2006年11月22日

アーネスト・サトウの証言とその誤訳

「二月四日(訳注 明治元年一月十一日)、この日早朝から備前の兵士が神戸を行進しつつあったが、午後二時ごろ、その家老某の家来が、行例のすぐ前方を横ぎった一名のアメリカ人水兵を射殺した。日本人の考えからすれば、これは死の懲罰に値する無礼な行為だったのだある。
 そのあとで、彼らは出会った外国人を片っぱしから殺害しようとしたが、幸いにも大事には至らなかった。後に外国人居留地となった場所は、当時は広々とした野原で、その奥の端を大きな道路が通っていたが、そこを行進中の備前の兵士が確かに元込銃で突然火ぶたを切ったのである。すると、外国人が平地を横ぎって、ころげるように逃げていくのが見られた」
(一外交官の見た明治維新・下、130頁)

"shot an American sailor"は「一名のアメリカ人水兵を射殺した」と訳されているが、これは「射撃した」あるいは「撃った」とすべきものであろう。一方、萩原延壽氏は、つぎのように訳している。

「二月四日(陰暦一月十一日) 早朝から備前(岡山)藩兵が神戸を通過してゆくのを見たが、午後二時頃、ある家老の行列が一名のアメリカ水兵を射撃した。その水兵は、行列のすぐ前方を横切ろうとしたのである。この発砲につづいて、かれらは出逢った外国人をひとりのこらず殺害しようとしたが、幸いにも大事にいたらなかった。かれらは居留地の奥の端を通る道をすすんでいたが、いっせいに射撃を開始したのである。かれらが使っていたのは元込め銃だったと思う。外国人が、平地をころげるように逃げてゆくのが見えた」
(遠い崖6、172〜173頁)

「若い水兵が一人ともう一人の外国人が軽傷を負っただけで済んだ」(英国外交官が見た明治維新、122頁)とミットフォードは記す。撃たれたアメリカ水兵も命には別状なかったと思われる。

*

なお、『神戸事件---明治外交の出発点』(中公新書681、1983年)において、内山正熊さんは、"shot"を「射殺した」の意味で捉えた上で、つぎのように、アーネストサトウの証言に疑問を呈している。原文を確かめれば、アメリカ水兵が死んだとは書いていないことに気づいたはずである。
「総じてパークス公使以下英国人の記述は、慎重に検討すべきである。パークスは、神戸事件の蔭の主役であるから、この事件について何かと日本側の暴挙であると強調しているのが目立つ。当時パークスを補佐していたアーネスト・サトウの記すところも、神戸事件に関する限り信憑性に欠けているのは、つぎの部分だけ見ても明らかであろう。/アーネスト・サトウは有名な回想録(A Diplomat in Japan, London, 1921, p.319)で、「備前事件」(The Bizen Affair)という一章を設けているが、その冒頭に「二月四日、この日早朝から備前の兵士が神戸を行進しつつあったが、午後二時頃、その家老が行列のすぐ前方を横切った一名のアメリカ水兵を射殺した(shot an American sailor who had crossed the street just infront)」と書いている。これは間違いで、衝突の発端について無知だったことを示している」
(同書、83-84頁)


rshibasaki at 22:03コメント(0)トラックバック(0)<神戸事件>  

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