2006年06月13日

総裁宮の辞令書に船夫その行を悛む

「嚮には名古屋市の一博徒が、金鵄勲章を賜はりて、飜然悔悟し、正業に就きたる美談あり、吾人は今亦之に勝るとも劣らざる一美談を紹介するの喜を禁ずる能はざるものあり、岩手県下閉伊郡宮古町に設置せる帝国水難救済会宮古救難所救助夫長某は、元房州の産にして、幼時より狂瀾怒濤と闘ふもの数十年、六尺に垂んとする体躯は、さながら鉄の如く、楫櫂を取つては三陸に並ぶものなしと称せらるゝ、斯界の剛の者なるが、人毎に一つの癖は免れ得ざるものか、同人は第二の天性ともいふべき程の賭博好きにて、二六時中賽をいづくりて、丁よ半よの勝負を唯一の楽みとなし居たり、然れば救助夫長として、同人を推撰するに際し救済会の人々及び該地方の有志者も、頗る考慮する処ありしが、其船舶操縦の伎倆上他に適任者なき為、遂に同人に其旨を話したるに、身を捨てゝ他の危難を救助する同会事業の性質は、いたく彼の意に適し、「面白い、やりませう」と直様快諾し、今回愈総裁有栖川宮殿下の御依托書を彼に下附したるに、如何に慈善事業とは云へ、賤しき身にかゝる貴き方の御名前ある辞令書を拜したる畏さと、喜ばしさとは、深く彼の心魂に徹し、従来の非行を顧みて、つくづく慙愧に堪えず、爾来は命よりも大切にし賽をば忘れたる如く見向きもせず、孜々として其職務に従事し、以て御趣旨に酬ひんことを期し居れりといふ、教育とても無き彼が、此勇敢なる克己の行動は、現今の社会に対して、好個の教訓たるべきか、」
(水難救済会機関誌『海』第8年第2号、明治40年2月25日)

rshibasaki at 18:26コメント(0)トラックバック(0)<水難救済会>  

トラックバックURL

コメントする

名前
URL
 
  絵文字
 
 
Categories
Profile
Recent Comments
Archives
訪問者数

QRコード
QRコード
「日本の伝統と文化」教科書
  • ライブドアブログ