2006年04月30日

歴史学機迷4週〕水難救済会と日露戦争(その3)---全国組織としての歴史・背景

第4週、4月27日。連休前最後の講義。

日本赤十字社以下、水難救済会を含む明治時代に組織された公益団体は、「募金組織」としての側面と、「実行組織」としての側面を区別して、それぞれについて、ある時は全国規模で、またある時は府県・郡・市町村規模で具体的に考察されねばならない。例えば、山口県の場合、実行組織としては、下関救難所が明治30年11月3日に創立されている。一方、募金組織として、山口県支部が発会式を挙行したのは、日露戦後の明治41年5月24日であった。
公益事業の内容に応じて、募金は全国規模で行うが、実行はその必要がある特定の場所で行われることになる。たまたま山口県の場合には、募金額も多く、三方を海に囲まれた地勢のため、沿岸海域が実行の場でもあった。内陸県の場合、募金組織は組織されたが、実行組織は存在しないことになる。

配布資料。

1表裏=『水難救済会百年史』巻末「年表」明治37年〜昭和45年(338〜341頁)。
2表=社団法人日本水難救済会ホームページより「事業の概要」「沿革」。
2裏=日本赤十字社ホームページより、「創立」および「沿革」の明治時代の部分
3表=読売新聞・明治39年3月26日3面「帝国水難救済会総会」、朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社、1994年)より「有栖川宮熾仁親王」(ありすがわのみや・たるひとしんのう)および「有栖川宮威仁親王」(ありすがわのみや・たけひとしんのう)の項目。
3裏=読売新聞・明治15年3月11日3面「○昨年の十一月英国の商船が一艘難風に出遇ひ岩手県下東閉伊郡重茂村の海岸へ漂着せしかば...」、および、同・明治20年8月20日3面「○大島海防組 福岡県下宗像郡大島は神湊の西北を距る凡そ六海里にして玄界海中の一孤島なり...」
4表=防長新聞・明治37年6月23日2面「○水難救助夫長の嘱託」、同37年1月15日2面「水難救済会の行賞」、同明治38年2月23日2面「水難救済会監事の来関」。昨年の〔第3週〕末尾に収録してある。


rshibasaki at 15:16コメント(0)トラックバック(0)「明治期山口県における水難救済会」工・歴史学2006  

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