2006年11月23日

英公使パークスの証言

萩原延壽さんによる記述。
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 神戸の外国人居留地は、海岸に沿って横約六百ヤード(約五百五十メートル)、奥行き約四百ヤード(三百七十メートル)の平坦な土地で、当時はまだ海岸に近い東南の一隅に三つの建物、運上所、保税倉庫、イギリス領事館があるだけで、それ以外は目路をさえぎるもののない野であった。備前藩兵の一斉射撃にあった外国人が、野を駆けて逃げ込んだのはこの三つの建物である。
 神戸の町は居留地の西側に接し、そこを通る街道は居留地の西北の隅をかすめ、居留地の北側に沿って走っていた。
 この日の午後二時半ごろ、パークスはスタンホープ艦長(オーシャン号)、ブラッドショー陸軍中尉などと、居留地の西北の一隅のあたりを散歩していた。そこへジョゼフ・コリンズ(Jeseph Collins)というイギリス人が駆けつけ、事件の勃発を告げた。パークス自身、たまたま備前藩兵が行進していた街道のかなり近いところにいたわけである。

「コリンズは、大名の行列に加わっている兵士のひとりによって殴打されたと云った。そのとき、その行列の先頭が街道を進んでくるのが見えた。われわれとの距離は約六十ヤード(約五十五メートル)であった。コリンズのはなしがまだおわらないうちに、行列が停止した。二十名ないし三十名の槍を持った男が、隊長命令で縦列をつくり、街道上のだれかを攻撃するかの如く、槍を構えるのが見えた。それにつづいて叫び声がおこり、混乱がはじまった。行列の一行は戦闘隊形をとって居留地の野に散開し、わたしやわたしに同行していた士官をふくめて、そのあたりに居合わせたすべての外国人にむかって発砲を開始した。かれらは元込めのライフル銃を使っていたので、射撃は迅速であった。居留地の野には遮蔽物がないので、こんなやり方で攻撃をうけた外国人は、ちょうど反対側の隅にある運上所などの建物に逃げ込む以外に、身を守る方法はなかった。しかし、そこへたどりつくには、敵の砲火を浴びながら、ひろい野を駆け抜けなければならなかった。」

 この一斉射撃によって外国人を威嚇したことを見とどけた備前藩兵は、ふたたび隊伍を整え、西宮方面へむかって行進を開始し、まもなく視界から姿を消していった。
 その後これを追撃するために英米仏の三国が兵を繰り出し、数度の射撃の応酬があった後、備前藩兵の行方を見失ったため、追跡を断念して居留地に引き返してきたことは、サトウが述べている通りである。なお、前述の一斉射撃の前後、外国人側に負傷者は出たが、死亡者はひとりも出ていない(パークスよりスタンレー外相への報告、一八六八年二月十三日付、および附属文書)。
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(遠い崖6、175〜177頁)

rshibasaki at 21:06コメント(0)トラックバック(0)<神戸事件>  

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