2006年11月27日

ミットフォードは、ロングフォード(Joseph H. Longford)を批判する

原文では、"I am such an admirer of Mr. Longford's "History of Japan" that it is with regret that I feel compelled to join issue with him upon his account of this affair, the importance of which he unaccountably slurs over."と書き出している段落は、つぎのように長岡祥三さんによって翻訳されている。
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 私はロングフォード氏の『古い日本の物語』を立派な著作であるとかねがね思っているので、この事件の説明に関し彼と意見を異にせざるをえないのは残念である。彼はこの事件の重要性をなぜか見逃している。現場に居合わせなかった何人かの新聞記者が、何らかの理由で、この襲撃事件の重要性を過小評価しようとし、ロングフォード氏もそれに同調しているのである。実際問題として、この事件はどう見ても明らかに合法的な慣習の破壊であり、人道上の掟を破ったものである。ロングフォード氏は、この事件について、その後の調査のことを彼一流の言い方で、「それはヨーロッパ人が今では誇らしく想えないようなやり方であった」と述べている。
 彼は事件のことを、こう書いている。「備前藩の武士の一隊が家老を護衛しながら、藩主の一行に加わるべく、神戸を通って京都へ行く途中であった。一人のフランス水兵が行列を横切ろうとし、それは日本人の武士たちの目から見ればはなはだしい侮辱と映ったので、阻止しようとしたが、水兵は強引に渡ろうとした。そのかいもなく、槍で小突かれたので、彼は仲間と一緒に逃げ出したが、その中の一人はかすり傷を負っていた。武士たちは彼らの後ろから散発的に銃撃したが、弾丸は当らなかった。銃撃が行なわれた方向にある、新しい外国人居留地の居住者全体に恐慌が起きたようだ。各国の大きな軍艦からおおぜいの軍隊がただちに上陸を開始した」。
 事件についてのこの記述は、最初から最後まで誤りである。ロングフォード氏は、備前兵の指揮をした士官の処刑は不当であったことを暗示しようとしている。私は断言するが、ロングフォード氏の説明は、全く誤解を招くもので、事実に反している。彼は当時、神戸にいなかったが、私はいたのだ。
〔原注〕彼は当時まだ日本に来ていなかった。翌年に見習通訳生に任命されたのである。」
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(英国外交官の見た明治維新、119〜121頁、下線は引用者による)

ロングフォードには、"History of Japan"という著作はない。ミットフォードの回想録が出版された1915年以前に上梓されたロングフォードの著作で該当しそうなのは "The story of old Japan" (初版1910年)である。1973年に復刻されていて、その復刻版が現在でも新刊書として入手可能である。注文してみた。ミッドフォードがどのような歴史語りに対して、激しく反論したのかを確かめることができよう。

「現場に居合わせなかった何人かの新聞記者」には、John R. Blackが含まれているようである。

rshibasaki at 20:26コメント(0)トラックバック(0)<神戸事件>  

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