2008年03月09日

神戸事件の際、A・T・マハンは神戸港停泊中のイロコイ号に乗組んでいた

別の目的で、谷光 太郎著『アルフレッド・マハン―孤高の提督』(白桃書房、1990年)を読んでいると、後に海軍理論家として著名となる彼が、幕末から明治初めの時期、日本に派遣された米艦に乗っていたことを知った。

同書第3章「日本来航」冒頭の「1 ニューヨークから長崎経由兵庫まで」は、つぎの文章で始まる。「1867年1月1日、マハンはイロコイ号に乗り組んだ。イロコイ号は、8年前マハンがアナポリスを卒業した年に進水し、長さ198フィート、1488トン、大砲の数は13門である」。艦長はアール・イングリッシュ中佐。マハン少佐は副長であった。

1867年
2月上旬、ニューヨーク出帆。喜望峰経由で
8月21日、アデン着。インド、シンガポールを経由し
12月7日、長崎着。米極東艦隊に編入される
12月(17)日、長崎発、関門海峡、瀬戸内海経由で兵庫へ。
1868年
1月1日、神戸港停泊中。ええじゃないかの乱舞に出会う。

「2 鳥羽・伏見の戦い」には、1868年2月20日付の母への手紙が引用されている。
「2月4日になると、ビゼン公の軍隊がオーサカに向けヒョーゴを通過しました。そのとき、彼らは外国人に発砲しました。イロコイ号の艦上からはよく見えませんでしたが、米、英、仏の各艦から急遽、守備兵を上陸させました」(同書56ページ)

イロコイ号を初めとする当時の艦船については、元綱数道著『幕末の蒸気船物語』(成山堂書店、2004年)に解説がある。


rshibasaki at 13:54コメント(0)トラックバック(1)<神戸事件>  

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