<山口県の諸団体>

2006年11月14日

「  会員諸君へ広告
来る四月十日神戸港外に於て挙行せらるゝ
観艦式へ本会々員の陪観差許さる拝観
を望まるゝ向は会員章佩用九日正午迄
に神戸市東川崎町五丁目本会事務所へ
御申出の上乗船券を受取らるべし
   東京麹町区八重洲町
      日本海員掖済会
●拝観船は汽船広島丸とす●但乗船員満員に達し
 たる後は陸上観覧場へ案内す●当日船内にて昼
 食弁当を供す●服装男子は洋服若くは羽織袴女
 子は着服御注意の旨           」

(防長新聞、明治36年3月31日4面3段、広告欄)


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2006年08月30日

1908年5月24日、防府町宮市松崎神社境内酒垂公園を会場に、帝国水難救済会山口支部の発会式が挙行された。その席で、現在の県警本部長に相当する警務長が、水難救済会山口支部のナンバー2、支部副長として「事務報告」を行なった。

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   事務報告
我山口支部の管轄は長門周防の二国にして三面海に瀕し其沿岸に於ける海難は実に多大なり。而して之が救難の事業は他の慈善事業の如く非常の時にのみ其の活動を看るべきものにあらず。県下の地勢上常に海難を救済する用意なかるべからず。之れか救済の設備微々として振はさるは人道の為め大に遺憾とする処なりし。
是に於て明治三十年七月山口県委員部を置き各郡市に郡市委員部を設置し、地方有志の士に訴へ会員募集を図りたるに、続々入会者を得、目下終身名誉会員六拾人、名誉会員七人、終身特別正会員拾七人、終身正会員四千参百九拾四人、正会員五百四拾参人、終身賛助会員壱万四千五百六拾弍人、賛助会員四百六十九人、合計弍万五拾弍人に達せり。
其入会金及寄附金を合して収入せし総額は、金七万弍千三百九拾参円七銭六厘にして、其の内金七千弍百三十九円参拾銭七厘は本会へ納付し、金八千百五拾六円拾銭九厘は各郡市委員部及県委員部経費に充て、金六千九百九拾七円六拾六銭は設備費とし、残金五万円を支部基金として明治四十一年二月三日、支部設置の登記を経、今や社団法人として右基金より生する利子に依りて独立経営をなすの運に至れり。
而して之が救難機関は、救難所五箇所、同支所六箇所、救難組合拾壱箇所を置き、所長以下救助夫に至る総数七百九拾六人の職員を有し、前三ヶ年間に於ける壱ヶ年平均七拾弍万弍千八拾四円の遭難価格に対し五拾五万八千百八拾四円を救済し、人命に於て五百九拾四人の遭難者中五百八拾四人を救護す。以上事実は救難機関が海難者あるを現認し救済したるものにして尚此外に救難機関の設備なきか為め本事業の慈善に浴せすして空しく生命財産を海底に没了するの止むなきもの其数決して尠からざるを知るべし。故に将来之か機関を完備せんには会員其他の賛助に待つにあらざれば其目的を達する能はざる現況なりとす。
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(防長新聞、1908年5月26日2面)

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2006年06月12日

「我が水難救済事業の如きは、婦人も亦大に力を尽して貰ひたい。併しこれも愛国婦人会のやうにお祭騒ぎをのみこれ事とせられては困る、あれ丈の大袈裟の会でお祭騒ぎの費用は実収入に幾倍する騒ぎをしても、その実に置いて挙がる所が少いから、物足らぬから、軍人遺族救助とか廃兵救護とか云ふ目的もありながら、然も他に之と拮抗する将校婦人会など云ふのが出来たのでも解る、かゝるお役所風のお祭騒的婦人の加勢は真平である、貴婦人が戦地へでも行かれて、看護に従事せられたのなら得心も行つたが、馬車に乗つて包帯巻に出懸けた位ではあまり、篤志の事とも思はぬ、故に慈善事業には飽くまでも真面目にして、その実の挙ることを主とし徽章を下げてお祭騒ぎにならぬやうにしたいもので、我救済事業もこれのなき婦人の賛助を乞ひたいものである」
(談話筆記「我水難救済事業発展の方針≪善意と徽章に就て≫ 会長伯爵吉井幸蔵」、帝国水難救済会機関誌『海』第8年第4号、明治40年4月25日、1頁)

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2005年07月16日

「○武徳会員の応募者  阿武郡萩警察署管内に於ては、巡査部長吉安源太郎氏巡回の都度、各部落或は最寄りの場所へ町村民中中流以上の有志者を会し、熱心以て直接に武徳会設立の趣旨理由来歴目的等を縷々懇話して、大に会員の募集に尽力したりしが、即席応募する者尠なからず。已に会費収納済みの通常会員六百七十八名の多きに達し、尚外に昨今申込み中のものも三百五六十名ありて、就中最も感ずべきは萩町大字熊谷町小川亀吉及び山田村字玉江浦原田三介の両名にして、一時金五円宛を納め特別会員となりたりと云ふ」
(防長新聞、明治32年4月7日2面3段)

「○武徳会山口県支部の設置  此程の本紙に記載したる武徳会山口県支部設置の事は、本会との交渉纏り愈々設置することに確定せり。右に付、河島保安課長は支部旗請求のため明日より京都へ出張の筈」
(防長新聞、明治35年5月1日2面5段)

「○武徳会支部旗の着山  武徳会に於て山口県支部に対してその支部旗を授与する事となり居れば、それが為め一昨日河島保安課長は京都なる本部に出張、直ちに支部旗の授与を受け帰山の途に着きたるが、多分昨日午後四時頃に帰山する筈なるより、県庁よりは新道附近、湯田派出所は湯田町端[まちはずれ]、小郡警察署は小郡停車場へ出迎をなせり」
(防長新聞、明治35年5月10日2面2段)

「○大日本武徳会支部発会式  前号の紙上に掲載せしが如く河島保安課長は京都に出張して大日本武徳会支部旗を受領し、一昨日午後三時小郡駅に着するや、同地の警察署員は盛んに之れを出迎へ、山口警察署員は湯田町に出迎へ、県庁に到着せしは午後六時頃なりしが、庁員も当日は特に居残りて門前まで出迎へ夫れより警察部に奉置せり。而して支部発会式は来六月上旬に挙行する予定にて、其の準備に着手し居れり」
(防長新聞、明治35年5月11日2面2段)

「○武徳会山口県支部設置に就て  今回武徳会本県支部設置に就ては来る六月中に其発会式を挙げん予定なるが、発会式挙行までには現在会員一万七千余名の外更らに二万人の会員を募集する筈にて、武田本県知事は郡市町村会議員等へ其の依頼状を発送せり。何れ遠からざるうちには小松総裁宮殿下より委員の嘱托あるべく、支部拡張の上は撃剣射的大弓等の演武場をも設置せん計画なりと云ふ。同会に於て設けたる武術家優遇例は左の如し。
   武術家優遇例
第一条 本会の武術家優遇の趣旨を明かにせん
 が為め左の各項の資格を具備する者に就き詮
 衡委員会の推薦に依り総裁殿下の御裁可を経
 て範士、教士の称号を授与す
  範士の称号を授くべき者の資格
 一 斯道の模範となり兼て本会の為め功労ある者
 二 丁年に達したる後四十年以上武術を鍛練したる者
 三 教士の称号を有する者
  教士の称号を授くべき者の資格
 一 品行方正にして本会より精錬証を受けたる者
 二 武徳大会に於て武術を演じたる者
第二条 詮衡委員は会長之を推薦す
第三条 範士の数は各武術を通して三十人を超
 るを得す
第四条 範士教士の称号には其術の名称を冠す
第五条 範士には終身弐拾五円以内の年金を贈
 与す
第六条 本会の教授は範士、教士の称号を有す
 る者より之を招聘す
第七条 範士、教士にして其栄誉を汚辱するの
 行為ありたるときは詮衡委員会の決議に依り
 其称号を褫奪す
第八条 本例施行細則は会長之を定む      」
(防長新聞、明治35年5月14日2面2〜3段)

「○武徳会地方委員(柳井)  柳井地方は旧来武術盛にして武徳会員の如きも非常に多き由なるが、本県支部長武田千代三郎氏は、同地の剣客東剣岩太郎、盛川才次郎、星出善平の三氏に、武徳会山口県地方委員を嘱托せしより、目下会員募集中なりと」
(防長新聞、明治35年5月30日2面3〜4段)

「○武徳会地方委員の嘱托  這回阿武郡彌富村松井賢介、豊田吉太郎、小川村須郷要介、原庄之助の四氏は、武徳会山口県支部長より地方委員を嘱托せられたり」
(防長新聞、明治35年6月3日2面2段)

「○武徳会の加入者  武徳会員募集中の処、山口、宮野、大内、小鯖、平川、吉敷、上下両宇野令の一町七ヶ村に於て入会したる者約二千名ありと云ふ」
(防長新聞、明治35年11月8日2面4段)


[参照] 『山口縣剣道史』山口県剣道史編集委員会・編集、財団法人山口県剣道連盟・発行、2004年10月、p.112〜133。



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2005年07月15日

「○日本海員掖済会山口支部  日本会員掖済会に於ては昨年十一月を以て本県に支部を置き其後ますます其の事業を拡張するに勉めしが、今度其の規則を改正し、従前府県知事は委員長と云ふ名義なりしを支部長と改むると共に本県各郡市長は新たに郡市部委員長を嘱托せられ、尚ほ吉田書記官は副支部長に、又た白上警部長、小倉参事官、及び赤間関市の瓜生寅、甲藤求巳両氏は共に特別委員を嘱托せられたり。斯くの如くして掖済会はいよいよ其の事実を拡張し、殆んど赤十字社の組織の如くして大いに会員を募集する筈なりといふ」
(防長新聞、明治32年2月23日2面2段)

「○海員掖済会幹事の談話  日本海員掖済会幹事渡辺節蔵氏は一昨九日午後二時三十分より同三時四十分まで、阿武郡会議事堂に於て、大田郡長、益田課長列席の上、掖済会設立の趣旨目的、海員要請の必要、同会の経歴等を談話し、且つ入会を勧誘したりしが、参集者は椿郡東分村、山田村等の有志者十余名ありたりと云ふ」
(防長新聞、明治33年3月11日2面4段)

「○海員掖済会演説  昨廿日午後六時より馬関裏町本行寺に於て、日本海員掖済会常議員中村六三郎氏の業務拡張の演説会を開催せり」
(防長新聞、明治34年10月29日3面2段)

「○日本海員掖済会へ加盟者  吉敷郡より日本海員掖済会へ加盟したる者は未だ一人もなかりしが、此度仁保村長高木正之進氏は入会せしに付、一昨日本会より同氏に対し会員章及び締盟状を送付せり」
(防長新聞、明治35年4月18日3面4段)

「会員諸君へ広告
来る四月十日神戸港外に於て挙行せらるゝ
観艦式へ本会々員の陪観差許さる。拝観
を望まる向は、会員章佩用九日正午迄
に神戸市東川崎町五丁目本会事務所へ
御申出の上、乗舩券を受取らるべし。
 東京麹町区八重洲町 日本海員掖済会
●拝観船は汽船広島丸とす●但乗船員満員に達し
たる後は陸上観覧場へ案内す●当日船内にて昼
食弁当を供す●服装男子は洋服若くは羽織袴女
子は着服御注意の事                 」
(防長新聞、明治36年3月31日4面3段)
 
〔註〕
現在の社団法人日本海員掖済会のホームページにある「掖済会のあゆみ」。

明治末〜大正初期に三省堂書店から刊行された『日本百科大辞典』には「日本海員掖済会」の項目はない。


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2005年06月06日

防長新聞を眺めていたら面白い記事に出会った。水難救済会も、山口県の事例では、警察官が会員(寄付者)募集に従事していたので、この訓令の影響を受けたと思われる。その点から、目にとまった史料である。


「原内相大浦男の確執について
              武徳会員募集の件
  此頃は内務大臣と大浦男爵の間に何か
  確執ありし旨報道せる新聞ありしが今此
  事に関して東通記者が当局者より確聞せ
  る処なりと云ふを左に掲載せん
客年原内相が各府県知事に向て一の訓令を発し、警務長以下各警察官の如き平素尤も威厳を保ちて人民の保護者とならざる可からざる者が、彼の日本赤十字社と云ふ、又は愛国婦人会の如き、或は武徳会の如き団体に対して、社員と成る事を勧誘し或は寄付金募集の尽力をなすが如きは、避く可き旨を戒飾せられしに、地方長官中には右訓令の旨意を誤解して、警察官に限らず知事以下各事務官又は郡町村長の如きに至る迄一切之に関与する可からざる者の如くに速了したる者ありしを以て、武徳会の役員たる渡辺昇子及び北垣国道男両氏は、こは容易ならざる事なりとて両氏相携へて原内相を訪問し、如此き訓令を下したる趣意如何を質問したるに、内相は意外の感に打たれ、こは大なる間違にて予が訓令の趣意は武徳会のみならず赤十字社の如き、愛国婦人会の如き、其他すべての公共団体の会員募集とか寄付金募集などの事に付て、従来警察官が運動がましき事をなすが如きは公安を保護する職責を有する警察官のなすべき事にあらざるを以て、将来は警察官に限り之れに関与せざる様にとの訓令を発したる迄にて、貴下等の関係され居る武徳会のみを云ふたるにあらずと語られたるに依り、渡辺北垣両氏は、然らば地方官中に閣下の訓令を誤解して警察官以外の各行政官迄是等の事に尽力すべからずとの考をなし居る者ある故、此の誤解を解く為めに更に訓令を発せられたしとの意見を開陳したるに、原内相は、此の為めに特に訓令を発する程の事もなければ、何れ地方官召集の場合に誤解なき様注意すべしとの約束をなし、其侭と成り居りし処、今回地方官会議ありしに付き、前記の両氏は再び内務大臣を訪問し、更めて訓令を下されたるや否やを質問に及ばれたるに、原内相は、未だ訓令せざるにより直に其手続をなすべしとの確諾を得、原内相は此程伏見宮殿下が内務大臣以下地方官を御招き相成りたる砌り原内相より其旨を各地方官に注意し、警察官以外の各行政官吏が武徳会々員募集其他公共団体の事に尽力するは少しも差支なしとの注意を促がしたる事が、一二の新聞に誤解されて大浦男(武徳会々長)と原内相との間に確執のあるが如くに言伝ふるに至りし者なり云々」
(防長新聞、明治41年5月3日1面、引用に際し適宜読点を付した)

〔参照〕原敬日記、渡辺・北垣の来訪と談話を記す明治40年8月11日の条。
「要するに彼ら〔渡辺・北垣〕は従来警察官を利用して武徳会の為めに働かしめ、今は四十万円斗りも醵金を得て大浦兼武会長となり色々の事に之を利用し居たり」

警察官が現場で指揮を執るという点で、公設消防組と水難救済会は類似性がある。その寄付金集めを行うにしても、赤十字社や愛国婦人会とはやや性格が異なるのではないか。実際のとこをもう少し探索・考察が必要。


余談。渡辺昇は、明治42年か43年の記事を見ていたところ、武徳会の大会で、全国の県支部からの高段者と立ち会い、また、掛り稽古の受け手をしていた。武徳会に関係しているというのは組織の長であるだけでなく、「剣客」としての修練を続けているという面もあった。



2005年6月5日、山口県立図書館にて調査

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