<情報化>

2009年08月23日

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「利用者:柴崎力栄」のページに、昨日、つぎのような文言を書き込んだ。

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==雑感==

===サイバースペース地政学の新たな一章===

かつてのパソコン通信の存立を支えていたものは、当時のネット上における場の希少性だった。希少性のある場をめぐる争いが起こり、その場の秩序維持をめぐって権力関係が発生した。インターネットの出現により、当該場の希少性が消失し、パソコン通信の時代は終わった。

フリー百科事典という仕組みは、サーチエンジンの上位を確保することと、自動転載により書き込まれた情報の伝播を保証するシステムを通じて、パソコン通信がかつて占めた地位に相似した空間的優位をネット上に獲得することに成功している。この優位性が消える時、ウィキペディアの時代も終わるのであろう。

どうやらサイバースペース地政学の新たな一章を見ているようである。(2009年8月22日夕刻記)
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2006年11月11日

「○新聞縦覧所の設置  熊毛郡島田村小倉甚吉氏は夙に公益事業及慈善事業等に尽瘁せるは一々枚挙に遑あらざることなるが、今回島田市大雲寺本堂の一隅を借受け、一般人士に時局の真相を知悉せしめ国家観念を鼓舞せしめんとて、防長、大阪毎日、東京時事の三新聞を午前八時より午後九時迄縦覧に供せらるゝを以て、地方人士一同大に歓迎を表し居れり」

「○日露海戦実況幻燈会  佐波郡防府町の中川小四郎、高木某の両人は、今回例の時局問題たる日露海戦実況写真幻燈を東京より購入し、国家的観念と世の志気を鼓舞せんため、昨廿二日防府町宮市天神座に開会せり。防府所在の各学校生徒は残らず参観に出掛けたる筈」

(防長新聞、明治37年2月23日3面)

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2006年06月11日

【講義の目的】 
1. 工学部生が人文社会系科目を履修する意味を考えさせる
2. 歴史研究方法を鏡(比較対象の素材)とし、学生が自分の専攻分野における仕事のやり方・方法論を考える契機を与える
3. 具体的なデータにもとづき、論文・レポートを書く訓練の機会を提供する。情報化から見た近代日本をそのための素材として用いる

【各週の内容】
第1週 「導入」
   1)科目の説明、2年次以降で履修する科目との関連
   2)大学で授業を受ける心構え、高校との違い
   3)担当教員の自己紹介(教科書・執筆部分冒頭3ページ)
  キーワード:職業、他分野、違和感

第2週 「どのように歴史を学ぶか」(教科書執筆部分4ページ以降の解説)
   1)史実と視角--歴史像の形成過程
   2)過去についての情報の確からしさを吟味する史料批判という方法
  キーワード:対象、視角、史料

第3週 「情報化から見た近代日本(その1)」
   1)現在の日常生活空間におけるメディアとメディア接触行動、
そこから過去へ遡る(ミクロ的接近)
   2)幕末以来のメディア状況の変遷を鳥瞰(マクロ的接近)
   3)小テスト-1の採点基準
  キーワード:メディア、メディア接触行動、事実の記述、問題の限定

第4週 「小テスト-1」
  課題「私のメディア接触行動の特色」

第5週 「情報化から見た近代日本(その2)」
   1)福沢諭吉著『民情一新』(1879年)第3章に見る19世紀後半の情報化(交通と
    通信の発達が社会の変化をもたらすこと)。
   2)小テスト-1の講評。
   3)小テスト-2の採点基準
  キーワード:情報、情報化、問題の限定(再度)、情報源の明記

第6週 「情報化から見た近代日本(その3)」
   1)福沢諭吉が将来予測を試みた1879年と、祖父江孝男が近い過去を回想した
    1988年の間に生じた変化
   2)ある地域社会におけるコミュニケーション環境の変遷(宮崎県日之影町)
   3)農村有線放送、巡回映画の体験談(1958〜1961年頃、栃木県小山市)
  キーワード:都市化、高度経済成長

第7週 「小テスト-2」
  課題「19世紀後半の社会の情報化と、現在我々が経験しつつある情報化とを
     比較し、共通点と相違点とを指摘せよ」


【評価の方法】
二回の小テストを50パーセントずつ。
授業時間中にコメントを求める者には、その場で読んで改良すべき点を指摘。
一週間以内の再提出を認める。その場合、二つの答案のうち良い評価の方を用いる。

【ハンドアウト】
第1週
・A4一枚(各回の概要、小テストを欠席した場合の扱い)
第3週
・A4一枚(表:講義レジュメ、裏:Googleで「メディア接触行動」を検索)
・B4一枚(日本機械学会編『生活を変えた技術』技報堂出版・1997年より、家電製品の普及、電話・テレビについての年表など切貼り)
第5週
・B4二枚(『福澤諭吉著作集第6巻』慶應義塾大學出版会・2003年より、福沢諭吉の1879年の著作『民情一新』第3章)
第6回
・B4一枚(祖父江孝男編『日本人はどう変わったのか----戦後から現代へ』NHKブックス・1988年より、祖父江執筆の「1 都市化の時代と日本人」冒頭の数節)
・B4三枚(寺岡伸悟「情報通信の地域社会史----宮崎県日之影町にみる」、船木亨編『高度メディア社会における社会倫理の実証的研究(I)』pp.19-30、熊本大学文学部、1998年2月)

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2005年09月25日

「○新聞紙の縦覧所 徳山町渡辺右策氏は自宅に防長下之関馬関四方の四新聞紙の無料縦覧所を設けたるが日々十余名の縦覧者ありと」
(防長新聞、明治38年4月18日3面4段)


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2005年07月06日

「○戊辰以来の天候  麻布飯倉なる東京天文台は日々タイム即ち時の観測をなし、午前十一時を期して宮内省なる号砲掛りへタイムの通知を為し、正午十二時には東京郵便電信本局を始めとし、神戸横浜の両地に設置するタイムボール即ち時標儀部へ直接に日々の通知を為す規則にて、此他一週に二回宛中央気象台へもタイムの通知を為すことなるに、本年は天候不良続きの為めタイムの観測を為すこと能はず。日の雲を離るゝを窺ひて僅かに観測するも徒労に属すること多し。又同台教授平山博士は銀河の観測を企図し、全国中夏期に際して天候の良好なる地を全国の測候所に照会して大分県別府を天体観測の適地と認め、六月中旬同地に出張したるも、矢張り天候不順の為め目的を達せずして去廿一日帰京したり。又早乙女理学博士は数ヶ月前万国聯合測地学委員会より着したるポーテプル、トランシツト即ち旅行用子午儀(独逸製)を試用せん為め本邦西南の地へ向け経緯度の観測に従事中なるが、是亦天候の不良に妨げられ定めて困難ならんと云ふ。斯くの如くにして本年の天候は台務の上に尠からぬ妨げを与へたるが本年の天候は要するに奥羽戦争の年と稍類似し爾来絶えて見ざる処なりといへり」
(防長新聞、明治35年9月5日1面2段)

タイムボールについては、「タイムボールって何?」を参照。



2005年7月2日、3日、山口県立図書館にて調査

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「○無筆者調査  各府県においては内務省の内命により各村落の駐在巡査に命令してその村落内における衆議院議員の選挙権を有するものゝ中にて無筆なるものを調査せしめ居れる由なるが、右調査は未だ終了するに至らざれど無筆者は東北地方に多数を占め商工業の盛なるところは極めて僅少の見込なるも各府県を通じて凡そ一割以上なるべしといふ」
(防長新聞、明治35年5月11日1面2段)



2005年7月2日、3日、山口県立図書館にて史料調査

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2005年06月24日

「○台湾内地間の新聞電報  に関し去る一日左の
 省令発布せられたり
  逓信省令第十七号
  長崎上海間海底電信線を経て本邦内地と台湾と
  の間に新聞電報を送受することを得
  前項の新聞電報には明治三十年六月逓信省令第
  十八号を準用す但其一語毎の料金は金三十四銭
  とす本令は本月十日より施行す       」
(防長新聞、明治33年5月5日1面3段)



2005年6月19日、山口県立図書館にて調査

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2005年06月20日

「○新聞縦覧所の設置  都濃郡須金村字須萬市秋本友次郎外二名の発起にて同市へ新聞縦覧所を設け随意に村民に縦覧せしむる由」
(防長新聞、明治33年8月1日3面4段)



2005年6月19日、山口県立図書館にて調査

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2005年06月06日

「●新聞縦覧所設置  阿武郡山田村長前田豊作氏の発起に係る新聞紙雑誌縦覧所は今回奥玉江に開所したり」
(防長新聞、明治41年12月20日3面)


2005年6月5日、山口県立図書館にて調査

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