2005年07月27日

「関門間海難減少策ニ関スル意見」。1904(明治35)年の色々な記事 〔第12週〕

以下、第12回(2005年6月30日)。

国立国会図書館の近代デジタルライブラリーを「山口県」and「海難」で検索すると、『山口県警察施設ノ主眼』(山口県警察部、明治42年)がヒットする。同書50〜51頁に、「関門間海難減少策ニ関スル意見」という文章がある。
一、潮流の急激
一、暗礁碁布
一、帆船出入
一、漁船出入

関門海峡で海難事故が多い原因として、上記四点が挙げられている。三番目は、汽船が出入りする海峡に「櫓や櫂で進むには大きすぎ、しかも動力をもたない帆船」も混在することが、衝突事故の原因となっているとの指摘である。その帆船の大部分は「石炭艀船」であるという。防長新聞の遭難記事も、石炭船の難破が多く報道されていて符合する。

*

つぎのような、直接今回の講義のテーマに関係しないが、当時の山口県、さらに日本の状況を窺い知るのに面白い記事を、『防長新聞』から紹介した。
「西比利亜鉄道の現状」(明治34年4月11日1面3段)
「柔道教師の嘱托」(同34年2月22日2面3段)
「在清軍人と家族間との私電報」(34年3月1日2面3段)
「新聞販売者の大競争」(34年3月7日3面4段)
「憲兵の渡韓」(34年5月9日2面5段)
「馬匹の蹄鉄に就て」(34年3月14日1面2〜3段)
「小郡駅発車時刻」(34年5月15日3面3段)
「山鉄全通と徳山駅員の減員」(34年5月16日3面4段)
「電気通信技術伝習生の募集」(34年5月25日3面5段)
「山陽鉄道厚狭馬関間開通式」(34年5月28日3面2段)
「三田尻小郡間電信線路測量」(34年5月30日3面2〜3段)
「山鉄全通後に於ける徳山の影響」(34年5月30日3面4段)
「交通機関と郵便物の速達」(34年5月31日2面4〜5段)
「野津少佐の朝鮮談」(34年7月6日2面2〜3段)
「陸海軍人恩給請求権に就て」(34年7月6日2面3段)
「台湾巡査の試験」(34年8月13日2面5段)
「海外渡航者と旅行券」(34年8月14日2面2段)
「憲兵の渡韓」(34年11月10日2面5段)

以上、第12回(2005年6月30日)。

rshibasaki at 12:32コメント(0)トラックバック(0)「海難救助ボランティアの日露戦争」工・歴史学2005  

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