2005年06月23日

明治32年5月、徳山を通過した外国人数

この当時は山陽鉄道は三田尻(現在の防府市)まで開通しています。但し、下関・門司方面に行くには、手前の徳山駅で降りて、徳山港から山陽汽船に乗り換えねばなりませんでした。その乗り換えポイントを通過した外国人数が新聞記事になっています。これは、外事警察が扱う事項ですので、警察から取材したデータでしょう。

「○徳山通信    (略)    ▲客月中徳山駅及び山陽汽船にて通過せし外国人員を聞くに惣計二十二名にして此の内最も多きは英国人なりと云ふ」
(防長新聞、明治32年6月15日2面4段)



2005年6月19日、山口県立図書館にて調査

rshibasaki at 14:38コメント(0)トラックバック(0)【鶏肋】(捨てておくには惜しい史料・発想)  

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