2009年09月06日

牧野照

牧野照(まきのてらす)を知ったのは、1890年12月10日現在『明治23年 職員録 甲』(内閣官報局)に、海軍編修書記の最先任として名前が載り、1892年1月1日現在『明治25年 職員録 甲』には名前が消えていることに気づいた時だった。1893年7〜8月には、自由党の政務調査委員として、海軍関連の調査に従事している記事が『読売新聞』に見つかる。海軍から自由党への転職はどういう経緯なのか興味をもった。『デジタル版 日本人名大辞典+Pluss』には、つぎのように書いてある

『苫田郡誌』(とまたぐんし、苫田郡教育会、1927年)は、つぎのように同郡出身者の一人として、牧野照について記す。
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照は久田村大字上原牧野岡山の第三子にして、備中の鴻儒山田方谷に学ぶ。後時勢に鑑み東京に出でゝ独逸語を修め、刻苦精励業成りて独逸義塾を起し生徒に教授す。後山田顕義の知遇を受けて司法省に出仕し、次で海軍省に転じ参謀部第二課長となる。板垣退助と意気相投じ、官を辞して自由党に入り、民間の海軍通として党内に重きを為せり。明治三十六年東京に没す。
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死亡年については異説があるようで、1935年に原著私家版が上梓された大植四郎編著『明治過去帳』は、つぎの二つの項目を並列掲載する。
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牧野照 元海軍属 青森県権参事牧野重政の弟にして美作国に生る。後東京に至り独逸義塾を創め、尋で司法省に仕へ、明治廿一年頃参謀本部海軍部第二局編纂課員たり。終に立憲自由党に入る。卅年頃没す。
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牧野照 海軍編修書記にして明治卅七年九月廿三日没す。
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ここまでは、2008年11月に調べた。『苫田郡誌』その他、刊本の範囲での情報は、岡山県立図書館に問い合わせ、コピーを送ってもらった。




rshibasaki at 19:56コメント(0)トラックバック(1)<海事・海軍史>  

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1. 西暦1881年 - 自由党の結成  [ ぱふぅ家のホームページ ]   2009年10月20日 21:30
1881年、板垣退助を総裁とする自由党が誕生するが、2年後に加波山事件が起こり解党する。

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