2007年05月09日

有地品之允(海軍参謀部長)も、大日本教育会に入会している

大日本教育会雑誌を、1890年〜1895年の範囲を通覧。99号(1890年8月15日)に、論説「海事ヲ論シテ教育家諸君ニ望ム」有地品之允というのが目についた。日露戦争前後の帝国海事協会理事長が、現役時代にすでに、教育というチャンネルに着目している。

書き出しは、「余ハ海軍人ニシテ教育家ニ非ズ、然レドモ、今回大日本教育会会員ノ末席ニ列シタルニ依リ、一ノ海軍人タル資格ヲ以テ、教育家諸君、重モニ中小学ノ教員諸君ニ希望スルノ一事ヲ略述セント欲ス」である。


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コメント一覧

1. Posted by 白石崇人   2007年05月16日 01:45
 いつもトラックバックありがとうございます。コメントが遅くなりました。
 有地品之允は、明治23年7月中に入会しています(日にちまでは不明)。入会理由は演説内容以上のことはわかりません。ただ、当時の大日本教育会は海軍との直接的関係を深めており、有地の入会もその影響かもしれません。
 ちょうどこの年の5月、大日本教育会は全国教育者大集会を開き、この集会の参加者に様々な学校・施設を参観させています。5月31日には、わざわざ横須賀へ連れて行って、横須賀の造船所と海軍軍艦を参観させています。ちなみに、全国教育者大集会の委員長は肝付兼行でした。この辺りの活動を通して、有地は教育会に興味を持ったのかもしれません。
 有地は、ずっと東京府の会員でしたが、明治27年12月5日調査の大日本教育会会員名簿を見ると、広島県の呉軍港官舎にいることになっています。これはやはり日清戦争の影響でしょうか…
2. Posted by 柴崎力栄   2007年05月16日 22:45
明治27年12月には、有地は呉鎮守府長官です。地位に応じて勤務地が呉になっていたということです。

明治23年は、メディアイベントの累積が、それまでと質的に違った年になっているという印象を以前より持っています。また、海軍にとって、年末に召集が予定される第1帝国議会で予算を通すための世論を獲得する目前の必要があった年でした。真剣になるのが当然でしょう。

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