2005年07月05日

水難救済会について初歩的な調査 〔第2週〕

以下、第2回(2005年4月14日)。

水難救済会について、日露戦争時の読売新聞の記事を理解するために周辺の初歩的な調査をした。

まず、インターネットで検索すると、現在の社団法人 日本水難救済会のホームページが見つかる。そのなかで「事業の概要・沿革」をリソグラフで刷って配布した。
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1. 明治22年11月3日、金刀比羅宮宮司琴陵宥常氏の発意により讃岐琴平の地で大日本帝国水難救済会発会
2. 明治23年4月、有栖川宮威仁親王殿下を初代総裁にご推戴
3. 明治29年、本会事業の国家経営の建議案、貴・衆両院を通過、毎年補助金下付決まる
4. 明治31年11月、社団法人大日本帝国水難救済会と登記
5. 明治37年3月、社団法人帝国水難救済会と改称
6. 大正2年8月、東伏見宮依仁親王殿下を二代総裁にご推戴
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上記が日露戦争の時代に関係する沿革であるが、簡素過ぎてわかりづらい。

そこで、『日本水難救済会100年史』(社団法人日本水難救済会、1990年刊)から、「年表」のうち、創立から日露戦争海戦までの部分を配布した。つぎの通りである。
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明治22年
 05月08日  本会創立出願、香川県知事に提出
 11月03日  開会式、於金刀比羅宮
明治23年
 02月04日  有栖川宮威仁親王(ありすがわのみやたけひとしんのう)に総裁請願。地方官に役員嘱託
 04月16日  総裁請願御聴許
明治25年
 02月15日  琴陵宥常(ことおかひろつね)会長逝去
 06月29日  本部東京芝公園内に移転
明治26年
 08年21日  大阪支部設置
明治27年
 08月01日  日清戦争始まる
明治28年
 03月    本部事務所麹町へ移転
明治29年
 02月    本会事業を国家が経営すべきであると言う建議案国会提出
 03月    上記満場一致可決
 04月27日  民法公布
明治30年
 04月    逓信省補助金 2万円下付決定
 05月19日  伯爵吉井幸蔵氏本会会長就任
明治31年
 01月04日  救難所定の服装規定制定
 07月02日  第一回総会開催於総裁邸
 10月14日  民法法人となる
 12月13日  支所制度逓信大臣認可
明治32年
 03月29日  水難救護法公布
 12月20日  米国より救命砲寄贈
明治33年
 03月31日  逓信省補助金継続認可
 07月    月刊誌「海」発刊
 11月    本部事務所築地へ移転
明治34年
 02月    米国水難救済局長に彫刻贈与
 03月    月刊誌「海」を本会報告に代用
 05月    東京市、区に各委員部設置、各地に委員部設置
 11月06日 旗号変更(現行の原型)
 11月08日 有功章制定
明治35年
 02月19日 会長以外の服制決定
 05月18日 通常総会、於商船学校内
明治36年
 02月14日 サンフランシスコ総領事に委員長嘱託
 02月20日 本部事務所京橋区に移転
明治37年
 02月09日 戦時心得訓令
 02月10日 日露戦争始まる
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また、『日本史総合年表』(吉川弘文館、2001年刊)につぎのような項目があることを示し、第1回の授業で紹介した『読売新聞』記事との対応関係を確認した。
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1904年・明治37年
6月15日
 ロシアのウラジオストク艦隊、対馬海峡において陸軍輸送船常陸丸・和泉丸を撃沈、佐渡丸に砲撃
8月10日
 第2艦隊、韓国蔚山沖でウラジオストク艦隊と海戦、撃滅させる
1905年・明治38年
5月27日
連合艦隊、日本海でロシアのバルチック艦隊を撃滅(〜28日、日本海海戦、戦艦スワロフなど24隻を撃沈・捕獲、ロシア側戦死・捕虜約1万1000)。
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聴講者が工学部の学生であることを考慮し、ポケット版『新版 日本史辞典』(角川書店、1996年)の「日露戦争」の項目と、同『日本史年表 第四版』(歴史学研究会編、岩波書店、2001年)の1903・明治36年〜1905・明治38年の部分を示し、日露戦争について最小限度の概観を与えた。

つづいて、『帝国水難救済会五十年史』(同、1939年刊)より「帝国水難救済会救難所配置図」(昭和14年11月現在)を示し、ウラジオストク艦隊が出現した地域の救護所の名を確認した。また、当該救護所の設置年代も同所より確認した。因みに、山口県「下関」(明治30年11月3日設置)、千葉県「布良」(明治36年3月25日設置)、青森県「大間」(明治35年2月1日設置)・「下風呂」(明治35年3月1日設置)などである。


最後に、同『五十年史』より、日露戦争に際して出された「戦時心得」の文言を確認した。即ち、以下の通り。但し、原文仮名は片仮名。
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同年二月九日各救難所、救難支所、見張所、救難組合に対し左の戦時心得を訓令したり。
  戦時心得
一、本会救難所は戦時に於ても平時に於けるか如く施行すへし。
一、敵国商船遭難の場合は勿論戦闘力を失ひたる軍艦の遭難若くは艦員にし
 て生命を喪失せんとする場合は直ちに之を救助し市町村役場又は警察署
 に引き渡すへし。
三、救難所、救難支所、見張所、救難組合附近を通航する船舶の挙動に注意し若尋
 常に非すと認めたるときは直ちに最寄警察署に通知すへし。
四、敵国軍艦と認むへきものの通航を認めたる時は直に左の事項を本部へ電
報し同時に最寄警察署に通知すべし。
  一、往来の方向
  一、時刻
  一、船体の大小及塗色
  一、掲揚したる旗
  一、檣数
  一、煙突数
  一、その他目標とすへき重なるもの
五、天候その他重要事項は必ず日誌に記載すへし。
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以上、第2回(2005年4月14日)。

rshibasaki at 20:30コメント(0)トラックバック(0)「海難救助ボランティアの日露戦争」工・歴史学2005  

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