『日記』

2009年06月15日

大学受験時代に数度熟読した現代文の参考書が復刻された。ちくま学芸文庫の一冊、高田瑞穂著『新釈現代文』である。

1972年度、大塚駅近くの武蔵高等予備校に通った。同校で、万葉学者、中西進さん(当時は成城大学)の「現代国語」の講義を聴講した。中西さんは、当時、高田さんの成城大学での同僚であることを今回、知った。指導内容が高田『新釈現代文』と似ていて当然である。








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2009年05月19日

今回のメキシコ風邪の大阪市での流行のピークはもう終わっているのではないか。4月下旬の連休に入る前に、季節はずれの発熱をする者が、身近にいた。わたくし自身は4月30日(木)の夕刻、37度台前半の発熱があり、「涼解楽 (銀翹散)」「板藍茶 (板藍根)」「白花蛇舌草」を通常量の2倍、一度に摂取すると、20分ほどで平熱に戻った。

今年の春は、西の大陸から流れてくる黄砂や煙霧がきつくて、そちらの症状がひどく出ている。なにが原因でどの症状になっているのか、判りにくい。しかし、インフルエンザは、一週間の休講期間で終わってしまうと思えてならない。


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2009年05月18日

メキシコ風邪とでもいうべき新型インフルエンザのため、大阪工業大学は今週いっぱい休講となった。(正確には月曜日3時限から24日(日)まで)。

今週金曜日、22日に予定していた「人文社会入門機廚両テスト−2は、一週間後の29日(金)に、行うことになる。

また、人文社会研究室関連でレポートなどの提出締め切りがあるものは、すべて、一週間締め切りを延期する。(今週は学生の構内立ち入りが禁止されているため、これ以外の対応方法があり得ないため)。

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2009年03月19日

昨日は、日帰りで東京に往復した。大阪では、喉頭から下がヒリヒリと痛くなるのに対して、東京では、喉頭から上がむず痒くなる。大阪は「大陸からの大気汚染+黄砂」だとすると、東京は「黄砂+花粉」と表現するのがふさわしい。
午後8時過ぎ、大阪市内に西から吹き込む風が、久しぶりに肺の奥に吸い込むことのできるきれいな大気だった。

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2009年03月15日

先週の水曜日、3月11日(水)から大阪市内はひどいことになっている。最悪のピークは17日(火)になりそう。今年は、つぎのような組み合わせで対処している。

1. 腎陰虚と肝陰虚を補うため、独活寄生湯(イスクラ「独歩丸」)。

2. 肺と気管支の不快感を取るために、小陥胸湯(剤盛堂「結胸散」)。

3. 肺陰虚を補うために、辛夷清肺湯(ツムラのふつうのもの)。---肺陰虚から虚火が生じ、首から上に皮膚症状が出てくるのを抑えるために、早めに多めに摂る。

4. ものもらい、帯状疱疹、神経節の痛みなどへ対処するために、板藍根(イスクラ「板藍茶」)。

5. ウイルス、細菌、化学物質など肺から血流中に吸い込んだ諸々のものを排泄するために、イスクラの「板藍茶」+「白花蛇舌草」+「涼解楽」(銀翹散)。

6. もともと中焦に湿熱が溜まり易い体質で、気温が上昇する時期に気の上亢が生じやすいので、茵陳五苓散(KTS)+大柴胡湯(1日当たり大黄が2.0gのもの)。それでも足りない場合には、三黄瀉心湯を加える。

7. からだに合った水を多めに摂る。


→比較: 2008年版

→参考: 中国からの大気汚染

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2009年02月14日

一昨日、2月12日(木)より、黄砂がやってきた。同時に、大気汚染も西の大陸から流れてきている。昨年5月8日に当カテゴリーに書いた方法(但し服用量は少なめ)で、仕事を継続できる状態を保っている。

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2009年01月19日

昨日、東京で時間が少し空いたので、上野の東京国立博物館で開催の「未来をひらく福沢諭吉展: 慶応義塾創立150年記念」を見学した。現在の時代の理解可能な範囲での福沢についての展示になっているだろうと予想した通りだったが、一つだけ意外なものを発見した。福沢が愛用した居合刀で、晩年まで鍛練をつづけたという。帰宅後、ネットで調べて見ると、達人レベルの実力があったらしい。この基盤の上に、福沢の言論活動があったと理解すると、福沢について違ったイメージが得られそうだ。

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2008年10月11日

2008年10月4日(土)、東京へ日帰り。国会図書館へ行く。

(1) 寺島成信述『交通政策』(昭和2年東大講義)、全冊複写申込み。
(2) 『海事外報』2,4-19号(日本郵船、明治34-35)。通覧したところ、この少し後に、帝国海事協会の機関誌『海事雑報』に「Q.S.T.」名で連載される海事情報と同様の調査をしていることが確認できた。
(3) 日清戦争前の東邦協会の機関誌『東邦協会報告』を見る。松方正義が会頭の副島種臣とほぼ同額の寄付を東邦協会にしていることが判る。また、9号に、肝付兼行「西伯利亜鉄道に対する日本の開港場を論す」が掲載されている。当時の地政学コミュニティとでもいうものが成立していることが窺われる。

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2008年10月01日

9月30日(火)、東京へ日帰り。防衛省防衛研究所図書館史料室へ行く。

(1) 昨年8月29日に訪れた時には書庫内で行方不明だった『軍備論集』が直ぐに出てきた。平成時代に寄贈された図書扱いの印が捺してあったので質問すると、昨年私が訪れた後、探し出して、登録したもので、最近どこかから寄贈を受けたのとは違うとのことだった。後の時代になって、史料の由来について混乱を来しそうなので、どこかの論考で、この経緯は言及し、記録して置く必要があろう。全冊、撮影による複写を申し込む。

(2) 『海軍公報』大正12年を通覧し、寺島成信「海運政策」講義が行われた第一回海軍臨時講習会が同年に行われたことを確認した。
『海軍公報』3174号(大正12年5月15日)「辞令/大正12年5月14日/清水澄/末広嚴太郎/小林丑三郎/太田哲三/細貝正邦/寺島成信/薄井周介/和田清/粟津清亮/河合良成/坂口竹之助/山崎宗直/秋保安治/勝田一/二階堂保則/第一回臨時講習講師嘱託ヲ解ク」。
『海軍公報』3291号(大正12年10月10日)には「経校第60号 大正12年10月8日」が載っている。9科目分9冊の講義録の有償配布中、関東大震災が起ったため、申込み・支払・発送の途中での事故について配布を受ける対象者に対応を場合分けして指示した内容。

今回紀要に翻刻することにした寺島成信「海運政策」講義録は、防衛研究所には所蔵されていないことを確認した。紀要が出る頃、原本を寄贈することにする。

[2009年3月18日、防衛研究所に原本を寄贈した]。

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2008年08月25日

ある日清戦争についての本を読んでいたら、長崎の唐通詞の家系に属し、明治維新以後外務省職員となった鄭永邦が出てくる箇所で、朝鮮の人と誤認されているのに出会った。昔々、伊藤博文関係文書(塙書房刊)の編纂時に、日本人であると知って驚いたことがある。懐かしい思い出である。

『対支回顧録』下巻、32〜39頁に、外務省職員となったこの一族、鄭永寧(父)、鄭永昌(長子)、鄭永邦(第二子)の三名の履歴が記されている。

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2008年07月13日

「海上権力をめぐる海軍と徳富蘇峰」という原稿を書き上げた。1991年に勤務先の紀要に載せた下記の論考で未解決になっていた問題に回答したつもりである。

「日清戦争を契機とする徳富蘇峰の転換について----海軍力と国際情報への着目」(大阪工業大学紀要人文社会編 36-1、1991年)


[2011年11月15日、追記]
この原稿はボツになった。再度書き直したものが、2011年10月末に紀要に載せた「国家将来像と陸海軍備をめぐる海軍と徳富蘇峰」である。但し、上記ボツ原稿で気になっていた問題はあと半分残っている。

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2008年06月04日

5月31日(土)、6月1日(日)に呉市で開催された軍事史学会大会に出席した。いろいろと参考になった。

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2008年05月21日

工学部共通科目「歴史学」「歴史学」を担当して頂いている松村寛之さんの新しい論考「イデーとしての日本---萩原朔太郎と近代」が、本日届いた『日本史研究』549号(2008年5月)に掲載されている。

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2008年05月19日

5月17日(土)・18日(日)、京都産業大学で開催された戦略研究学会第6回大会に出席した。共通テーマ「戦略と情報---情報史研究の最前線」。ここでは、インテリジェントヒストリーを「情報史」と表記する。軍事史学会と共通する出席者もそこそこにいたが、それ以外の方々も多く目にした。学会としての創立期の終りに当たっているようであった。創立時から会費は払っていたが、実際に出席したのは今回が初めてだった。

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2008年05月08日

昨日と本日、大阪市にいて、濃い黄砂と大気汚染物質がからだにこたえる。授業をする際、話し続ける必要があるため、どうしても多く肺に吸い込む。

1. 八仙丸(味麦地黄丸)を36錠(標準の1.5倍量)。腎陰と肺陰を補うため。
2. 結胸散を一袋。気管支から肺の炎症を抑えるため。
3. 茵陳五苓散を午後から夜にかけて2袋。五苓散と茵陳蒿湯を一袋ずつ。肺から体内に入った汚染物質を解毒・排泄するため。
4. 銀翹散+板藍根+白花蛇舌草というインフルエンザや風邪に対するのと同じ組合せで、肺から血流中に入ったウイルスや細菌に対抗する。
5. 水を沢山飲む。茵陳五苓散、五苓散、板藍根、白花蛇舌草の排尿作用で尿量が増える。

これでなんとか持ちこたえている。


参考: 「黄砂・煙霧(スモッグ)で病気」(神戸市三宮「岡田上鍼灸院」)

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2008年04月26日

試行錯誤の結果、腎陰と肺陰を補うために摂ってきたイスクラの八仙丸(味麦地黄丸)の分量が、標準の8丸を8時間毎に3回/1日では足りないことがわかった。その1.5倍程度の摂取が必要である。

その上、茵陳五苓散ないしは茵陳蒿湯+五苓散、および、微量の大柴胡湯を加えることで、肝臓の解毒作用と、腎臓の排泄作用を促進し、全体として上手く行くように思える。

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2008年04月14日

先週、7日(月)から始まった今期学期の担当科目はつぎの通り。すべて工学部の科目である。

水-4 「日本の伝統と文化機
木-2 「歴史学機
木-3 「歴史学機
金-1 「人文社会入門機(後半7週)
金-3 「人文社会入門機(後半7週)
金-4 「人文社会入門機(前半7週)

このブログで毎週の内容を記すのは「歴史学機廚世韻箸垢襦



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2008年04月08日

シラバスに書いた通りの順番と内容で講義することを再確認する。講義で取り上げる4人、井上敏夫寺島成信肝付兼行有地品之允と対比するため、伊東祐亨東郷平八郎山本権兵衛佐藤鐵太郎小笠原長生の5人を加えた表(↓)を作成した。



20080410配布資料

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2008年04月02日

先週、気管支から肺の炎症は消えて結胸散は不要となり、今週に入って肺経の虚症も去って辛夷清肺湯も要らなくなった。帯状疱疹の跡については茵陳蒿湯が合う。頸やこめかみに時々残る刺すような痛みは、五苓散で散らすことかできる。茵陳五苓散ではなくて、茵陳蒿湯と五苓散が別々に必要なのは、多分、清熱瀉下の大黄が要るからか。以上は、肺経の虚火上亢の後始末である。
それとは別に、肺の奥まで吸い込んだ黄砂に付着していた細菌やウイルスが血中に入ったものがまだ体内に微量残留しているらしく、大脳をフルに使うためには、涼解楽(銀翹散)+白花蛇舌草+板藍茶(板藍根)を摂る必要がある。

本日の大気は、ひどく汚染されている。一ヶ月前のわたくしと同じように、屋外に干したシーツなどを媒介にして、呼吸器を害するひとが出ないか心配である。

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2008年03月22日

肺経の虚火は消え、帯状疱疹は治癒しつつある。しかし、肺経の虚症が残る。昨秋以来、時々この状態はあったので、体内的な要因というよりも、黄砂嵐がもたらす有害物質へのからだの反応である可能性が高い。八仙丸(味麦地黄丸)+結胸散(小陥胸湯)+辛夷清肺湯でいちおう穴を塞ぐことはできている。


参考: 「黄砂・煙霧(スモッグ)で病気」(神戸市三宮「岡田上鍼灸院」)

トラックバック先: ブログ「海洋戦略研究」エントリー「黄砂嵐
トラックバック先:ブログ「化学物質過敏症奮闘記」エントリー「中国から飛来する黄砂に「ジクロルボス」が含まれていた。

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2008年03月18日

8日(土)頃から兆候が始まった不調は、結局、首から頭にかけて右半身に帯状疱疹が出た。発熱と激痛があり、しばし自宅静養とした。なにがいけなかったのかよく考え、来年への反省としよう。

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2008年03月14日

3月に入り啓蟄を過ぎるころから、それまでの「六味丸+白花蛇舌草」では対処できないほどの気の上亢が生じて、堪らなかった。虚から火を生じて、心火・肺火・脾火の上亢が生じていた。なお、肝については特に問題は生じていない。

今日、近くのイスクラの製品を扱う漢方薬局に行き、製品名「瀉火補腎丸」=処方名「知柏地黄丸」を購入してきた。六味丸の場合よりもこの方が、気の激しい上昇を防ぐ力が強い。



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2008年03月12日

この数日、気候が急に春になったのに、それ以前と同じように海馬補腎丸を摂っていたため、温めすぎになっていたようである。喉に風邪が取りついたのとは別件で、肺熱が嵩じて上亢し、右のこめかみに刺すような痛みを生じ、さらに、百会付近と右耳の後ろの骨の付近に吹き出物を生じていた。辛夷清肺湯の適合がつづいているのも傍証となろう。海馬補腎丸は、冷房病の真夏、そして、来冬に再登場してもらうこととして、それまでは仕舞っておこう。とりあえず、湿熱を取り除くのには白花蛇舌草で対応できる。

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2008年03月11日

昨夜より、右の喉の奥=気管支付近と、頭の真上=百会近くにピンポイントで痛み。気管支に炎症が起こりかけているのが原因で、いろいろな症状が出ていたらしい。辛夷清肺湯と結胸散で和らぐ。体温はからだ全体としては平熱のまま。

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2008年02月20日

建国記念の日に、6年ほど使っていたシャープの17インチ液晶モニターが色が不鮮明で目が疲れるので、ナナオの20インチ液晶「EIZO Flex Scan S2000」に交換してみた。すると、4年前に買ったパソコンのグラフィックカードGeForce5200が経年変化のため突如落ちるようになった。ファンの付いていない型を選び、
(1) Radeon7000
(2) Geforce6200
(3) Radeon9250
と、三種類のカードを購入し比較してみたが、(1)が文字の鮮明さという点で一番よい。2001年発売で、描画速度も遅い(1)が最も眼精疲労が少ない。これを使うことにした。

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2008年02月17日

自分一人の担当科目は、2月12日(火)に採点を終了している。共同担当科目「情報の世界」は8日(金)に三人の担当者の点数が揃い成績報告書に記入して教務課に提出した。

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2008年01月07日

当ブログのデザインを、「オーロラ」から「ハッピーチューイヤー」に変更したのは大晦日だった。松の内もあけるので、今回それを「ハッピーチューイヤー」から「スタンダード(ブルー)」へ変更した。

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2007年12月27日

研究室の外の廊下を歩くと、先週まで壁に面して積み上げられていた廃棄物品が撤去され、きれいになっている。定年退職した元同僚が使っていて、以後、まったく用いられることのなかった教具類、廃棄年限の来たパソコン、特定の収納目的に特化した什器類など、償却年限を過ぎたものを廃棄申請し業者に引き取ってもらった。16ミリ映写機もそのなかに含まれる。メディアの変遷、時代の変わり目を意識する時である。

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第一に、漢方薬の合わせ方、微調整の仕方がかなりわかってきた。六味丸をベースに考え、まず腎陰虚を補う。そのことで、脾胃湿熱の茵陳五苓散の適合になったり、気が上昇して大柴胡湯や三黄瀉心湯の適応になったりすることが抑止できる。夏は冷房病にならないように用心し、万が一体を冷やしたら、当帰芍薬散で対処する。冬は六味丸に加える海馬補腎丸を増量し、からだの芯の冷えに対処する。

第二に、爪もみ靴下との出会いが大きい。これと加圧トレーニングとを組み合わせると、自分のからだ自体のもつ自己調整能力を上手く引き出すことができる。長い距離を歩くことも苦にならなくなった。

第三に、日照時短の少ない季節のビタミンDの効用を実感できたことである。晩秋から初冬にかけての気分の落ち込みは物質的原因のあるものであった。

第四に、睡眠中に口呼吸にならない工夫として、冬場は横向き寝が有効であることを確認した。起床時、からだが楽である。

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第一に、明治24年8月〜9月の『国民之友』に「兵商論」を寄せた匿名の寄書家「Q.S.T.」が、海軍編修書記の寺島成信であること。これを発見したことが、今年の最大事であった。1991年に大阪工大紀要に載せた拙稿以後、停滞していた徳富蘇峰研究をこれにより進展させることができる。

第二に、海権論の提唱者としての海軍という把握に確信がもてるようになった。井上敏夫や、肝付兼行の言説がその典型である。2005年・2006年と山口県の水難救済会を防長新聞から見ていたなかで井上敏夫の退役前後の軌跡を知り、さらに、平間洋一さんの研究に導かれてこの問題群に出会うことになった。

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