2009年01月28日

「歴史学」2008試験問題

歴史学  柴崎  1年次〜  水曜・4時限  参照許可物等なし

1.下線部に適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。(1個4点、計100点)

(1) 1853年の米国ペリー艦隊来航から現在に至る一世紀半余りは、日本におけるネイションビルディング、すなわち、漢字語で言い換えれば、___________________の発端から成熟までの期間であった。日本の経験をネイションビルディングの一事例として把握することを通じて、他国の現在や近い過去を理解する手がかりとすることができる。第1回「歴史的対比について」で、外務大臣時代に____________________が行った演説「わたくしのアジア戦略」を紹介したのは、この趣旨を説明するためであった。
<(1)の選択肢> 国民国家形成、民主国家建設、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎

(2) 19世紀における文明の中心地、西ヨーロッパから日本にいたる道は、第一に、ユーラシア大陸の南側を大きく回り込むルート。これにはアフリカ南端を船で回るルートと、___________________地峡を地中海から紅海、インド洋へと抜けるルートに分かれる。この地峡に運河が完成したのは ________________________が開通したのと同じ年であった。第二は、アメリカ大陸を横断し、大西洋から太平洋へ出て、日本へと航海するルートであった。第三は、ユーラシア大陸を横断するルートで、ヨーロッパからユーラシア大陸の太平洋岸に至る最初の鉄道が開通したのは、_________________開戦の数年前であった。
<(2)の選択肢>  スエズ、パナマ、ニカラグア、ダーダネルス、マラッカ、シベリア鉄道、ヒジャズ鉄道、北アメリカ横断鉄道、パナマ地峡連絡鉄道、台湾出兵、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦

(3) 国際的な場面の変化を受けて、国内的な状況も変化するが、国内には別にローカルな時期区分があった。技術や制度が変遷する具体的な場面の中で、人々は生まれ、成長し、年老いて、死んでいった。1881年に文部省が刊行した『小学唱歌集』初版に収められた「__________________ 」 の歌詞のうちに「筑紫のきわみみちのおく海山とおくへだつとも」の文言がある。当時、大阪や東京から「筑紫」にいたるには _________________に乗るのが、お金さえあれば最速の旅行手段であった。一方、明治末年、1912年に刊行された文部省『尋常小学唱歌』第3版に収録の唱歌「___________________ 」には、「過ぎしいくさの手柄を語る」「囲炉裏のはたに縄なう父」の姿が歌われている。この父が体験した戦争では、輸送船に乗る港、例えば広島の宇品港までは、陸軍部隊は_________________で輸送され、そこから戦地へ渡海したであろう。この二つの時代の差は、第10回「交通体系の変容と地域」で、「近代機廚了代から「近代供廚了代への変化として説明した。第7回「福沢諭吉著『民情一新』第3章を読む」で配布したプリント、すなわち、_________________が著した自伝小説『冨士』では、1889年に主人公が郷里熊本から上京した時には、まだ、滋賀県内の琵琶湖東岸地域の東海道線は工事中であった。その際「博多から大阪まで汽船に乗つた」山陽道は、1895年2月に帰省する時には、広島まで山陽鉄道が開通し、九州方面への旅客は、途中の港、 _________________から連絡船に乗り、門司へ向うこととなっていた。これも「近代機廚ら「近代供廚悗琉椶衒僂錣蠅鮗┐梗体磴任△襦
<(3)の選択肢> 汽船、鉄道、馬車、人力車、汽車の旅、旅愁、冬の夜、同胞すべて五千万、みがかずば、螢の光、菅公、鉄道唱歌、徳富蘇峰、徳冨蘆花、神戸、姫路、尾道、広島、下関

(4) 三角形を三つ並べた板書で「身分秩序の長期的変遷と参政権の拡大」の話をした。ここでは「身分」という言葉を、________________に区別される社会階層の意味で用いた。第二次世界大戦後、戦後改革以後における日本国籍を持つ者は、大きく「国民」と「皇族」とに分かれる。国民にとっての戸籍に相当するものは、皇族の場合には、___________________であり、ここに名が記されることで日本国の皇族の一員である法的根拠となった。これは、国民の戸籍が民法・戸籍法に規定されているのと同様に、___________________という法律に規定されている。戦後日本における国民と皇族の法的な扱いの最大の違いは、_________________が皇族には存在しないことである。一方、戦前においては、帝国議会の上院、すなわち_________________に、皇族の各宮家の当主が___________________として議席をもっていて、戦後の皇族のあり方とは異なっていた。
<(4)の選択肢> 社会的、法的、経済的、皇籍、皇統譜、皇室典範、皇族法、納税の義務、参政権、貴族院、華族院、衆議院、皇族議員、華族議員、勅撰議員

(5) 第5回「初期の洋行と人材育成(その2)」で、三角形を二つ並べ、日本の場合と、____________________となった経験をもつ地域、民族とを対比させた。前者の日本では、明治維新以後1885年に至るまで、政府が設立した高等教育機関では、留学経験のある日本人、ないし、外国人教師が、___________________で講義を行っていた。一方、法学・工学・医学などを、日本語に翻訳した教科書を用い、日本人講師が日本語で講義する別コースが設けられた。前者の教育方法を、当時、___________________と呼び、後者の外国語能力を学生に要求しない速成コースのやり方を__________________と呼んだ。
<(5)の選択肢> 自治領、独立国、植民地、欧米語、日本語、正規教育、正則教育、速成教育、変則教育

(6) 第4回「初期の洋行と人材育成(その1)」では、1866年に一般庶民の海外渡航が可能となる以前に、当時の中央政府であった_________________が公務派遣した外交使節と正規留学生以外に、現在の言葉でいえば「地方政府」とでもいうべき_________________が派遣した密出国留学生・視察旅行者、さらに、個人的資格で渡航した密航者が存在したことを指摘した。長州が英国に派遣した留学生には、初代の総理大臣となり、日露戦後、初代の韓国統監となった __________________ 、その生涯を通じた親友であり、ともに留学を中断して長州藩と欧米諸国との戦争を未然に防止しようとして急遽帰国した__________________ 、明治維新後に帰国し、鉄道局長を長く務め日本の鉄道の父と呼ばれることになる井上勝などがいた。
<(6)の選択肢> 明治政府、徳川幕府、朝廷、諸藩、天領、府県、伊藤博文、井上馨、井上準之助、林薫


rshibasaki at 16:59コメント(0)トラックバック(0)知・歴史学「日本近代の舞台設定」 2004-2013終了  

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