2006年12月21日

第12回 1891年、『日本国防論』から「兵商論」へ---台湾占領論の前提成立

歴史学供崙蘇拜品と日清戦争再考」 2006年12月21日(木)1,2時限


垣田純朗編『日本国防論』(明治22年1月、民友社)について、『蘇峰自伝』(1935年、民友社)第10章「日清戦役時代と予」一「明治二十七八年役と予」には、つぎのように記されている。川上操六との出会を回顧するなかで、曾我祐準への論及がある。
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従来予は川上将軍とは、何等の縁故も無かつたと云はんよりも---川上将軍が予に対して如何に思うてゐたかは知らぬが---予としては、川上将軍には決して好感を持たなかつた。と云ふ訳は、予は父の執[とも]として曾我老将軍と懇意であつた。而して老将軍と共同して、『日本国防論』なるものを、明治二十一二年の頃『国民之友』に掲げて、手酷く当時の陸海軍に対する批評を試みた。而して曾我将軍等は、当時の参謀次長川上操六、陸軍次官桂太郎等に排斥せられたる人々であれば、その人々が彼等に対して、好感を持つ筈はなかつたからだ。
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(同書、296頁)
もともと、『国民之友』の連載なので、編者の垣田は、それを本に編集する担当者ということである。論考の筆者は蘇峰であると考えてよい。

ところが、1891年8月3日付『国民之友』第126号には、匿名の寄稿家「Q.S.T.」による特別寄書「兵商論」が掲載される。「Q.S.T.」は、水路部長肝付兼行である。(判断の理由はいずれ発表原稿に書く)

この民友社・国民新聞社の国防論の転換、即ち、輕武装の陸軍中心の軍備政策により国防費の抑制を図ることから、民間船舶や海外居留邦人を保護する平時にも有用な軍備としての海軍中心の政策への主張転換は、曾我祐準から肝付兼行へのアイディアと情報源の変更によって発生した。

20061222明治の海軍・平成の海軍
明治の海軍とは、現在の海上自衛隊と海上保安庁を併せた領域を担当する国家組織であった。
明治期における海事とは、現在の海洋開発・宇宙開発を併せたフロンティアを意味していた。

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