2005年07月24日

地域社会の武力、秩序力、自立性  〔第4週〕

以下、第4回(2005年4月28日)。


学生から聞いたつぎのエピソードを導入とした。

ある関西の有力企業に就職した学生から、在学していた頃、聞き取った話しである。
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彼が、原付に乗った若い女性が四輪自動車と接触事故を起こした場面に出会った。その女性は、足を骨折したらしく立ち上がることが出来ない。自分で携帯電話を取り出し、警察に110番通報した。それを見ていた自動車の運転手の方がおろおろしてしまっている。
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この話しを聞いて、当時、わたくしはつぎのように思った。「現在われわれが持ち歩いている携帯電話は、明治時代の護身用のピストルと等価物(equivalent)である」。明治時代、辺鄙な土地に配達に出向く郵便配達夫はピストルを携帯した。また、当時の新聞には護身用のピストルの広告が堂々と掲載されている。一方現在は、情報化(交通と通信の発達)が進み、110番(警察)や119番(消防)、そしてさらに118番(海上保安庁)に連絡すれば、緊急自動車や船舶、ヘリコプターが直ぐに駆けつけてくれる。そういう時代にわれわれは暮らしている。一方、百年余り前を考えてみると、強盗が村に押し入っても、火災でも、海難でも、その場に居合わせた人々が自分たちの力で対処するほかなかった。治安維持、消防、自然災害、緊急医療などについてである。

とすれば、情報化の進展の裏面として「地域の自立性の漸次的低下」という側面があり、その両面を念頭において近代の地域社会は捉えねばならない。となるだろう。

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この発想の傍証として、『京都府警察史 第三巻』(京都府警察本部、1980年)622~625頁を配布し、提示した。

まず、制服警察官が拳銃を所持することになる戦後のプロセスが622~623頁に出ている。1946年1月、連合国軍最高司令部(GHQ)は警察官の拳銃所持拡大を容認する姿勢をとることとなった。

一方、624~625頁には「民間の武器回収(昭和の刀狩)」という項目があり、つぎのように記されている。
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 戦後の武装解除に引続き、連合国最高司令官一般命令第一号第十一項により民間所有の武器回収が行われた。戦後の刀狩りがそれである。けん銃、小銃を回収する事が主目的であったが、その適用範囲は刀剣、槍に至るまで拡大され回収が開始されたのは昭和二十年(一九四五)九月十五日からであった。ただし、美術の目的物と考えられる刀剣に関しては特例が認められるが、たとえ美術品であっても軍刀として試用さたものは対象外とされた。従って軍籍のない民間人の所持していた美術刀剣のみが回収をまぬがれることになったのである
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占領下において、民間の非武装化と制服警察官の拳銃携帯が同時に進行した。

民間に武器が所有されていた戦前社会において、通常はサーベルのみを佩用する警察官がその任に当たりえたのは、地域社会自体に治安維持機能が組み込まれて存在していたと考えるほかない。高度経済成長期までのニュースに「犯人が山に逃げ込んだので地元消防団の協力を得て、警察が捜索に当たっている」というタイプのものがあった。現在では警察機動隊が動員される任務に、地元の常設ボランティア組織たる「消防団」が補助警察力として動員されるということが戦後しばらくは残った。

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こうした視角・視点についての先行研究として、1927年生まれの二人の論者を紹介した。

一人目は、長谷川慶太郎さん。ふつうは評論家、エコノミストなどという肩書で出てくるが、防衛研修所の教官を務めていて、軍事・警察問題にも明るい。1987年3月刊の著作『日本の革命----世界の大国をめざす』(205~207頁)には、つぎのような記述がある。
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 日本の社会秩序の安定を確保する大きな要素は、国民にピストルなど銃器を所持させない制度である。密輸ピストルで武装した「アウトロー」の気ままで、わがままで、秩序を攪乱する行動に対しては、ピストルをもたない一般市民は、警察の力を借りる以外に対抗する手段を持ち合わせていない。
 米国のように、だれでも銃器の所持が許される憲法のある国では、「アウトロー」が地域社会の秩序を攪乱する行動に出た場合、地域住民自身が「武装」し、彼らの行動を抑制する。日本ではこうした「武装」を禁じられている以上、一般市民の「武装」に代替する機能を警察が果たす以外に「アウトロー」を押さえ込む方法が存在しない。この意味では、日本の警察は、社会の「公僕」としての機能を、他の先進国に比べていっそう強く持つこととなる。
 また、一般市民の「武装」を前提とした、自律的、自主的な秩序維持機能を、プロの警察が全面的に肩代わりしているからこそ、日本の国内の犯罪防止力は高いし、その高い検挙率を通じて、間接的に犯罪防止機能を強める一面もあることを見落としてはなるまい。
 市民がみずから「武装」する社会ては、当然のことながら、市民間の争いはすぐさま銃撃戦の形に発展する。
 〔略〕
 これから近未来の日本では、この市民「非武装」という社会制度がつづくものと考えてよく、また継続すべき制度のなかに含まれるにちがいない。
 戦後の日本がとった国ベースでの「軍事小国路線」は、戦前よりも密接に市民の「非武装」と強く結びついている。
 戦前は予備役にあった軍人がピストル、軍刀を保持することは義務とされ、また明治維新以前武士だった家系には、刀槍がかならずといってよいほど残されていた。戦後の日本の社会は、こうした個人所蔵の「武器」をまず占領軍が、ついで警察が徹底して回収した。このため、保有を許された刀槍は美術的な価値を持つものに限定され、いっそう市民の「非武装」化が定着した。
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(引用中の下線は引用者が付した)


もう一つ、2001年4月刊『デフレ時代の成功法則』「第5章 特殊法人改革なしに日本経済の復活はない」(169~170頁)において、特定郵便局長会を郵政民営化によって解体されざるをえない自民党の地盤として紹介した後につづいてつぎのように記述している。
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 似た組織に、地方の消防団がある。
 地方自治体の消防署の現場組織として、今でも村々の消防活動を実際に担当している。すべての集落ごとに分団が置かれ、ポンプ小屋が作られていて、成人になると、全員が加入させられる。季節ごとにちゃんと消防訓練もやっている。
 戦前は、その組織にさらに軍隊帰りの在郷軍人会が重なっていた。
 そういうものが保守の地盤だった。
 戦後は、まず在郷軍人会がなくなり、代わって一時期は遺族会が盛んだったが、それも衰え、減反で農協の力が弱くなり、また公共事業費の削減と建設不況で、一時期乱立して盛大だった、村の土建屋にも金がなくなった。
 そうなると、全国の村ごとに組織を持っている特定郵便局長会というのは、自民党に残された数少ない全国的な地盤ということになる。
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(引用文中の下線は引用者による)


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二人目は、近世史家の塚本学さん。1993年刊『小さな歴史と大きな歴史』の冒頭近く「二 近世史で考えなおしたいこと」(6~8頁)に、つぎのような記述がある。
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 よく知られているように、近世の体制では、武士身分の者は、一般に城下町に集住した。ある村で、集団強盗におそわれるという事件があったとする。そのとき武士身分の武力が、治安維持機能を果すことは、まず不可能である。電話もパトカーもない時代なのだ。当時いちばんの機動力、騎馬軍団が駆けつけても、到着の際にはすでに強盗群は立去ってはるか後であろう。だいたい、城下町の武士が、常時、いざことあれば騎馬軍団を編成して出動できるような用意をしていたか。そもそもそうした考え方もとられなかったであろう。お城の出火は、主君の九だから駆けつけるにしても、人民の生命財産の危険を、それほどの緊急事とはみなさない。理屈の上からすると、人民の生命財産は、主君が役義をつとめる上での貴重な財だから、これを守ることも必要のはずだが、実際には武士の、そうした意味での「護民」「安民」機能は、さほどはたらかないのである。そこまで及ばなかったのではない。はじめからそのつもりではなかったというべきだろう。
 村の治安維持機能を担当したのは、一般には村自体であり、幕府や藩の支配も、それを前提として成立していた。幕府や藩の法は、一般に、そのような集団強盗に対して、村民が共同で対処すべきことを命じている。十七世紀信濃の、松本・上田等諸藩の法では、そうした場合に賊を殺害することをも認めており、松本藩法の場合は、その趣旨が最後までかわらない。そのような例が、どの程度ひろく存在するかについては、今後のしらべが必要であるが、武士の武力が有効でない以上、武力をもった賊に対して、村民自身の武力行使をなにがしかの程度認める、むしろ求めるのは一般的であって当然といえよう。
 集団強盗に対するのと同じことが、耕地や人畜をおびやかす野獣に対する場合にもいえる。江戸時代の多くの山村では、猪や鹿・狼などに対して鉄砲をもつ村民がかなりたくさん存在したし、幕法もこれを認めていた。これも武士の武力で対処できる相手ではない。もっとも鉄砲の使用についての規制は当然存在したし、とくに集団強盗の類に対する武力として鉄砲を利用させることは、例外的にしかないといえる。ヒトを殺傷する用途だけに純化した道具を武器とよぶなら、江戸時代の農山漁村に原則的に武器は存在しなかったという通説的理解に、異議をとなえる余地はなかろう。けれども、武力は、そのような意味での武器を不可欠とするものではない。鍬やてんぴん棒のような道具も、場面と使い手によっては、名刀以上にヒトを殺傷するのに有効である。石ころやときには素手も、ときには十分に戦う手段となり得よう。なによりも戦う意志をもつひとびとの結集が、外敵に対して有効な武力である。
 武士が集住した城下町でも、武士の武力が治安維持機能を果したとは必ずしもいえない。十八世紀末、寛政初年に江戸の町に集団強盗が横行したとき、被害は実は武家邸に大きく、町人の町では、町民が共同で声をかけあうことでこれを撃退した例が少なくなかった。そうした例は、武力というものについて考えさせるだけでなく、江戸時代の体制自体にも、そしていうならば近世という時代に限定されない問題についても、再考を求めるものになる。
 江戸時代が終って半世紀余もたった時点の例だが、関東大震災にあたって、多くの朝鮮人を殺傷したのが、右のような村の武力であったことにも、目をそむけるわけにはいかない。一面で、戦前・戦中の男たちの多くは、夜、痴漢が出没するなどという噂を聞けば、枕元にステッキをおいて寝、悲鳴を聞いたら飛び出ようとしていた。現代の団地住宅での痴漢問題で、住民の自発的な組織が生まれる場合もあるが、警察官による各家への取締りだけを求める声が出ることもある。後者の思考法は、また通勤電車内での暴力等にも見てみぬふりをするひとびとに通じる。そして、太閤刀狩り以来、日本人には、自分で安全を守る習慣なしといった歴史像が、そうした思考法と通じあう役割をももつ」
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長谷川さんは戦後・現代の日本から戦前の日本に遡り、塚本さんは江戸時代の日本から明治維新以後の時代を望んでいる。それは、先の塚本さんからの引用の直前に、つぎのように叙述されている時代であった。

「帝国憲法下では、村々に駐在のお巡りさんがいた。村民のささいなバクチなどを取り締まりもしたし、村に盗賊が入りでもしたら頼りにされる存在でもあった。地主には頼られ、小作人には警戒され、ないし恐れられるという面もあった」

この講義では、沿海地域の村々における海難救助組織から、この時代を見て行くことになる。



以上、第4回(2005年4月28日)。

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1. ここは酷い石油地政学ですね  [ 障害報告@webry ]   2011年01月09日 21:52
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