2008年02月24日

金子堅太郎は、もともとは海軍志望だった

1889年から1890年にかけて、貴族院書記官長として議会制度調査のため欧米に赴いた際、なぜに、欧米名士に対して日本海軍に関する意見を聴取し、帰国後それを公表したのかが不思議だった。

本棚の整理をしていて、塩崎智著『アメリカ「知日派」の起源―明治の留学生交流譚』(2001年)を見つけた。188ページに、「金子は最初、海軍の勉強を専攻しようと考えていたが、とくに身体が頑強というわけではないのでやめた方がいいと医師に忠告され、法学に変える」とある。

これで、金子が、後年も海軍に興味をもっていたことが理解できる。


[2008.03.01追記]
「金子堅太郎自叙伝(2)」(日本大学精神文化研究所紀要第28集、1997年3月、106頁)に、「余は日本か海国なるか故に海軍兵学校に入学せんと欲し医師に就き相談したれは、医師曰く『診察する所に依れは別に不適当なる場合はなけれとも餘に頑強なる身体とも見へさるに付貴下か海軍に従事する家柄てなけれは他の専門科を選みては如何』と注意せられたるに依り、父か筑前の藩政に関係したる縁故を以て法科大学に入学することに決定したり」とある。










rshibasaki at 13:17コメント(0)トラックバック(0)<海事・海軍史>  

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