2012年08月22日

知財「歴史学」2012試験問題

歴史学  柴崎  3年次〜  水曜・2時限  参照許可物等なし

1.下線部に適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。(1個4点、計100点)
遠目に見ると、A→Cと変化しているように見えるものも、接近して観察するとA→B→Cと、Bの段階が間に入っていたことに気づく。Bの段階として理解できる事例を、講義内容から列挙して見る。
(1) 鎖国により海外との出入が規制されていた江戸時代の日本と、航空機で世界中に旅行に行ける現在との間に、19世紀半ばから20世紀半ばにいたる地表交通の時代があった。大陸を横断する______________________、あるいは、大洋と大洋の間を隔てる狭い陸地である地峡に建設された______________________や大洋と大洋を結ぶ狭い自然水路である____________________を通って世界を結んだ航路により、世界規模の旅行が可能となった。
<選択肢> 運河網、大陸横断鉄道、道路、運河、地峡、海峡

(2) 日本国内における遠隔地交通の歴史を考えると、江戸時代の交通体系と明治時代に始まる鉄道交通の時代の間に、江戸時代と同じ交通ルートを、別の技術段階の交通手段が行き交った時代が存在した。沿岸航路や内陸河川水路においては、江戸時代と同様の動力源の船舶も運航していたが、新たに___________が導入されることで運航速度が向上し、また、定時運航が可能となった。陸上では街道は砂利で舗装され、そこを車輪を用いた交通手段である___________
や____________が行き交った。
<選択肢> 帆船、蒸気船、馬車、人力車、自転車、自動車

(3) 鎖国下の時代と、お金さえあれば一般人の海外渡航が可能となった__________年以降の時代との間に、当時の中央政府である徳川幕府の公務をもつ者のみが正規の海外渡航者であった時代がある。幕府派遣の外交使節、および、幕府派遣の__________が正規出国者の内訳である。また、幕府から見れば密航者であるこれ以外の渡航者には、自分の属する___________の命令による海外渡航者、ならびに、個人的な動機による私的密航者がいた。
<選択肢> 1853、1866、外交官、留学生、藩、府県

(4) 江戸時代以来の伝統技術と、西洋の近代的な先端技術が普及した段階の間には、先端技術の要素を取り入れつつ伝統技術を改良し従来の伝統技術とは質的に異なる生産性をもつ技術が普及した段階があった。第二次世界大戦後の開発援助の経験のなかからこうした技術の発展段階や、その段階にある技術を___________と呼ぶようになった。綿紡績における___________がその実例である。手回しや水車の力でで十数本の糸を同時に紡ぐことができる木製の簡易製糸機械であった。また、輸入した金属製ジャガード織機を、木製フレームで模造した京都西陣の職人の努力も、この技術段階の一例と言えるだろう。
<選択肢> 中間技術、模倣技術、ガラ紡、製糸機

(5) 江戸時代の身分制社会と、現在の日本、すなわち、日本国籍保持者が国民と___________という二つの法的に区別される身分から構成される社会の間に、明治維新から戦後改革までの時代の日本があった。この時代には、法的に区別される身分として、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵という五つの爵位に1884年以降区分されることになった___________があった。
<選択肢> 皇族、華族、士族、平民

また、この講義では、国内の出来事と国外の出来事とを関連づけ、相互の繋がりとして説明することを心がけた。以下はその実例である。

(6) 国外での世界交通の変化と、国内の交通体系の変遷は相互に関連する。世界交通で言えば、最初の北アメリカ大陸横断鉄道が開通し、スエズ運河が竣工した1869年以降、日本から北アメリカ大陸、さらに大西洋航路を経て西ヨーロッパにいたる経路の日本国内からの出発点は__________________港であり、瀬戸内海・関門海峡・上海・香港・マラッカ海峡・スエズ運河を経由し、フランスの地中海沿岸の港町マルセイユにいたる航路の出発点は、神戸であった。シベリア鉄道が1902年に開通することで地表交通の時代はつぎの段階に入ったが、その際、日本国内からの出発点も変化した。日露戦争後、明治末年までを視野に入れると、シベリア鉄道経由西ヨーロッパ行きの日本本土からの出発港は、下関と___________________となった。この変化を目にした日本海沿岸の各府県では、本州中央部と自らの地域を鉄道で結び、新たに整備した近代的な港湾に鉄道を繋げ、さらに、日本海の向こう岸の外国の地域との国際貿易の拠点としたいとの思いから、当時_______________________と呼ばれた地域発展策を試みることとなる。
<選択肢> 横浜、新潟、敦賀、長崎、対岸貿易、環日本海経済圏

(7) まず、19世紀中頃、欧米諸国の艦船が日本近海に出現し、太平洋が航路として着目されることで日本の開国、開港以降の歴史が始まった。明治維新や明治憲法体制は、地球全体が世界規模の交通・通信ネットワークに組み込まれる趨勢に対応した日本の反応から生み出されたものであった。つぎに、第一次世界大戦を契機として、ヨーロッパ文明世界は、第一に、1917年の革命で皇帝を戴く帝国が共産主義国家のソ連に変わった___________________、第二に、ファシズム国家となった____________________、イタリアなど、第三に、民主主義と資本主義を維持したイギリス、アメリカと、三つのモデルに分かれた。こうした情勢の国内への反映が大正時代後半から昭和時代戦前の国内政治であった。さらに、第二次世界大戦後のアメリカ合衆国とソ連との間の東西冷戦の時代に対応した国内政治体制が、_____________________による長期政権だとすると、最後の四番目の時期、すなわち、1991年のソ連解体、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以降の国際情勢に対応したものが、現下の日本の政治の姿であると見ることができる。
<選択肢> ロシア、トルコ、ドイツ、フランス、自由民主党、日本社会党

最後に、近代日本の舞台設定とそこでの出来事を階層構造として捉えた。|詫的条件、地理的条件の上に各時代の技術によって可能となった交通、通信インフラ、そのインフラの上で展開された産業、政治、軍事、教育など各分野の出来事、い修涼罎農犬譟∪長し、年老い、死んで行った各時代の人々による地域、日本、世界への理解とその場における自意識、イ海譴蕕鮟鳥紊箸靴督屬犬觜駝厩餡鳩狙のプロセス。こうした諸側面について講義した。

(8) 明治時代の国民国家形成のプロセスを観察すると、産業、政治、軍事のそれぞれが縦糸として機能した。地域(都道府県や市町村)、日本(日本国家全体)、世界(国際社会での日本の位置)という三領域をつなぐ、政治、産業、軍事の役割が相似形を示す。産業競争では、まず、地域の産物を府県内の共進会や近隣府県合同の地域博覧会へ出品し、その評価が出品元の市町村の評価として参加範囲全体へフィードバックされる。つぎに、政府が主催する日本全体の博覧会である____________________________に各府県から出品された産物は、品目ごとに金・銀・銅メダルなどの賞を天皇臨席の場で授与され、表彰のあり様が全国に報道されることを通じて、受賞地域の名声が日本全国に伝わる。さらに、世界的な博覧会である万国博覧会への出品は、現地での評判が報道記事として国内の全国紙・地方紙に掲載され、出品した府県の評価が日本全国に定着した。政治にも同様の構造があった。当時、府県会・郡会・市町村会からなる地方議会は、総称として              とよばれていたが、まず、その議員を選挙する。その自らの村や町から選出された議員の活躍が地方紙に報道され、府県内の各郡や各市町村における評判となった。つぎに国レベルでは、1890年に第一回総選挙が行われ、第一回______________________が召集されると、速記術によって議事録が作られ官報に掲載された。全国紙も地方紙も議会での演説や質疑を議事録にもとづき詳細に報道したため、地域から選出された議員の活躍が全国的に報道され、国内全域での評価対象となり、その評価が地域に還流するようになる。うちの府県の先生(代議士)たちはこんな活躍をしているという国内各府県間の「お国自慢」の対象となった。さらにその上に国際的な評価の世界がある。議員たちは、日本の国外から投射された「非白人の有色人種の国が憲法を定着させ、議会政治を運営出来るものか」という欧米諸国の視線を意識しつつ議場に臨んだ。その緊張感を選挙区の有権者も共有していた。政治における国際的契機はこうした国外からの評価への姿勢として存在した。
<選択肢> 内国勧業博覧会、全国産業博覧会、地方民会、地域議会、国民議会、帝国議会      

(9) 政治に比べると軍事は判りやすい。軍事における国際的な契機、世界的な評価とは、実際の____________________である。1894年〜1895年の日清戦争、1900年の北清事変、1904年〜1905年の日露戦争への欧米列強からの評価そのものである。ここで重要なのは、当時の軍隊は______________________を基盤として構成された兵士と、職業軍人からなる将校によって成り立っていたことである。全国が師団管区に分かれ、師団管区が連隊区に分かれていたので、連隊番号何番の連隊がどこどこの戦闘に勝利したとか、師団番号何番の師団がどこの地域を占領した等のニュースは、特定の府県や郡から出征した兵士が戦闘に勝利した、あるいは、占領に成功したことを意味した。これも、世界的・全国的な場での地域の評価が世界的・全国的に広まり、その評価が地域にフィードバックした一例である。戦前の日本には「郷土部隊」という言葉があった。当時の日本国民には、地域出身の兵士からなる陸軍部隊が国内的・世界的な場で評価の視線を浴びるという意識があり、日本のなかの我が郷土、世界のなかの我が地域という自意識をもっていたことを示す用語であった。
<選択肢> 戦争、演習、徴兵制、志願兵制

(10) 文部省編『尋常小学歌集』1911年刊は、義務教育の小学校で用いられた文部省編の唱歌集の第3版である。この教科書に初めて掲載された新作の唱歌「__________________________」には、「囲炉裏のはたに縄なう父は過ぎしいくさの手柄を語る」という歌詞が含まれる。(9)で述べた時代を無事に過ごし、自分の子供たちに戦争体験を語る父の姿が歌われている。
<選択肢> 螢の光、冬の夜


rshibasaki at 18:04コメント(0)トラックバック(0)知・歴史学「日本近代の舞台設定」 2004-2013終了  

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