2006年11月01日

防長史談会発会式(明治42年)

「予て在京防長有志間に於て唱道せられたる防長史談会は二十七日の日曜日を卜して歴史に最も因縁を有せる九段靖国神社境内能楽堂に於て産声を挙げ、盛なる発会式を挙行せり。発起者たる本田稔介、河内山英人、船越源一、江原善槌等の諸氏は、早朝より諸般の準備に忙殺され、当日は生憎朝来覆盆の大雨間断なく降り続き、剰へ雷鳴さへ劇しかりしにも拘らず、定刻一時には清水男爵、岡村陸軍中将、江木貴族院議員等を始め会員の会集するもの無慮二百余名に及ぶ。先づ江原善槌氏は発起者を代表して一場の挨拶をなして曰く、抑も本会の創立は寧ろ時勢の必要に迫られて起りたるものにして一朝一夕の事にあらず、回顧すれば開港五十年にして当時長藩と国是を異にせし井伊掃部頭の銅像除幕式問題も紛議せり。飜て今日社界[ママ]の状態を観察せば、殆ど金本位となり、拝金宗と化し去り、世は利益主義に傾き上下挙て品性を害し、学生は栄誉心に駆らるゝの時に際会せり。此時に当て歴史の研究は一の品性の養成となり、先輩の嘉言善行を識ることは哲人君子に逢遇することゝなり、自然品性の陶冶となるものなり。今や仰で朝を観察せば台閣の枢機は防長の先輩に依て充され、即ち伊藤枢密院議長を始めとし、桂内閣総理、寺内陸相、曾禰統監、佐久間台湾総督、大島関東州都督、宇佐川東洋拓殖総裁等悉く防長人ならざるはなし。其他又野には遺賢満ち、今日の防長は全盛時代とも云ふべし。然れども盛時久しからず満れば欠ぐるは世の習、先輩の凋落老衰は早晩免かれず、此時に当り先輩の衣鉢を継承するは吾人青年の責任なりとの要旨を述べ降壇するや、次で磯部検三氏は「長藩奇兵隊脱退の事に関し」藩の旧記に徴して有益なる講演あり。次で村田清風翁の裔孫峯次郎氏は「毛利敬親卿事蹟概要」の演題にて詳細なる二時間余に渉る有益談を試み、次で毛利藩の編纂主任たる中原邦平氏は「長藩勤皇史の概括的観察」の演題の下に尤も趣味ある講演を為し、終て会員一同に折詰弁当を饗し、散会したるは午後七時なり。本会は将来に於ては尤も有力なる会長を戴き、其他役員の選挙も夫々為す筈なれども、夫迄は当分当日推選に係る本多稔介、千々松勝蔵、河内山英人、船越源一、小島七郎、江原善槌の六氏が幹事となり其事務を執ることとなれり。当日来会者の主なるものは男爵清水資治、陸軍中将岡村静彦、貴族院議員江木千之、衆議院議員山根正次、増上寺道重信教、奈良法隆寺執事律口龍教、元裁判所検事粟屋景明、弁護士中村豊次郎、文学士横山達三、法学士太田嘉太郎、白根勝次郎、中原邦平、村田峯次郎、磯部検三、布施清介等の諸氏なり。因に記す。磯部検三、村田峯次郎、中原邦平諸氏の講演は来月発刊の雑誌に掲載して会員に頒つよし」

(防長新聞、明治42年7月2日2面。適宜、句読点を付した)

rshibasaki at 12:28コメント(0)トラックバック(0)【鶏肋】(捨てておくには惜しい史料・発想)  

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