2006年10月14日

第4回 西ヨーロッパへの最短経路の変遷(その3)

現代日本への歩み 2006年10月11日(水) 4時限

1. 20世紀初頭における西太平洋の国際電信網
2. ゲートウェー都市としての敦賀
3. シベリア鉄道で欧州のどこまで行けたのか

配布物
1表=図録『開港100周年記念 みなと敦賀の歴史展』(敦賀市立博物館、1999年)第1章「開港以前の敦賀港」4「開港までの歩み」(12ページ、「明治時代」年表を含む)、第2章「国際港・敦賀」1「開港」(13ページ)
1裏=同図録第2章「国際港・敦賀」2「欧亜国際連絡列車」(14・15ページ)
2表=同図録第2章「国際港・敦賀」3「第一期敦賀港改修工事」(16ページ、「大正・昭和(戦前)時代」年表を含む)、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より「シベリア鉄道」のうち「歴史」
2裏=THE INVISIBLE WEAPON: Telecomunications and International Politics 1851-1945, Daniel R. Headric, Oxford University Press, 1991, p.95, "Figer 5. Pacific and East Asian Cables, c. 1905."

[参考]
戦前の国際連絡運輸の沿革、戦前最盛期の日本からシベリア鉄道への経路(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
百年の鉄道旅行---黄金時代の鉄道をめぐる旅

〔講義中提示したエピソード〕
薄久代(すすきひさよ)さん(1944年3月、東京帝国大学附属図書館に勤務。1985年3月、東京大学附属図書館を定年退職)から直接お聞きした話し。東京大学百年史編集室時代のことなので、他の室員も記憶しているのではないだろうか。
開戦前に米国の出版先に予約した学術雑誌のうち、文系のものは、ソ連経由で1年ほどかかって、図書館に届いていたという。シベリア鉄道ルートであった。


rshibasaki at 11:24コメント(0)トラックバック(0)知・歴史学「日本近代の舞台設定」 2004-2013終了  

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