2005年12月29日

徳富蘇峰における便宜主義と原理主義

徳富蘇峰を、原理主義ならぬ、便宜主義的と評したのは、米原謙氏であった。『徳富蘇峰---日本ナショナリズムの軌跡』(中公新書1711、2003年8月)において、大隈条約改正案に関する蘇峰の評価を、陸羯南のそれと対比しつつ、つぎのように述べている。

「みずからの原則に忠実で現実と妥協することが少なかったという意味で、羯南が原理主義的だったのに対して、蘇峰は便宜主義的で、必要と判断すれば妥協を辞さなかった。この便宜主義(オポチユニズム)が蘇峰の生涯にわたる長所であり短所でもあつた。ここで便宜主義と形容するのは、所与の状況でベターなものを選択するという態度をさす。この態度は政治的判断の不可避な一面であるが、長い視野でみれば状況に流されやすいという致命的な欠点がある。短期的な利害判断ではベターでも、長期的には無原則の妥協に終ってしまうことが多いからである。「オポチュニズム」という言葉が「日和見主義」という悪い語感をともなうのは、無原則と同義になりがちだからである。しかし便宜主義は、本来は一定の価値観にもとづく冷靜な利害計算による行為である。この観点から蘇峰の態度をみれば、大隈条約案を基本的に支持しながら、いくらか斜に構えた姿勢をとったことがわかる。反対論が圧倒的に強いなかで、正面からそれを支持してあえて不利な立場を取ることは、営業面からも熟慮を要した。『自伝』はそれを「負け戦」だったと回想しているが、そのような不利な状況でも、蘇峰は大隈案を擁護した。反対運動で保守的風潮が強まることを強く恐れていたからである」
(同書、71〜72ページ)

ここでは、便宜主義の背景に「藩閥打破」(『蘇峰自伝』1935年)について戦略的な判断をもった人物として、蘇峰は描かれている。
わたくしは、つぎに示す諸史料の文言にみるように、別の主題に関する側面=「白閥打破」(出典同じ)でも「便宜主義の背景に戦略的な判断をもった人物」として蘇峰を見ている。

「吾人は始終防御のみを説て、敢て一歩も国境を越えて外国に威武を伸ふることに説き及はす、思ふに世の壮士は或は之を不満とするものあらん、[中略]、吾人と雖他日事ある時に於ては、太平洋の水、中央亜細亜の野、欧州諸強国と抗衡して、日本の国旗を輝かすことを欲せさるにあらす、唯た其の実力なきを恐るゝのみ」
(『日本国防論』、1889年1月、末尾)

「何を以て台湾を取らんと欲する乎。之に拠つて九州より琉球、琉球より八重山、八重山より相聯絡して、更らに南洋に備へて以てマレー海峡を経て、来るものを制せんとする也」
(「削地の目的」、『国民新聞』1894年11月1日5面、社説欄)

「台湾は如何なる場合にも、之を我海図の中より逸せしむべからず。況んや之を清国以外の国に有せしむべからず。是れ独り清国を控制するがためのみにあらず。マレー半島の海峡を経て、東亜に入り来る勢力を控制せんがため也。国家百年の大計は、北を守つて南を略するにあり。而して台湾占領は、実に其第一着歩なりと知らず耶」
(「台湾を略するの時来る」、『国民新聞』1894年11月5日2面、社説欄)

「他日、吾人にして、若し欧州と事を構ゆるの時ありとせよ。彼等は必らず海峡殖民地の内に、一根拠を占め、凡べての軍需軍隊を、一旦此に集合して、以て漸く我に及ばん。而して其地は台湾を外にして、また何くにかあらん。台湾を我に納むるは、即ち敵国の根拠を奪ふて、更らに我根拠となすもの也」
(「何を以て欧洲の勢力を支へん」、『国民新聞』1894年11月11日5面、社説欄)

この場合の欧州勢力としては、短期的には、フランス・ドイツ・ロシアが想定される。仏・独・露とは三国干渉の当事国である。シベリア鉄道開通以前のこの時代には、ロシアもマラッカ海峡経由で沿海州への物資輸送を行っていたから、当該諸国に含まれる。また、米国のハワイ併合・フィリピン領有が未だ将来のことに属する日清戦争時には、米国は視野の外に置かれていることがわかる。

しかしながら同時に、「海峡植民地」とは英領シンガポールであるから、遠い未来のこととしては対英戦争もありえると考えていたことを窺わせる。徳富蘇峰は、日清戦争の時点で、「国家百年の大計」の射程としてはこのようなイメージの世界をもっていた。



rshibasaki at 19:22コメント(0)トラックバック(0)「海上権力をめぐる海軍と徳富蘇峰」工・歴史学2005-2007  

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