2006年11月12日

在郷軍人懇親会(明治36年5月、山口県阿武郡嘉年村)

日露開戦の前年、緊張感が漂う。現在の山口県阿武郡阿東町嘉年[かね]地区。

「○在郷軍人懇親会  過る十六日阿武郡嘉年村偕楽園に於て、後備陸軍看護手藤井家一、予備陸軍歩兵一等卒佐伯美品等両三名の発起にて在郷軍人の懇親会を催せり。会場は村役場背後の一小丘上にして土地平坦勝山の古城址に接し、南方は遥に十種峯[とくさみね]の聳ゆるを眺め、東北一帯の地は耕野にして北より南に貫く阿武川の流れは恰も帯にも似たり。前方は茫々たる上野の広原にて、遠く石見の国境に連るを見る。四時眺望佳絶にして中央には日清戦役の凱旋記念碑あり。一度此処に昇らば真に意気の慨然たるを覚ふ。入口には大なる国旗を交叉し、諸種の美花を以て現せる嘉年村在郷軍人懇親会場の十一字の大額を掛け、場内には高く幕を張り、数十の机腰掛を以て席を整へ、中央なる記念碑の前には大なる花瓶に黄金を散らせるが如き山吹の今を盛りと咲き乱れたる生花あり。午後二時、吉見喇叭手の吹奏せる喨々[りょうりょう]たる一声の喇叭、遠く山河に響き開会を報ずるや、山下の満寿楼に集へる軍人の多くは、胸間燦爛たる勲章を輝して着席し、嘉年村長助役を初め其他有志者数名亦来場せり。発起者を代表せる予備陸軍歩兵伍長木村今吉氏は、今や農家漸く繁忙の時期なるにも係はらず諸氏が速に発起者の意に賛成して正当の事故者を除くの外、直に参集せられしを喜ぶ、日清、北清の両役以来天下無事幸にして本日斯く一場に会合することを得しは一同の共に慶賀する所なれども、吾々軍人は此太平に馴れて決して安眠高臥すべきの時に非らず、諸氏の知れる如く雲か雨か彼の満州問題の結果は果して如何なるべきか、此際に於て吾人が協力同心以て益々武威の発揚を計るは国家に対する軍人の本分にして刻下の急務ならずや。即ち本日の会合も徒らに娯楽的に非らずして、時勢に鑑み深き慮りの存するに出たるを以て毫も華美に渡らず、専ら質素を旨とせるの所以を陳べ、更に来賓に対しては右の如き主意なるを以て敢て山海の珍味有るに非らず、只各会員が自家有り合せの物を持ち寄りたるものなるを以て、口に其味は薄しと雖も精神の存する所を汲み、充分歓を尽されんことを望むと演べ、村長波多野定彦氏は、本日此の盛会に列席するは栄とする所なりとて此挙の美なるを賛し、夫れより外交目下の形勢を説て警告する所あり、終りに軍人諸氏が今日に至る迄の名誉を益々将来に発揮せんことを臨み、それより数名の祝詞あり、演説あり。終りて大元帥陛下の万歳及嘉年村在郷軍人万歳を三唱して直に酒宴に移り、放言談笑時の進むを覚えず、三名の紅裙[こうくん]は常に其間を周旋して頗る盛会を極め、各十二分の歓を尽して散会せしは上野山麓円通寺の暮鐘阿武川の流れに響ひて金鳥西山に没したる後なりしと。因に言ふ、仝会は当日某氏の発言にて日清戦争の際、朝鮮国平壌船橋里の戦に於て名誉の戦死を遂げたる故陸口歩兵一等卒贈正八位藤井竹一、及北清事変の際天津野戦病院にて病没せる故陸軍輜重輸卒斉藤熊市二名の墓へ、在郷軍人一同の名を以て一名を選抜して参拝せしむる為香花料を寄附し不日実行せしむる由」

(防長新聞、明治36年5月23日2〜3段)

rshibasaki at 16:43コメント(0)トラックバック(0)【鶏肋】(捨てておくには惜しい史料・発想)  

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