2006年08月30日

水難救済会山口支部 事務報告(1897〜1908年)

1908年5月24日、防府町宮市松崎神社境内酒垂公園を会場に、帝国水難救済会山口支部の発会式が挙行された。その席で、現在の県警本部長に相当する警務長が、水難救済会山口支部のナンバー2、支部副長として「事務報告」を行なった。

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   事務報告
我山口支部の管轄は長門周防の二国にして三面海に瀕し其沿岸に於ける海難は実に多大なり。而して之が救難の事業は他の慈善事業の如く非常の時にのみ其の活動を看るべきものにあらず。県下の地勢上常に海難を救済する用意なかるべからず。之れか救済の設備微々として振はさるは人道の為め大に遺憾とする処なりし。
是に於て明治三十年七月山口県委員部を置き各郡市に郡市委員部を設置し、地方有志の士に訴へ会員募集を図りたるに、続々入会者を得、目下終身名誉会員六拾人、名誉会員七人、終身特別正会員拾七人、終身正会員四千参百九拾四人、正会員五百四拾参人、終身賛助会員壱万四千五百六拾弍人、賛助会員四百六十九人、合計弍万五拾弍人に達せり。
其入会金及寄附金を合して収入せし総額は、金七万弍千三百九拾参円七銭六厘にして、其の内金七千弍百三十九円参拾銭七厘は本会へ納付し、金八千百五拾六円拾銭九厘は各郡市委員部及県委員部経費に充て、金六千九百九拾七円六拾六銭は設備費とし、残金五万円を支部基金として明治四十一年二月三日、支部設置の登記を経、今や社団法人として右基金より生する利子に依りて独立経営をなすの運に至れり。
而して之が救難機関は、救難所五箇所、同支所六箇所、救難組合拾壱箇所を置き、所長以下救助夫に至る総数七百九拾六人の職員を有し、前三ヶ年間に於ける壱ヶ年平均七拾弍万弍千八拾四円の遭難価格に対し五拾五万八千百八拾四円を救済し、人命に於て五百九拾四人の遭難者中五百八拾四人を救護す。以上事実は救難機関が海難者あるを現認し救済したるものにして尚此外に救難機関の設備なきか為め本事業の慈善に浴せすして空しく生命財産を海底に没了するの止むなきもの其数決して尠からざるを知るべし。故に将来之か機関を完備せんには会員其他の賛助に待つにあらざれば其目的を達する能はざる現況なりとす。
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(防長新聞、1908年5月26日2面)

rshibasaki at 19:33コメント(0)トラックバック(0)<水難救済会> | <山口県の諸団体> 

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