2005年11月10日

畝傍艦の遺物か

「畝傍艦の遺物か  去る明治二十二年仏国より廻航の途次新嘉坡以東にて行方不明となりし畝傍艦の事は今尚我国人の忘るゝ能はざる処なるが、此程に至り其消息の一端を窺ふべき一報を得たり。先頃台湾澎湖島西峭澳合界頭郷土名小門に於て、帝国軍艦の拝戴せる御真影の額縁と思はるゝ物を所持せる土人あるを探知し、種々取調べたるに、同所五番戸に住む許意と称するものゝ所有にして、同人は三十年前海岸にて拾ひたりとか、或は十年前に拾ひたりとか答へ要領を得ざれども、馬公要港部の鑑定によれば、右は全く我が軍艦に下賜されたるものに相違なけれども、同海岸にて二十八年軍艦廣丙及び水雷艇には御真影なく廣丙の御真影は当時引揚げ他に斯る品のあるべき筈なければ、多分去る二十二年中行方不明となりたる軍艦畝傍のものならんとの鑑定なりと云ふ。因に軍艦に下賜さるゝ額縁は何れも同じく縦一尺七寸四分、横一尺四寸にて、菊の御紋章に桐と鳳凰との金蒔絵の輪廓あり」
(防長新聞、明治42年1月16日1面5段)


rshibasaki at 20:18コメント(0)トラックバック(0)【鶏肋】(捨てておくには惜しい史料・発想)  

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