの一篇を出現させるに至ったのである。非才浅文であるので、あるいは説明の周到さを欠き、あるいは引証の豊富でないおそれを免れないけれども、もしこの論考によって少しずつ世人の海事思想を啓蒙し、我が天賦の国柄を発揚することになり得るのならば、私の幸いと感じるところである。
  明治24年6月                  編者識(ヘンジャシルス)

  目次
第1章 緒言
第2章 列国海軍の形勢
第3章 商業立国の主義
第4章 兵商の関係
第5章 軍用商船の製造
第6章 海軍予備員の養成
第7章 結論

第一章  緒言
国を開いて列国交渉の間に立った以上は、立国の大計を成就することに全力を注がないわけには行かない。立国の大計とは何であるか。国家のそれによって重視されることになる軍備を整頓し、国民が頼って利益に浴すべき事業を発達させることがそれである。
人は「兵は凶事であり、軍備は不生産的である」と言う。これは海軍と陸軍の任務の差別を知らない者の発言である。そもそも文明海軍任務のある所を熟知していれば、容易にこのような説の間違いであることを説明できよう。そもそも海軍の任務は、戦時において攻撃また防禦上の主働者であるに止まらず、平時に於ても、商業や漁撈を保護し、商業民や移住民を守るなど、まったく国益の増進をたすけることにあるから、むしろ平和の保証者であって、間接には国家の生産を助長するものである。すなわち、つぎのことが判る。各国が海軍を整備する理由・目的は、単に非常の時に準備する消極作用に限らず、また進んで平和の時に利益を図る積極作用に由るものであることを。アメリカ合衆国海軍長官は、「平和の最良な保証は国家の必要に応ずべき正常な海軍費を支出するにあり」と語っている。
陸軍にはいわゆる平時の任務というものはない。もしあるとすればただ屯田兵を置くことだけである。これが海軍と陸軍が性質を異にする要点であって、海軍任務の関係がはるかに陸軍の右にでる所以である。然るに世人は海軍を陸軍と同視し、戦時だけの任務を見て粗忽にもこのような断定を下すのはそもそも間違いの甚だしいものではないだろうか。またつぎのことを怪しむ。日本の国防を論ずる者、しかも軍事には玄人である人々が、「我が国は陸軍を主眼とすべきだ」あるいは「陸海軍のバランスが大切だ」などと唱える者が少なくないことを。しかしながら、これにはその理由がないわけではない。ヨーロッパ大陸の諸国が陸軍重視の傾向がないわけでないのは、各国の地勢の関係上止むを得ないことに原因していることが多いのだけれども、また世界史に光彩を放つ所の戦争は、古代から陸上の戦いが多くて、近代のワーテルローの戦い(1815年、ナポレオン仏軍敗北)、サドアの戦い(=ケーニッヒグレーツの戦い、晋奥戦争、1866年)、セダンの戦い(1870年、晋仏戦争)などのように最も人の語る所となり、固く印象に残り、先入主となるため、ついに陸軍思想を偏長するに至ったものである。そして日本では、古代以来鎖国主義を貫徹してきたので、海戦と称すべきものが絶えてなく、歴史上全く著名な陸戦に充ちているのであるから、陸軍過長説が出ることはまた止むを得ないことである。しかしながら、すでに世界の日本となり、同時に、欧州諸国とは大いに地勢を異にしているだけでなく、世界軍備の趨勢も最早変更を加えることを理解した以上は、我が国防に対して海軍と陸軍の軽重を判定することは決して難しいことではない。私は多言を重ねて陸軍主張者を弁駁することを必要としない。ただ彼らに向って海軍と陸軍の任務の差別を察して、つぎに四囲の境遇に鑑み、自国の特質を考えれば、自然と釈然と理解するところがあるだろうと告げるだけである。
国防問題は国民共有の問題である。そもそも日本人民は日本の防衛に付き論じ究める所がなくていいのであろうか。昨年来、帝国議会の開設に連れて海陸軍備を論ずる者は頻々として数が多いけれども、概ね皆純然たる戦時の消極任務に拠って立論し、更に平時の利益者として国益の助長策を画する者があるのを見ない。私は深く感慨ないわけには行かない。ここに文明海軍の任務を基として兵商論を草し、我が立国上最も経済的にして最も効力を奏すべき方策を論究しようとする。

第2章 列国海軍の形勢(略)
第3章 商業立国の主義(略)
第4章 兵商の関係(略)
第5章 軍用商船の製造(略)
第6章 海軍予備員の養成(略)

第7章 結論
以上六章を用いて、列国海軍の現勢を参照し、商業立国の主義に基づき、我が海軍を拡張し外国貿易を振起することの急務であることを証明し、更に、海軍と商業の密接な関係を論じ、この関係を利用し国家の大計を実行する最良手段は軍用商船の制度を定め、海軍予備員の組織を立てることにあることを述べた。論者はあるいは我が国は未だ正則(正規)の海軍の整備を告げないうちに半兵半商の変則海軍を設備しようとするのは本末を知らぬものであると論駁するかれ知れないが、このようなことは我が国が立つ所の位置を省みないだけでなく、文明海軍の任務に疎く、単に昔の軍備思想に支配された者の論である。固より国防に必要な程度までは純然たる軍艦を新製し、正則の海軍将校、兵員を増加すべきであることは、だれかこれを是認しない者があろうか。しかしながら、国家経綸の策を立てるには主として経済と効力の二点に注意し、相平衡を得る(バランスをとる)方法を忘れるべきでない。一方において日本の財力は未だにわかに右の必要を充たすことを許さないとともに、一方においては、外国貿易は恰も誘掖(ユウエキ、さそいたすける)奨励を待ちつつある現状を理解すれば、一石二鳥の策として、特に補助的な海軍を創設し、国権を張り、併せて国益を進める方法を採ることは、もっとも須要な次第ではないだろうか。
いまや論旨を結ぼうとするに臨み、その費用の支出の点について少し鄙見(私の意見)を述べることとする。
初期の国会は大胆にも政府支出650万円の節減を可決した。この節減額を如何なる用途に供すべきかは、目下朝野の間に喧しい問題である。思うに、代議士諸氏の意見は多くは地租を軽減して民力休養を図ることにあることは、殆ど明白であるけれども、或いは治水工事に用いるべしといい、或いは輸出税全廃を補うべしといい、或いは国債償還に、或いは監獄費支弁にと、異説紛々たるありさまであるようである。これらの所説中、その実行を急ぐ必要があるものがあるけれども、私は断然これを兵商費に使用することの至当であることを信ずるものである。地租軽減は果たして民力休養の目的を果すことができるか。治水工事は必ずしも今急速に完成しないわけには行かない事業であるのか。輸出税の全廃すべきは論ないものの他に一層の急務ある場合においてもなお猶予しないわけには行かないものか。翻って思慮を外国との関係に注げば、我々が実に憤然としない訳には行かないものがある。一独立国として万国と交渉するにもかかわらず、海軍は国防必要の程度に達せず、たとえ今日まで平和の破裂する場面に遇わなかったとしても、そのために、国家の権利を曲げ、利益を損じたことがどれほどあろうか。商船は数少なく、航海業は開けず、東洋の商権は皆遠く外人の手の内に占められているのではないか。今や日本の国内政治は秩序的に進歩しつつある。必ずしもこれに向って主に配慮することを必要としない。然るに、外国に対する関係はこれと絶対の反対に、微々寥々(リョウリョウ、さみしい様子)不振の境界に彷徨する姿を見るだけである。我が国民は封建鎖国の遺伝によるものか、一般に対外の観念に乏しく、身は経世の任に当たる人にしても、甚だこれに冷淡な憾がある。このような状態のまま、悠々経過すれば名声煥発して開国の実を挙げることは、これを何れの日に求むことができようか。
故にこの650余万円を以て、兵商併進の策に着手し、歩一歩、対外上に勢力を博する方法を探ることは今日にあって最もその当を得たものと信ずる。いま製造補助金の制度を立てるも巡航船たるべき新式汽船数隻を新たに製造するのは国内の汽船会社の堪えることのできない所と看做し、政府から製造の上、これを貸し渡すこととして、仮にその金額を折半して、半分を半兵半商の組織設立に用い、半分を純粋の軍艦新製に使用することとすれば、巡航船たるべき新式汽船は4、5千トンのものであって、その価格は60、70万円にすぎないので、折半額325万円のうち、300余万円を2〜3年間これに支出すれば、10隻ないし14〜5隻を製造することを得るだろう。その余額を以てこれを予備海員養成に充てれば、商船学校の拡張と海兵団の増設を計るのに余裕があるだろう。また軍艦に付いては、艦隊の本幹となり攻守の主働者たるべき1万トン以上の主戦艦5〜6隻を備えれば、我が国の海防は必要の程度に達するであろう。そして一艘の価格を6〜7百万円の間と定め、今後3年間は折半額を支出するとしても、その後は全額を支出すべきために、7年半の後には6艘の主戦艦は雄然国防の退任に当たることができよう。このようにして、我が海軍の基礎が定まり、また東洋の商権を掌中に握ることができ、酷寒と国益とを相併せて伸張し、始めて日東帝国の面目を発揚することができるのである。

[註] 原文は、国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」にて閲覧できる。編者は、予備役海軍少佐伴正利(水路部OB)であるが、明記されていない著者は寺島成信である。


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明治24年4月11日
有地海軍中将
海防意見書

 つつしんで思うに、陸海の軍備は内外の平和を保全するために歳を積んで[多年度計画で]完成を期さないわけには行かないとは、かたじけなくも天皇陛下のお言葉の通りである。我が海軍大臣閣下も既に海軍の拡張を計画せられ、先に議会においてこの6〜7年間に12万トンの軍艦を保有したいと明言なさったので、着々その方針に従って進むべきであることは疑いを入れない所である。然るに、財政上の可能・不可能はこれについて直接の関係を有するものなので、専ら軍機[軍事政策の中心]に参加する当局者の拡張策もおのずから財政問題のために牽制され、往々その目的を果すことができない。その立案を空しく書類箱の底に埋蔵させるのは実に残念である。そもそも海軍の強弱は大いに国権の消長に関係するものであるから、その主義を決定し、その標準を確立し、その程度に達するまで断固として長足の進歩を遂げないわけには行かない。いまや国勢を観察するに、海軍を振起して海防を整頓することは立国上猶予することのできない時である。またここに輿論[ヨロン]の傾向を聞くに、海軍の拡張を論ずるも、財政の点からその完成を数十年の後に期し、甚だしき場合には海軍の拡張は費用の莫大であることを空想し、その利害の帰するところも研究せず、徒に傍観する者がいる。そうであるならば、海軍当局者の外に、この6〜7年間に我が国の東洋における海上の威力を壮大ならしめる方策を説く者がないことは明らかである。こうした事情を踏まえ、本官[海軍参謀部長]は今日の形勢において我が海軍が、まず守勢上、即ち国防上必要とする勢力を得ることを熱望し、我が国の位置と形勢とを考え、その国防艦隊を編制すべき軍略上の要点と、作戦上の計画とを案じ、この6〜7年間に新造すべき艦種の選択、およびその費用の支出に関する意見をつぎに略述して、天皇陛下のお言葉と大臣閣下の意向に応えようと考える。
 そもそも守勢上、即ち国防上について海軍の主義、程度を確定するには、敵の我に対する攻勢方略[戦略・戦術]を専ら講究しないわけには行かない。いま我が海軍の勢力が敵より極めて薄弱であるとするならば、彼はすなわち我が沿岸または島嶼における無防備の港湾を占領して、その根拠地を定め、然る後、大いに我を攻撃すべき方略を採るであろう。もし我が海軍が彼に比べて充分な勢力を有するとすれば、彼は直接我が地に攻撃の勢力を集中することができず、まず我が海軍を撃破して、我を恐れ従わせる方略をとるであろう。その際、敵の海軍が我が海軍を撃破する目的[目標]が二つある。即ち、軍港および艦隊である。因って我が軍港はたとえ艦隊の応援を得られなくとも、常に敵が容易に攻撃できない防禦を備えなければないないのは勿論であるが、我が艦隊は作戦上、敵の艦隊よりも強大でなければ我に勝算がないものである。故に、我においても、国防の本体なる強大な艦隊を備えないわけには行かない。そしてこの艦隊に要すべき艦種と艦数については、我が国の位置と政治戦略上の関係を有する諸外国の海軍の勢力とに依ってこれを定める必要がある。そしてそもそも我が地に迫り我が艦隊を撃破しようとすれば、必ず彼は我に勝る勢力がないわけには行かないのであるけれども、あの欧州強国の国防に充てるいわゆる戦闘艦[戦艦]と称するものなどは、到底我が近海に軍需の供給点[根拠地]がない以上は、決して派遣することができないであろう。故に、今日我が国防上に強大な艦隊を有して、彼が我に加えようとする勢力を減殺することに務めないわけには行かない。因って速やかに意を決し、一万トンないし一万二千トンの戦闘艦6隻、即ち敵の巡洋艦18隻に匹敵すべきものを備え、軍事戦略上、わが要点[戦略拠点]にこれを浮かべることを緊急のこととする。更にこれを詳説すれば、現在スエズ運河の深さは28フィートであって、実際喫水25フィートまでの軍艦でなければ通航し難いが故に、欧州から我が勢力に超過する戦闘艦[軍艦]を派遣しようとすれば、必ずや喜望峰の遠路を回航する外ない。そしてこのような迂遠の航路を採ることは決してできることではない。今や英仏露伊西の5ヶ国の著名な戦闘艦の炭量を平均するに、一艦に付き877トン余りである。戦時中全速力で一昼夜の消費量を計算すれば、およそ302.4トン余りである。そうであるならば、その全量はわずかに2日半余りを継続できる計算ではあるが、もしこれを経済速力で消費すれば、およそ一昼夜172.8トンで、5日間を継続することができる。先年仏国の大演習において一等艦の積炭量は5日間を継続したという。この頃、我が海軍顧問イングス氏[英国海軍軍人]の言に依っても、戦闘艦の積炭量はその実、辛うじて3日間を支えることができるということである。故に、右全経[?意味不明、「前掲」カ]二種の速力を平均すれば、4日毎にその積入れをしないわけには行かない。この事情に由って、1万トンの軍艦1隻において1日石炭およそ2百トンを消費するであろう。仮に4隻を派遣するものとすれば、およそ1週間5千6百トンを必要とする。東洋諸国の上海、香港における石炭の多量は日本が輸出したものであり、いまこれを外国炭と比較すると9倍ないし7倍である。故にその輸出を絶てばこの需要炭量はほとんど供給の途がないであろうし、ましてや我が近海においては尚更である。このような事情であるが故に、我を攻撃する敵国は平時如何なる盛大な海軍の勢力を有するも、到底戦時緊急の場合に及んで強大な戦闘艦を派遣してその勢力を逞しくすることができない。由って彼はやむをえず巡洋艦で編制した艦隊を遠く派遣するにいたるであろう。然るに、強大な艦隊の編制法は戦闘艦を本体として、これに巡洋艦を付属させて交戦させるものであるので、我が海軍は新たに戦闘艦6隻を造り、これに加えるに既成既画の軍艦を以ってして艦隊を編制すれば、我が沿海軍を要撃、若しくは封鎖し得ること実に容易であろう。そうであるならば、その戦闘艦6隻で計6万トンないし7万2千トンを増加すれば、実に我が国防の実を挙げるものであって、すなわち、海軍の勢力を強大ならしめ、その結果、東洋の海上権を掌握することができることになると考える。
 しかしながら、ここに最も苦慮すべきことは製造費の点である。いま1隻を6百万円ないし7百万円と見積もれば、6隻で3千6百万円ないし4千2百万円を必要とする。然るに今日の我が国力はこのような巨大な金額を支出することができるか否を考えるに、我が国は欧州各国のように国債を募集することを必要としない。また妄りに他の財源を求めることも必要としない。既に本年議会において議決の上、節減した政費[政府支出]650余万円は実に適当な財源であろうことを信じる。思うに、議会がこの節減を議決した所以は、民力休養の目的を達しようとするのに外ならないことは、あの地租条例改正案が衆議院を通過したことによっても知ることができるのであって、その目的は誠に美しいものではあるけれども、しかしながら、地租[土地に掛かる税金]を軽減して民力を休養することができるのはどの程度であろうか。目前の小さな利益を見て、国家の大計を顧みないものと言わないわけには行かない。我が国の現況を一顧すれば、条約の改正はいまだ成立せず、通商の権利もいまだ発達しない。どうしてこのような状況で東洋一の帝国の名声を高めることかできようか。よって25年度より向こう5カ年間、すなわち29年度まで地租の軽減をゆるさず、これに代えて海軍の拡張を実行することになれば、6隻の戦闘艦を海上に雄飛させて、国家の防備とすることにすべきである。そしてその戦闘艦の寿命は少なくとも20年と予定し、その製造に5年を費やすとすれば、その間、外敵に対する抑止力となる。我が国4千万の人民は既に立憲政治の下にある。また地勢を観察すれば実に1万5千2百里の海岸があって、良港、要湾はなはだ多く、かつ石炭の産出に富み、おのずから世界の一大商業区である。いまや既にニカラグワあるいはパナマ運河の開通に着手した。その竣工を見るに及んでは、我が日本は交通上、現時のような絶東国ではなくて、東洋貿易の中心を占め、その幹線ルートに当り、大いに貿易の発達すべきことは実に明白である。そうであるならば、その影響の及ぶところは遠大であって、そのため、東洋の局面は一変し、外国の交渉は益々頻繁を来すことになるであろう。そしてその時は、我が国の最も多く望みを属[ショク]する時であって、また最も多く患いを生ずべき時である。その時にいたって始めて海軍を拡張する必要を感じるようなこととなれば、臍を噛むも及ぶことのないことになる。そもそも戦時に備える者は、今日において予め計画する所がなくて良いのであろうか。論語に「天の未だ陰雨せざるに及び牖戸[ユウコ、窓と戸]を綢繆[チュウビョウ、囲みふさぐ]す」という言葉がある。
 以上陳述したところの計画を実行するにいたれば、条約改正の完成を見ることは勿論、平時は貿易の安全を保護して、東洋の商権を握ることができ、戦時は強敵を海上に迎撃封鎖するなどの運動をすることは自在であることが可能となる。このようにして始めて、日東一帝国の真面目を発揚し、併せて民力休養の実利を享有させることになるであろう。願わくば、この計画を称賛して、直にこれを実行することを。なお詳細の造船計画等はその主務者に調査させていただきたい。

    明治24年4月11日



(伊藤博文編『秘書類纂 兵政関係資料』、1935年刊より現代語訳)
奥山真司さんのブログ「地政学を英国で学ぶ」のつぎのエントリーへの実質的なトラックバック。





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2010年04月15日

4月8日(木)が第1回目。4月15日(木)が第2回目。シラバスはこれ。昨年と同じ話を繰り返して行うことにする。

rshibasaki at 20:31コメント(2)トラックバック(0)「肝付兼行とその時代」工・歴史学2009-2011 

2010年03月31日

東京地学協会の機関誌『地学雑誌』第14輯第166巻・167巻(1902年)に、「近代地理学の父」と現在では呼ばれる山崎直方が、「政治地理に就て」と題する記事を掲載しているのを見つけた。社団法人東京地学協会ホームページのトップから「地学雑誌」という項目に入り、「NEXT」→「CD-ROM復刻版頒布のご案内」→No.2第13巻〜第21巻の「目次」をクリック。1902年というともしかして、ハルフォード・マッキンダーの講演が同時代に日本に紹介されていたのかと期待してしまう。(確認はこれから)。

[2010年4月14日(水)、追記]
山崎直方「政治地理に就て」1902年(明治35年)5月18日東京地学協会総会講演。
「斯く自然地理に於ては自然的現象を研究して居る、所が万国の政治的現象を総括して抽象的に地理学上より説明をして居る学科はあるかと云ふとまださう云ふものは無い、漸く数年前に此事に付て新しい学派が出来たのであります、成ほど地理書を開けて見ますれば各国の政体に付て各々説いて居る所もある、それは其人種の社会的挙動又政治的現象を個々別々に説いてある、併ながら是等人類なるものは地理上ドウ云ふ政治的団体を作ツて居るか、ドウ云ふ人類がドウ云ふ思想に富んで居るか、其間にドウ云ふ関係があるかと云ふことに付て地文学の中から真理を見出してそれを総括した所の抽象的学科は無かツたのでございます、それが漸く近年出て来たのであります」。
ウィキペディアには、山崎は「1898年から1901 年までドイツ・オーストリアへ地理学研究のため留学。地理学者のJ・J・ラインやペンクに指導を受ける」とある。マッキンダーとはすれ違っているようです。

rshibasaki at 17:08コメント(0)トラックバック(0)『日記』<世界交通線> 

2010年03月29日

2010年3月17日(水)、記録管理学会第131回例会。

財団法人三菱経済研究所付属三菱史料館の見学会であった。記録管理学会の性格は、アーキビスト・ライブラリアン・ドキュメンテーターなどの職種の方々の集まりであるが、創立当時からの会員ということで、末席に混ぜていただいた。

1874年(明治7年)の台湾出兵のとき、三菱の各支店と本社の往復文書がきれいに残っている。経営史というよりも、軍事史が対象とする課題の史料であり、ここにこれがあることはまだ余り知られていないのだろう。戦時における民間船徴用、海外へのパワープロジェクションの制度史などという領域と思われる。

また、三菱系のどこの企業の戦後史料だろうか、「日本水難救済会....」とタイトルに記されている箱があった。忘れないように記しておく。

rshibasaki at 18:26コメント(0)トラックバック(0)<海事・海軍史>『日記』 

2010年03月27日

26日(金)は、宮城県図書館に赴き、『兵事』のバックナンバーを通覧した。肝付兼行「西比利亜鉄道に対する日本の開港場を論ず」がここにも転載されていた。非常に酸化が進んでもろくなっている。ゼロックスコピーは遠慮して、メモをとるだけに止めた。

46号(明治24年10月10日)より『兵事新報』を『兵事』と改題したが、そのつぎの47号(明治24年10月24日)から、表紙につぎの文言が記されることになる。この雑誌の立ち位置を示すものと言える。
「●兵事は陸海軍人の磁針器なり」
「●兵事は忠君愛国者の大学校なり」
「●兵事は内外兵勢の写真鏡なり」
「●兵事は無気力者輩の感化院なり」
これは軍事教育という概念で呼ぶべき分野なのだろう。社会教育の一部、軍の広報活動とも言えるし、在郷軍人会の前史ともとらえることができる。

rshibasaki at 00:27コメント(0)トラックバック(0)『日記』<世界交通線> 

2010年03月25日

福島に来て、通覧した。分量は多くない。そのなかで中塚明さんが指摘した参謀本部内での1894年8月の議論を示す記述が残ったのは、僥倖といえそう(中塚明『歴史の偽造をただす:戦史から消された日本軍の「朝鮮王宮占領」』高文研、1997年、166〜168頁に引用されている記述)。

当時のメディアの動向=報道の流れと、参謀本部内での検討との相互関係を想定してみるとなにか見えてくるかも知れない。台湾占領論を唱えたグループが世論喚起のためにメディアに台湾占領をリークしたなどという可能性を想定している。

*

[2010年3月30日(火)追記]
『軍事史学』45-4(180)が届いた。長谷川怜「福島県立図書館佐藤文庫」(軍事史関係史料館探訪54)が掲載されている。





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2010年03月12日

3月6日(土)、7日(日)に、同志社大学今出川校地で開催された、大学コンソーシアム京都主催 2009年度第15回FDフォーラム「学生の学びを支える--つなぐFDの展開」を2日にわたり聴講した。

5年前は個々のテーマ、例えば、初年次教育、FD、キャリア教育、一般教育などを個別に取り上げる段階だったが、今回は、それらが融合し一体化したものとして、個々の大学での具体的な状況に応じて展開させねばならないものとして認識され、プログラムが組まれていた。

それゆえ、一般教育系の工学部「共通科目」と知的財産学部「基礎科目」を担当している立場でも、どの部会に出席してもその内容を自分の職責と関連づけて受容できることになる。

この5年の大学教育をめぐる状況変化が反映している。

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2010年03月02日

 歴史学供 柴崎 2年次〜 参照許可物等なし
1.文章A〜Hは、それぞれどの記事・論文・書籍の一部分か。選択肢から選んで選択肢の番号を記入せよ。選択肢の同一番号は2回まで記入してよい。(1個4点、計32点)
A→____ B→____ C→____ D→____ E→____ F→____ G→____ H→____         
<選択肢>
1. 徳富猪一郎『将来之日本』経済雑誌社、1886年刊
2.『国民之友』連載「日本の国防を論ず」。『日本国防論』民友社、1889年1月刊
3.『読売新聞』1890年11月8日号「陸軍は半兵半農、海軍は半艦半船」
4. 有地品之允「海防意見書」1891年4月11日付
5.『読売新聞』1891年7月17日号「肝付海軍大佐の軍備論(六百五十万円の使途)」
6. 1891年7月刊『兵商論』。『国民之友』1891年8〜9月、Q.S.T.「兵商論」
7.『国民之友』1891年8月3日号社説「対外政策の方針」

文章−A 「吾人は実に云ふ富の力は以て兵に敵す可し。兵の力は以て富に敵す可らす。何となれは今日の世界に於ては兵は富に依て維持することを得るも富は兵に依て維持することを得されはなり」。「今日の常備軍は人民を保護し、人民の生産を保護せんか為に存在すれとも、昔時の人民は此の武士、及ひ高等なる武士を奉養せんか為に存在したりしなり」
文章−B 「日本に於ては(第一)殖民地無し(第二)将来に於ては、或は繁盛するかも知らざれども、今日に於ては、大いなる手広き海外貿易無し、即ち我国人各処に出張するに非すして、外国人等が我邦に出張して取引を為し居れり、去れば海外出交易者を保護するの必要も別段多からざる可し」。「吾人は始終防御のみを説て、敢て一歩も国境を越へて外国に威武を伸ふることに説き及はす、思ふに世の壮士は或は之を不満とするものあらん、〔中略〕、吾人と雖他日事ある時に於ては、太平洋の水、中央亜細亜の野、欧州諸強国と抗衡して、日本の国旗を輝かすことを欲せさるにあらす、唯た其の実力なきを恐るゝのみ」
文章−C 「人は言ふ、兵は凶事なり軍備は不生産的なりと、是れ海陸軍任務の差別を識らざる者の言なり、苟も文明海陸軍任務の在る所を知了せは容易に斯る説の誣妄なるを弁すへし、夫れ海軍の任務は、戦時に於て攻撃又防守上の主働者たるに止らす、尚ほ平時に於て商業漁猟を保護し商民移住民を衛護する等、全く国益の増進を資くるに在れは、寧ろ平和の保証者にして間接には国家の生産を助長する者なり」
文章−D 「平和的政策は何ぞ、其精神とする所は、自衛防御を主とし、其目的とする所は、貿易を盛にし、各国間の好意を敦くし、或は移住と云ひ、或は殖民と云ひ、其他国家の福利と尊栄とを挙て、之を外交的機能の上より補はんと欲する者なり、外交的機能の後には、戦艦軍兵、固より是が後楯たるなり、而して国民の大精神更に之が後楯たるなり、文略的対外政策は、独り内政の改良に衝突せざるのみならず、偶以て内政の改良を成就せしむる、一の方便と為る者あり、何となれば、其貿易を盛にし、其関門を開き、天下の利をして、己れに聚めしむるを主とするが故に、是が為に、積極的に於ては、国民の生産力を加へ、国家の財用を富贍ならしめ、消極的に於ては、国民の壮丁を不生産的に使用し、国家の資本を不生産的に消費するが如きことなきを以て也」
文章−E 「魯国に行はるゝ海軍の組織に倣ひ今後普通の軍艦の外に尚軍艦の用をなすべき商船を造り置き、平時は商船として動かしめ戦時は軍艦の助けをなさしむること恰も陸軍の屯田兵に於るが如く、彼れが半農半兵の組織に倣ひ我は半商半兵、即ち半船半艦の軍艦を備へ置かんことを望む」
文章−F 「以上陳述せし所の計画を実行せらるるに至らば、条約改正の実効を見ることは勿論、平時は貿易の安全を保護し以て東洋の商権を握ることを得、戦時は強敵を海上に邀撃(ようげき)する等の運動を為すは自在たるべきなり。斯の如くして始めて日東一帝国の真面目を発揚し併せて民力休養の実利を享有せしむるに庶幾(ちかか)らん乎。希くば此計画を称賛し以て直に之を実行せられんことを」
文章−G 「此頃横浜に停泊中なる清国北洋艦隊の来航は、我海軍社会に非常の感動を与へたるものの如し。大佐が此頃某氏への嘆息談を聞くに、定遠号は到底水雷の力にあらざれば迚も大砲などにては敵し難し。隣邦既に斯る堅艦を有す。我国豈黙視して止むべきならんや。第一期議会の賜物六百五十万円あり。須く以て世界一等に位する大艦製造費に充つべしと」
文章−H 「平時に於ては、貿易郵送に従事して積極的に国家の利益を進め、戦時或は事変あるに於ては、忽然兵装を施して軍務に従事し、消極的に国家の利益を保護するは、洵に策の得たるものならずや、或は今日軍艦の精鋭なる、到底平時の商船を以て戦時の需要に適し能はさるを疑ふものあらんなれとも、是れ事実の真相を察せさる想像のみ、固より純然たる戦闘艦に比較すへからさるは当然の理なりと雖も、速力を高め、防水区画を多くし、汽機汽罐を保護し、且つ新式大砲を搭置するの準備あるに於ては、所謂兵装巡航船に変して交戦爪牙の間に周旋し、或は偵察用に或は迅速の通報用に或は敵の商船を破壊するに適応すへきは、各国の既に経験せる所なり」

2.下線部に適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。(1個4点、計68点)
本講義の主題は「国家将来像をめぐる海軍と徳富蘇峰」であった。現在の我々が見落としがちな国家将来像、海軍、徳富蘇峰それぞれの過去の側面を指摘し、それらが組み合わさった場面を、歴史の流れの一例として示した。
(1) 昭和戦前、日本はユーラシア大陸に領土と勢力圏をもつ国家だったが、明治時代まで遡るとそれ以外の可能性も存在した。日本は____________の結果、台湾を領有した。戦後、国土は、千島列島・日本列島・琉球列島・台湾から構成されることになった。当時の日本人は自国を国土の形から「_______________」であると考えた。日本の商社や銀行の支店網がアジア各地に広がり、日本人が各港に居留民団を結成するようになった。こうした状況を背景に、国家の将来を_____________として思い描く基盤が成立した。
<選択肢> 日清戦争、日露戦争、島帝国、大陸帝国、通商国家、軍事大国

(2) 第二次世界大戦の太平洋戦線を華々しく戦い、敗北した_____________の印象が強く残るため、今日、海軍というと__________における戦闘組織として理解される傾向がある。しかし、レーダーもなく、無線電信も開発途上であった明治時代、軍艦であろうと、商船・漁船であろうと、航海から無事に帰港すること自体が困難さを含んでいた。今日、地球の周回軌道の利用が、防衛上、商業上、ともに技術的な困難さを伴っているのと同様の事情があった。明治時代の海軍の活動には、商船・漁船など____________における民間の海洋利用を保護し、また、____________の保護を任務とし、一国の海洋を通じた活動全般を庇護する国家機関の姿があった。
<選択肢> 大日本帝国海軍、アメリカ合衆国海軍、戦時、平時、在外邦人、在日外国人

(3) 徳富蘇峰を人名辞典で調べると、新聞記者・ジャーナリストなどと前半生の職業が記されている。しかし、慎重に眺めてみると、雑誌『____________』および書籍を発行する出版社としての民友社と、1890年以降、『______________』を発行する新聞社の個人経営者としての立場を背負っていたことに気づく。すなわち、____________を主張し、藩閥政府の政権独占を批判した日清戦争前の蘇峰は、自己の経営する新聞雑誌の社会的影響力を確立することを当面の課題としていたとの解釈も可能である。
<選択肢> 東京経済雑誌、国民之友、東京日日新聞、国民新聞、国民主義、平民主義

(4) 徳富蘇峰と海軍の両者に国家将来像をめぐる論争上の接触を強いたのは、1890年以降帝国議会が開設されて、__________年度以降の海軍費を含む国家予算は、帝国議会の承認が必要となった制度的な条件の誕生にあった。特に、各地の選挙区から選出された___________議員は、地域の将来についての具体的な構想とその実現を期待していた。海軍軍人として記者のインタビューに応じた____________は、水路部長として日本の沿岸各地の測量に従事した経歴をもち、こうした地方の実情に通じていたと思われる。
<選択肢> 1890、1891、衆議院、貴族院、肝付兼行、川上操六

(5) _____________を卒業した後、第一回帝国議会頃、海軍編修書記として海軍参謀部に勤務していた__________は、陸海軍備についての新聞雑誌記事を収めた資料集『_____________』を編纂したり、議員や記者に配布する小冊子の執筆を担当した。後に日本郵船に転じて同社の調査部門の創設者となった。かれは、日清戦争前は、「軍用商船」や「兵装巡航船」という名称で、戦時に武装し、国際法上の軍艦として用いるある程度の防備区画をもつ高速商船の建造補助と平時における航路補助金の制度の整備を主張した。この種の商用・軍用兼用の艦船を、日露戦争から第一次世界大戦当時の日本では_____________と呼んだ。バルチック艦隊を発見した信濃丸が著名である。
<選択肢> 東京帝国大学、慶應義塾、寺島成信、曾我祐準、軍備論集、兵商論、特設巡洋艦、仮装巡洋艦











【正解】
1.
A → 1
B → 2
C → 6
D → 7
E → 3
F → 4
G → 5
H → 6

2.
(1) 日清戦争、島帝国、通商国家
(2) 大日本帝国海軍、戦時、平時、在外邦人
(3) 国民之友、国民新聞、平民主義
(4) 1891、衆議院、肝付兼行
(5) 慶應義塾、寺島成信、軍備論集、仮装巡洋艦

rshibasaki at 21:50コメント(0)トラックバック(0)「国家将来像をめぐる海軍と徳富蘇峰」工・歴史学2009-2010 
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