2006年05月05日

将来に於ける国民新聞の位置

日清戦争が終って初めての新年を迎えた明治29年元旦の国民新聞社説欄。国民新聞創刊以来の歴史のなかに、日清戦争への社の対応を位置づけ回顧する。
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将来に於ける国民新聞の位置

新年を迎へて、先づ祈るは、国運の長久と、国民の慶福となり。特に我が『国民新聞』読者諸君の平和と健全とは、吾人が中心希ふて、禁ずる能はざる所ろ也。
我が『国民新聞』と、読者諸君との関係は、単に尋常一様営業上の関係のみならず。彼等の中には、或は初号より愛読せらるゝ人士も尠からず。或は知己となり、同志となり、社友となり、直接間接を論ぜず。吾人に向て精神的幇助を与へらるゝの人士、亦た多からずとせず。要するに、『国民新聞』は、幾千百の、否な幾万余の、読者諸君の任意的擁護に拠りて、今日迄生存し、而して今日の如き発達を来したる也。吾人は此の天涯地角に点在する、未知の社友諸君に向て、少しく吾人前途の意見を開陳するの自由を得んと欲す。
言少しく述懐めけども、将来を語らんと欲せば、過去の事歴に溯るの必要なくんばあらず。抑も『国民新聞』発行の計画は、明治二十二年の晩秋に決し。其の初号は明治二十三年二月一日に発行せられたりき。何故に発行したるかは、今更ら事々敷言ふ迄もなく、吾人聊か筆墨の外、主張せんと欲する所ありたれば也。別言すれば、日本国民として、我が国民的生活に、多少の寄与せんと欲する所ありたれば也。
当時東京の文壇には、幾多の新聞雑誌対峙し、到底吾人が一頭地を出す可き余隙を見出す能はざるを以て。先づ倫敦に於ける毎夕新聞的の趣向を採り。寧ろ粗なるも鋭ならざる可からず、寧ろ拙なるも速ならざる可らず、寧ろ雑なるも新ならざる可らずと為し。遂に大新聞たらず、小新聞たらざる一種の特色ある新聞を作り。精神的に於ては、最上社会たり、資産上に於ては、中等社会たる、家庭の間に読者を求めんと欲したりき。
吾人が目的の果して達したるや否やは、暫らく別問題として。時は議会開設に瀕する明治二十三年なり、人は革新を鼓吹する青年気鋭の仲間なり、世は風雲変化、龍蛇出没の舞台なり。されば発行以来未だ半年を経過せざるに、『国民新聞』は、殆んど政治新聞となれり。総ての事物を記し、而して政治を其の一部として記すべかりし『国民新聞』は、政治を記し、而して総ての事物を、その一部として記するに到りぬ。
当時在野党の大活動たる、進歩党合同は、国民新聞その唯一の主唱者たらざるも、主唱者の一人、恐らくは最も熱心なる主唱者の一人たることは、読者諸君の記臆する所ならむ。
斯くて第一議会に際し、硬派の熱心なる味方となり、第二議会に際しては、民党聨合の鼓吹者となり。第三議会に際しては、撰挙干渉大弾劾の急先鋒となり。遂ひに松方内閣倒れて、伊藤内閣を見るに及びぬ。
吾人は此の戦闘の経過に就て、自から是非の評論を挿まざる可し。但だ吾人が意見は、多少政治的原動力となり、『国民新聞』は、眇々の力を以て、多少政党を動したれども、未だ如何なる政党よりも動かされず、横行濶歩して来たりたることは、吾人の聊か天下に公言して、愧づるなき所ろ也。
『国民新聞』は、政治新聞となりしと同時に、亦た文学新聞たるの評判を来たしぬ。蓋し我が社中には、各種の少壮者群がり、亦た社友として、幾多の学士論客を有す。故に各その所見を、紙上に掲載するに於ては、諷して詩歌となり、判して批評となり、凝りて論文となり、舒べて小説となる。其他幾多の雑著片編となる、固より怪しむに足らず。唯だ吾人が本領に就ては、序でながら一言せざる可らず。吾人は文学をば、技芸となし、技芸その物をば終極の目的となす意見に反対す。吾人は文学とは、善美の思想をば、善美の言を以て、謂ひ顕はしたるものと為す。而して此の文学や、必らず世道人心に補ひある可きものと為す。故に如何なる華言麗辞も、其の虚誕妄浮にして、人事に関渉せず。社会に不健全なる感化を与ふるものは、断々乎として之を排斥したりき。
扨も『国民新聞』は、政治、文学の二大潮勢に乗じて、社会に奮戦勇闘しぬ。而して政治上に於ては、一方には反動的保守党、尚ほ其の跋扈を逞ふし。他方には自由党なるもの、初心を失墜し、民党同志打を為し、款を藩閥政府に通じ。事躰甚だ容易ならざりき。我が『国民新聞』が、如何に此際に於て、迫害を被りたる乎、虐遇を被りたる乎、而して敢て畏避せずして、抗戦せし乎は、寧ろ他日政史の資料たらん。若しそれ文学上に於ては、一方には自由思想を圧迫せんとしたる頑固党。他方には厭世文学、凡神文学、恋愛文学、竹林文学、学究文学、幇間文学に反対して挑戦したるかは、是亦た我邦思想変遷の問題として、敢て今日に詳論するの必要を見ず。
『国民新聞』は、時と与に鈍歩ながらも、幾多の進境を開拓したり。甞て大ならず、小ならざるを目的としたる『国民新聞』は、今や中ならず、小ならざる、即ち一個の大新聞たる位地に達しぬ。是れ吾人に於ては、我が読者諸君に、最も多く感謝す可き一事と信ず。
吾人と伊藤内閣の関係は、今更ら謂ふ迄もなし。伊藤内閣の憲法擁護を声言して、松方内閣零落の上に立つや、吾人は多少の待望を有し、有したるが故に寛裕を以て、之を遇したり。然るに事実は全く逆行しぬ。吾人の待望は水泡に帰しぬ。
吾人は内政に於て、政府を国民的基礎の上に建つるを欲すると同時に、外交に於ては、国民的勢力を、外に膨脹せしむるを期す。要するに吾人は維新革新の目的を完成し、内には公議政躰を快復し、外には開国進取の大規模を達せんことを期す。されば国民的大同盟なるもの、責任内閣、自主的外交の二大政綱の下に出で来るや。吾人は実に其の発起者の一人にてありき。特に此の二大政綱を、幾多の問題中より撰択し。之を聨絡し、之を調和し、此れに適当にして正確なる定義を与へ、所謂る人権と国権とを併立せしめたる、新光輝の下に国権論を置き、国家の大問題を、保守党専売より〓〔「てへん」に「珍」の右を旁とする、「シン」と音読〕らして、之を国民の手中に安置したるか如きは、公平なる読者諸君は、或は少しく吾人の微志を諒する所ならむ。斯る間もなく、黒雲は朝鮮半島の天に重くなりぬ。吾人は当初よりして熱心なる主戦論者にてありき。少くとも明治二十七年五月下旬には、吾人が日韓清三国に関する終局の意見は、既に確定したりき。吾人敢て先見の明に誇らんと欲せず、発論者たるの誉を僣せんと欲せず。但だ吾人が主戦論は、形勢を観望して、附和雷同したるにあらず。又た世論より強制せられ、止むを得ずして戦ふたる如き政治家と同一ならざるを標識せらるゝを得ば足れり。吾人が何故に主戦論を主張したる乎は、今更ら縷述する程の面倒なる問題にあらず。唯吾人は之を以て国民的大活動の好機と信じ、国民的大膨脹の着歩と信じ、国家興隆の大動機と信じたるが故のみ。
されば吾人は大島旅団の宇品より朝鮮に赴くに際して、夙に一の決心をなしぬ。曰く今回の出来事は、国家存亡興廃の一大事なり。我社独り隆盛に赴きたりとて、国家の廃亡する時には、何かはせむ。若し国家隆盛ならんか、我社は如何なる運命に遭遇するも、到底隆盛なるに相違なし。されば国家の運命に、我社の運命を托するは、独り国民報国の義務を竭すのみならず、亦た事実上の大打算に於ても、最も安全なる方便なりと。故に征清の役に際しては、平生倹素を本位としたる我社も、其の平生に比して、頗る大胆痛快なる運動をなしぬ。吾人は敢て全幅の力を傾け尽したりと云はず。然れども半心を以て、之に処せざりしは、読者諸君の必らず首肯する所ならむ。惟ふに之れが為めに社員を戦地に特派し、若しくは社友に特別通信を委托したるもの、其の前後を通計すれば、殆んど三十名に垂んとす。若しそれ資金を消費したるもの、我社の経済に於て、決して軽々たらざるは、謂ふ迄もなし。吾人は其の結果に就て、毫髪遺憾なしと思はざれども、殆んど吾人が有する実力の大半を竭したるの一事は、聊か平生の志望に孤負せざりしを明言するに憚からず。
果然吾人の予測は、吾人を欺かざりき。吾人が区々の心事は、之れが為めに天下に証明せられ、社会に発揮せられたり。吾人は之れが為めに、陸海軍人の中に、多くの友人を得たり。彼等は吾人を以て、単に売文の生涯に安着するものにあらざるを悟り。而して吾人が筆と彼等の剣とは、同一目的に向て使用せられ、亦た殆んど同一効力あることを識認したるの士も尠からず。我が『国民新聞』が、陸海軍隊の間に愛読せられ、我が特派員が、戦地に於て懇篤なる待遇を受けたるは、吾人が今日に於て甚だ感謝に堪へざる処。特に軍人のみに止らず、吾人が社友とも云ふ可き読者は、之れが為めに全国良市民の間に播殖し、有形上の損失は、無形上の利益の為めに、相ひ償ふて余りありしは、吾人が欣喜に堪へざる処。
惟ふに『国民新聞』の大新聞たること、及び大新聞中に於て、特色ある位地を有することは、『国民新聞』自から定めずして、社会能く之を定めたるは。吾人が征清の役に際して、微力を致したる効果にして、吾人に於ては、殆んど望外の仕合と謂ふ可し。
吾人は『国民新聞』の社会に於ける、位地の進歩と同時に、其の調子も、多少の進歩を来たさんことを期したりき。具躰的に云へば、毎夕新聞の調子を一変して、毎朝新聞の調子となし。単騎突驟を変じて、正々堂々、大軍を行るの傾向を採らんと欲せり。人或は『国民新聞』は、鈍重に赴けりと非難すれども、其の鈍重は、吾人が竊かに自から期する所にして、其の非難は、寧ろ大ひに感謝する所なくんばあらず。
吾人は戦争未だ中ばなるに際して、早くも戦後の経営に就て、苦慮焦心したる所ありき。而して其の要たる、内に於ては富強の基を鞏ふするにあり、富強の基は、生産の発達にあるを察し、更らに精力の一半を、実業問題に傾けたり。如何に昨年の初より実業上の記事の、『国民新聞』に顕はれ、而して漸次増加しつゝあるは、敏慧なる読者諸君の必らず看破する所ならむ。
吾人が実業上の記事は、惟ふに必らず不完全ならむ。然も我社は之れが為めに、専門記者として、幾多の人を有し、幾多の人を教養しつゝあり。企てたる事は、必らず遂げざる可らず。思ふ事は、必らず行はざる可らず。行ふ事は、必らず成さゞる可らず。吾人は実業を名として、強欲を逞ふするを厭ふ。吾人は実業世界をば、破落戸、若しくは法律以外の強盗たる輩に壟断せしむるを悪む。吾人は紳士の躰面を全ふして、尚ほ実業界の勝利者たる可き、所謂る名教の中、殖産興業の余地あるを信ず。吾人の眼中には、政治と実業との区別なし。吾人が今後実業界に対する位地は、尚ほ従前政治界に対する位地と、同一なるを告白せざる可らず。
実業の方面と同時に、更らに手を拡げたるは、外交の方面なり。世界的知識の普及に就ては、吾人夙に関心する所ありき。故に『国民新聞』は、世界時事の報道者として、亦た世界に於ける思想潮流の観測者として、最初より其特色を有したりき。而して戦後の経営に就て、更らに其の切要を急加したるが故に、我が『国民新聞』は、愈々其の特色を発揮したり。如何に戦争中に於て、欧州列国の日本に対する傾向を報じたる乎、如何に列国局面の変遷を報じたる乎、如何に其の干渉の成らんとするを予報したる乎、將た終局の前後に就て、如何に形勢急転の情状を報じたる乎。抑も亦た現時に於て、如何に航海士が経緯度を観測して、大洋に於ける船の位地を定むる如く、我が大日本の世界に於ける位地を、恒に我が国民に報ずるを怠らざる乎。是等の事は、今更ら吾人が繰り返す迄もなし。但だ世或は『国民新聞』は、外国の記事多きが故に、面白くなしとありと聞く。是れ吾人が嘆惜に堪へざる所なれども、さりとて新聞は、唯だ娯楽のみを主とするにあらず。特に吾人は読者諸君の玩弄物として、新聞を発行するにあらず。故に事若し国家の大事に関渉あるものは、或は諸君の趣味に適せざるものありとするも、少しく寛恕を請はざる可らざるものなからず。吾人は日本的眼孔を以て、世界を観察し、世界的眼孔を以て、日本を観察し、世界を日本に紹介すると同時に、日本を世界に紹介せんと欲す。是れ吾人が一方に於ては、『国民新聞』に、海外の記事を増加し、其の分量に於てのみならず、其の性質に於て増加すると同時に、更らに他方に於て、『英文国民之友』を新刊して、世界の公論に訴へんと欲する所以也。
されば国民新聞は、今後政治、文学、実業、外交等に就て、各その精力を公平に排置せんことを期す。若しそれ極東の大勢に到りては、各地の要所、必らず通信員を設け、歴々として、我が読者諸君の眼中に映ぜしめ、決して脚下より鳥の立つが如き悔を来たさゞらんことを欲す。
吾人は政治を以て、漫に国民物質上の快楽を充たすの具と信ぜず。吾人は政府を以て株式会社となし、国民を以て株主となし。国民の政府に於ける、恰も株主の会社に於けると一般、其の権理も義務も純益配当の一事にありと信ぜず。吾人は天下泰平、国家安全を以て、人類終極の大目的を達したるものと信ぜず。吾人は国民的生活の一致を信ず。国民的生活の要素としては、政治も、文学も、宗教も、実業も、美術も、各其の要求あるものと信ず。詳言すれば、大臣も、議員も、著作者も、僧侶も、軍人も、会社員も、絵画家も、音楽師も、哲学者も、職工も、農夫も、凡そ正経なる業務に従事するものは、皆な応分の天職を有し、而して其の天職は、最後の目的に於て、必らず一致するを信ず。故に吾人の眼孔は、社会の全面に反射せんことを期す。彼の政治、文学、実業、外交を挙げたるは、其の重なる要素にして、且つ当今に切要なるが為めのみ。吾人は将来に於て、多少の画策なきにあらず。然れども、言の出でざるは、躬の〓〔「しんにゅう」に「台」を旁とする、「およぶ」と訓読〕ばざるを恥てなりとの古訓を服膺し、唯だ将来の実行をして、之を説明せしめんと欲す。
志士の世に処する、甚だ苦辛多し。碩学スペンセル氏の如き、其の心理学原理を出版せんと欲するも、書肆の以て応ずるなく、遂ひに自から出版し、僅々たる七百五十部の書籍も、其の幾分は、人に贈与し。その残部は十二年半を経過して、漸く売り捌かれ。其他著作出版の為めに、凡そ十五年間に一千二百磅の損失を来たせりと云ふ。亦た米国に『吾人の日』なる雑誌あり。頃ろ其の主筆博士カツビー氏、読者に訴へて曰く、一千の講読者、更らに次年の講読を申込まず。社運甚だ困しむ。余は徹頭徹尾、無給にて従事せり、然も助筆者には、一百弗の月給を支払ふ可き必要あり。敢て読者の公義心に訴へ、其の寄附を促がし、且つは新講読者を募らんことを願ふと。吾人は一読して、深く同情を表せざるを得ず。而して自個の境遇に顧りみて、実に我が読者の厚情義心を感謝せざるを得ず。吾人が傍若無人、独立独行、言はんと欲する所を言ひ、行はんと欲する所を行ひ、其の道路は、崎嶇険艱なるに係らず、毫も顧慮するを要せざるは何ぞ。幾多未知の知己、同志、社友の吾人の後楯となり、遥かに吾人を擁護し、吾人に声援を与ふるか為めにあらずや。吾人は独り彼等の物質上助力に感荷するのみならず、亦た実に其の精神的幇助に感謝し、更らに将来に向て、深く待望する所あり。然りと雖も、吾人豈に諸君に向て、独り諸君が為めに、其の幇助を哀求するものならんや。所謂る志同じく義合するに於ては、共同の目的に向つて、共同の力を竭すは、人生の通義なれば也。
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(国民新聞、1896年1月1日2面、1785号)


rshibasaki at 17:48コメント(0)トラックバック(0)<徳富蘇峰>  

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