2012年02月19日

「歴史学供2011試験問題と正解

歴史学供 2年次〜 木曜・2/4時限  参照許可物等なし

1.下線部に適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。    (1個4点、計100点)

(1) 本講義では、1863年(文久3)年に肥後国葦北郡____________(現在は同名の市となっている)に生れ、1957(昭和32)年、静岡県熱海市伊豆山で逝去した徳富蘇峰の生涯を中心に置き、その背景となった19世紀・20世紀の日本史を概観した。蘇峰は、郷里の熊本県で____________運動に加わり、大江義塾を経営した後、公刊された最初の著作であるデビュー作『_______________』の刊行が1886年に決まると上京し、「_____________」「生産主義」「平和主義」を主張した。従来の蘇峰研究においては、この日清戦争前の時期と、日清戦争後から、昭和戦前、太平洋戦争敗戦を経て逝去するまでの後半生に生涯を二分し、対比的に取り上げるのが通例であった。この二分法が通説化したことには奇妙な経緯がある。
<(1)の選択肢> 水俣、熊本、荒尾、尊皇攘夷、自由民権、大正デモクラシー、将来之日本、大日本膨脹論、時務一家言、貴族主義、平民主義、国家主義

(2) 最初に日清戦争で生涯を二分する説明をしたのは蘇峰自身であった。1913年刊『____________』が初出であり、講義中に関連部分を配布した1935年刊『_____________』においてもその説明は繰り返された。蘇峰は、日清戦争前を若気の至り、未熟さがあった時代とみなし、日清戦争以降を肯定的に評価し、現在の自分にいたる時代と位置づけた。蘇峰は、太平洋戦争中に__________________を務め、ラジオ放送に登場し戦意高揚の演説を行った。この蘇峰の姿を見、戦時中の_______________的な蘇峰の言動に強い印象を受けた青年たちがいた。戦後、その世代が担い手となり、蘇峰研究がスタートした。初期の蘇峰研究者は、日本国憲法の平和主義の理念に代表される戦後___________的な価値意識に類似した歴史的先例を求め歴史を遡上し、日清戦争前の蘇峰を「発見」した。こうした事情があり、先ずは、上京直後から日清戦争の数年後まで雑誌『_____________』を発行した時代の蘇峰について研究が蓄積されることとなった。
<(2)の選択肢> 将来之日本、大日本膨脹論、時務一家言、蘇峰自伝、勝利者の悲哀、国民新聞社社長、京城日報社監督、大日本言論報国会会長、国家主義、民主主義、国民之友、蘇峰会誌、欧文極東

(3) 日清戦争講和の___________の国民新聞に掲載された「欧米周遊に就て江湖の諸友に告く」(欧米周遊に出かけるに際した蘇峰から読者への挨拶文)には、1913年の著作や1935年の著作とは異なる三国干渉への論及がある。「我が朝野に於ける世界時務的知識の欠乏」「単に国力のみ進みて、国民の眼界の進まざりし不権衡」が原因となって_______________を引き起こしたとする把握が示されている。
<(3)の選択肢> 一年後、五年後、十年後、遼東還付、台湾占領、韓国併合

(4) 日清戦争前後の蘇峰の社会的活動形態の変化が、国家将来像・組織的基盤・国内政治観の三側面にわたって、1891(明治24)年、および、1898(明治31)年に生じたとする把握(1991年工大紀要に掲載)を講義した。後者の転換点に際し、蘇峰は、1898年8月末で『国民之友』『家庭雑誌』『欧文極東』を廃刊し、9月より『国民新聞』に統合した。これは、________________として国民新聞が遇されることを求めて、日清戦争前には批判の対象とした_______________のリーダーに接近したことにより生じた組織的基盤の編成替えであった。
<(4)の選択肢> 独立新聞、準政府機関紙、準政党機関紙、藩閥、民権派、在野

(5) 1913(大正2)年は、徳富蘇峰の生涯において後半生の発端となった年である。第一に、日露戦争以前から盟友関係にあった長州系陸軍出身の藩閥政治家______________が政治的に失脚し、ついで病死することにより、蘇峰が現役の政治記者である時代に終止符が打たれた。第二に、米国カリフォルニア州で排日土地法が成立したことを知り、欧米系の白人国家を指して「______________」という用語を初めて用いた。以後、太平洋戦争にいたる米国との対立が顕在化し始めた。第三に、日清戦争講和にロシア・ドイツ・フランスが干渉してきたことにより自分は「________________」に目覚めたという言説を用いるようになった。後半生の主な仕事となる『_________________』の執筆開始は1918年からであるが、そのきっかけが生起したのは1913年であった。
<(5)の選択肢> 山県有朋、桂太郎、寺内正毅、藩閥、白閥、力の福音、黄人の重荷、近世日本国民史
公爵桂太郎伝、吉田松陰

(6) 2011年3月11日以降の時代から徳富蘇峰の生涯を捉えた研究はまだ存在しない。蘇峰は、1923(大正12)年9月1日の________________により、国民新聞社の社屋が全焼し、その後の経営再建に失敗した自然災害により影響を受けた歴史上の人物である。いまのところ最新の研究は、2011年3月刊、澤田次郎『徳富蘇峰とアメリカ』である。同書本文末尾で、著者は、「生涯を通じてアメリカと心理的に格闘した蘇峰の体験は、現在のアメリカと日本の関係はもちろんのこと、アメリカと_____________、あるいはアメリカと______________世界の関係を考える上でも、比較の材料をもたらしてくれる」と述べる。2001年9月11日の同時多発テロ以降の世界状勢を踏まえて、日本近代を代表する歴史的人物として徳富蘇峰を位置づけていることが読み取れる。
<(6)の選択肢> 濃尾地震、関東大震災、南海地震、中国、東南アジア、イスラム、ヨーロッパ

(7) 澤田氏の前著、1999年刊『近代日本人のアメリカ観』は、日露戦争から_______________終結までを扱った。この時代は日米対立が漸次増幅し、戦争に至る過程であった。「______________」と題された日露戦争直後の社説で、かつて蘇峰が危惧を示した将来シナリオ、すなわち、日本が有色人種のリーダーとして白人諸国家と戦うという望まない未来像が現実化する過程であった。
<(7)の選択肢> 第一次世界大戦、第二次世界大戦、高度経済成長、東西冷戦、黄人の重荷、朝鮮統治の要義
国民自覚論

(8) 澤田氏の2011年刊『徳富蘇峰とアメリカ』は、日清戦争後、日露戦争にいたる時代において、蘇峰は「シーパワーの日英________が結束してランド・パワーの_____________を封じ込める」という基本戦略を構想したと指摘する。この構想が長い中断の時期を経て、第二次世界大戦後、日米安全保障条約という日米提携によりソ連を盟主とする共産主義陣営の拡大阻止の構想として復活する。蘇峰の全生涯を対象としたことで初めて可能となった澤田氏の最新作の独自な主張である。
<(8)一つ目の空白の選択肢> 清、露、独、仏、米
<(8)二つ目の空白の選択肢> 清国、ロシア、ドイツ、フランス、アメリカ















【正解】
(1) 水俣、自由民権、将来之日本、平民主義
(2) 時務一家言、蘇峰自伝、大日本言論報国会会長、国家主義、民主主義、国民之友
(3) 一年後、遼東還付
(4) 準政府機関紙、藩閥
(5) 桂太郎、白閥、力の福音、近世日本国民史
(6) 関東大震災、中国、イスラム
(7) 第二次世界大戦、黄人の重荷
(8) 米、ロシア



rshibasaki at 17:08コメント(0)トラックバック(0)「徳富蘇峰研究史を通して見る近代日本」工・歴史学2011-2012  

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