<義勇艦隊>

2007年05月09日

大日本教育会雑誌を、1890年〜1895年の範囲を通覧。99号(1890年8月15日)に、論説「海事ヲ論シテ教育家諸君ニ望ム」有地品之允というのが目についた。日露戦争前後の帝国海事協会理事長が、現役時代にすでに、教育というチャンネルに着目している。

書き出しは、「余ハ海軍人ニシテ教育家ニ非ズ、然レドモ、今回大日本教育会会員ノ末席ニ列シタルニ依リ、一ノ海軍人タル資格ヲ以テ、教育家諸君、重モニ中小学ノ教員諸君ニ希望スルノ一事ヲ略述セント欲ス」である。


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ブログ「教育史研究と邦楽作曲の生活」発言「大和ミュージアム」

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2006年08月05日

海事協会を海軍協会と誤読・誤記する例がある。本来の歴史上実在した海軍協会は、土田宏成さんの研究している団体で、創立は1917年(大正6年)10月、機関誌の創刊は1922年(大正11年)3月である。

ところが、国会図書館や国立公文書館の電子目録を検索していると、それ以前の時期に「義勇艦隊」建設募金や「船級検査」を行なっている団体として「海軍協会」という団体が存在するような項目が散見される。→国立国会図書館近代デジタルアーカイブポータル。→国立公文書館についてはつきの画像をクリック。
海軍協会



これは、「海事」協会を、「海軍」協会と誤読・誤記したのに違いない。草書体でも活字体でも「事」と「軍」は似ているし、海「事」協会という団体の存在を事前に知っていないと、海「軍」協会といういかにもありそうな団体名として読んだ上で、書いてしまうことになる。

また類似例として、逓信省編『逓信事業史』第6巻(財団法人逓信協会、1941年2月)の目次において、第十篇「管船」のうち、第七章を「海軍団体」と誤記している。なお同巻本文では第七章「海事団体」とある。本来、目次でも「海事団体」と記されるべきものであった。


[2012年7月6日(金)追記]
国会図書館HPから「問い合わせ」にメールして訂正していただきました。


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2005年10月09日

「○義勇艦隊に就て  権利あるものは必ず責任あり。我が国民は今回海戦に於ける大勝利と共に東洋の制海権を掌握せり。随つて将来海上に於ける商業の安全を担保し及び航海権を拡張するが為めにも政府の艦船のみを以て足れりとせず、別に国民共同を以て義勇艦隊を私設せんとするの計画あるは最も喜ぶべきことに属す。帝国海事協会は此の目的を以て去廿三日晩餐会を開き、理事長有地品之允氏は其の希望の大要を述べたり。曰く、海事協会は平時に於ては海上の運輸、難破船の救助、引上げ船舶の評価、海事思想の普及等に尽力し、戦時に於ては義勇艦隊を組織し帝国海軍の一端に供へんとするに在りて兵商併び行ふを以て其の事業と為せるが、時局は恰も義勇艦隊の創立を促すを以て茲に多年の素志を実行せんことを期し、艦船は二等巡洋艦以下のものを十艘を作ることゝ為し、一隻百五十万円とすれば千五百万円なるにより、凡そ之を人口に割当て赤十字社の事業に倣ひ資金を募集せんとするに在りと。今や経済上に於ては都鄙窮迫の際なりと雖も、此等の時勢に急要なる計画に対しては、国民たるもの相当の醵金を拒まざるべし。然るに余輩は義勇艦隊組織の計画に附帯して別に希望するものあり。他なし、平時に於ける義勇艦隊の事業として、大に遠洋漁業を保護せんこと是れなり。或は艦隊の一部を以て遠洋漁業に従事するも亦た可なり。郡司大尉の占守島経営は一時人気を惹きたりと雖も、今日時局の結果よりいへば殆んど児戯に等し。戦後に於ける本邦の漁区は北方に向つて殆んど無限に拡張せられんとす。現に本県人の経営に係る砲殺捕鯨の如きも更に北進するを得べく、樺太島附近の獵虎[ラッコ]漁の如き、膃肭臍[オットセイ]漁の如き、総て大組織を以て従事するの価値あるものなり。軍事の目的よりいへば義勇艦隊に向つて此の如き事業を慫慂するは稍や失当なるやの感ありと雖も、唯に慈善心若くは義勇心を以て千五百万円の巨額を募集せんとするは容易の事業に非ず。亦此の資金を募集し得て義勇艦隊を創立するも、之が経常費は莫大なるべし。故に寧ろ大組織の漁業を目的として艦船を造り、戦時に於て之を義勇艦隊に特用せば、国富国威両ら[ふたつながら]之を全くするを得ん。敢て計画者に注意す。」
(防長新聞、明治37年8月27日2面1段、社説欄。句読点を適宜付した)

rshibasaki at 04:22コメント(0)トラックバック(0) 
「○遠洋漁業者の義勇艦隊  本邦遠洋漁業者は時局切迫の為出漁危険を慮り過日海軍省へ照会する所ありしに、同省にては一時見合す方然るべしとの挨拶あり。依て漁業者は本年に限り韓国附近にのみ出漁せんとの相談ありしも、是とて開戦の場合には到底出来得可からざる事とて、寧ろ漁業者全体にて一種の義勇艦隊を組織せんとて其相談中なり」
(防長新聞、明治37年2月6日2面3段、句読点を適宜付した)


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