2007年09月02日

寺島成信(海軍参謀部編修書記)

『海軍振興論』(1890年11月)、『兵商論』(1891年7月)の著者が、寺島成信であることを発見。肝付兼行を含む何人かの海軍軍人の共同執筆かも知れないと漠然と思っていた。慶應義塾を卒業して海軍に文官として入って数年の若者が著者だったとは驚きだった。

寺島成信は1869年生まれだから、1863年生まれの徳富猪一郎より6歳若い。『将来之日本』『日本国防論』の論旨の一番大切な部分を、論理の力でねじ伏せられたのだから、蘇峰にとっていやな記憶となっただろう。



[2008.03.04追記]
古林亀次郎編『実業家人名辞典』(1911年、東京実業通信社)「テの部」3頁に、寺島成信についてつぎのように記されている。なお、同書には復刻として、立体社(1990年)、および、『日本人物情報大系 32 企業家編2』(2000年、皓星社)がある。
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君は羽前旧庄内藩士、明治二年七月を以て同藩鶴岡に生る、嚴君を成則氏と称し、君は其三男、幼にして頴悟、学を好んで文を能くす、郷閭の異数とする所たり、夙に東京に出て慶応義塾に学び、明治二十二年其業を卒ゆるや、程なく海軍参謀部編纂課に入り、列国海軍の材料を蒐集し、又戦史地誌を編するの任に当り、勤労少からず、居ること五年にして、大に海に関する知識を得、明治二十六年時局に鑑み日本経済会が賞を懸けて天下に日本海運論を募集するや、君直に之に応じて優賞を得、其該博なる識見と流麗なる文とは大に世の喝采を博せり、当時三菱及び郵船会社の重役等は深く其英材に屬望し、三十年遂に郵船会社に拉し来り、日露戦争には大阪支店の助役として功あり、三十九年本店に帰りて監督課助役として其職に盡しつゝあるの傍ら慶應義塾大學理財科の海運業に関する講義を担任す、四十三年春日本戦後の経営と題して大阪朝日新聞一萬号の記念懸賞に当選したるは、君の対外国商工策なりき、別海軍振興論、海事総覧等の著あり、海に関する智識の博大にして深遠なる当代無比と称せらる。(東京市牛込区南榎町六四)
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『近代日本海事史年表』(1991年、東洋経済)には、寺島についてつぎの記述がある。
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<<1923年>> 2.16 日本郵船参事寺島成信、論文「帝国海運政策論」により、東京帝国大学よりわが国最初の経済学博士の称号を受ける. 12.28 『帝国海運政策論』巖松堂書店 出版.
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rshibasaki at 16:33コメント(0)トラックバック(0)<海事・海軍史> | 『日記』 

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