2007年07月10日

第13回 交通体系の変容と地域 --- 近世から近代へ、水運から鉄道へ(2)

2007年7月9日(月)、3時限。

近世(街道を徒歩か馬が歩く、帆船や櫓櫂で運行する船による河川水運と沿岸航路の時代) → 近代(馬車と人力車が街道に登場する、蒸気船が河川と沿岸航路に用いられるようになる) → 近代(鉄道の時代)。

この三段階論を前提とした話しの二回目。

秋田県における主要産物である米の上方への輸送を考えてみる。河川水運で河口積替え都市まで運ばれ、そこから今度は、北前船で関門海峡経由、大坂へ運ばれる。河川水運(支線)、沿岸航路(幹線)という関係があり、その両者をつなぐ都市が河口に存在し、繁栄した。

そうした都市が、他の都市との競争・競合を、近代機近代兇砲覆辰燭箸にどのように考えたのかが今回の主題。

能代(秋田県北部沿岸)
土崎(秋田県中部沿岸、現在の県庁所在地・秋田市の一部)
古雪(秋田県南部沿岸、現在の本庄市)
酒田(山形県、最上川の河口)
新潟(新潟県、県庁所在地、阿賀野川・信濃川の河口)

近代気了代には、物流や交通のルートは変化せず、そこを移動する手段が、馬車・人力車や蒸気船に置き替わっただけ。

ところが、近代兇了代になると、ルートが変更される。鉄道(幹線)、道路交通や水運(支線)となる。同じ秋田県内でも、鉄道を経由して東京に近い内陸の方が「上流」となる。近世には、沿岸地域が上方に近い「上流」だったのと逆転した。


*

こうした場面を迎えたとき、日本海沿岸の他都市は、地域の将来的繁栄を考え、鉄道(国内交通)と海運(海外交通)をつなぐ港湾都市としてライバルに先んじることを目標とした。

鉄道敷設 + 港湾整備 + 銀行・保険

貿易相手先が日本海の対岸が想定されたので、「対岸貿易」という言葉が用いられた。


これは、100年余り後の現在、「環日本海経済圏」という構想が日本海沿岸の道府県で唱えられているのに酷似する。但し、現在では、整備すべき交通網が、現在の最新のものに置き替わっている。

新幹線 + 高速道路 + コンテナ港 + 空港

新潟がこの競争に一歩先んじているように見える。






rshibasaki at 15:05コメント(0)トラックバック(0)「上記2科目のエッセンスで構成」情・日本の歴史 2007終了  

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