「情報化から見る近代日本」工・人文社会入門 2005-2013終了

2006年10月18日

1973年4月、東大教養学部に入学した。その年度、一般教育の西洋史は弓削達さんの講義を選択した。歴史学方法論を前期に、後期はローマ帝国論を内容とした講義。夏休みの宿題に、木村尚三郎さんの著書の中公新書を書評せよという課題が出た。本のタイトルは、『歴史の発見―新しい世界史像の提唱』であった気がする。

世代が、一つ半、回転した。という感慨

現在の人文社会入門の教科書の内容は、弓削さんの講義を聞いたことから考え始めた内容となっている。大学院時代を終える頃までかかった考察の結果である。

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ローマ史研究の弓削達・東大名誉教授が死去

古代ローマ史研究の第一人者で、東大名誉教授の弓削達(ゆげ・とおる)さんが14日午後10時57分、肺炎のため死去した。82歳だった。
葬儀は17日に近親者で済ませた。後日、「お別れの会」を開く予定。喪主は長男、康史さん。
東京都生まれ。東京商科大(現一橋大)卒。日本学術会議会員、かながわ人権フォーラム会長なども務め、住民基本台帳ネットワーク反対運動でも中心的な役割を果たした。主な著書に「ローマ帝国の国家と社会」「世界の都市の物語5 ローマ」など。
フェリス女学院大学学長を務めていた1990年4月、他のキリスト教系大学の学長と連名で大嘗祭(だいじょうさい)に反対する共同声明を発表した直後、自宅に銃弾が撃ち込まれた。
(読売新聞) - 10月18日1時12分更新
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<訃報>木村尚三郎さん76歳=歴史学者、エッセイスト

フランス中世史の研究者でエッセイストとしても知られる東大名誉教授の木村尚三郎(きむら・しょうざぶろう)さんが17日、死去した。76歳。自宅は横浜市磯子区森6の25の20。葬儀の日取りや喪主は未定。愛知万博の総合プロデューサーも務めた。「ヨーロッパとの対話」で日本エッセイストクラブ賞を受賞。
(毎日新聞) - 10月18日1時59分更新
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2006年06月28日

かつて1990年代中頃、工学部1年次科目「人文社会入門」では、高度経済成長時代の生活上の変化を、インタビューして報告するというレポートを課していた。
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課題:高度経済成長の時代に生じた生活上の変化について、直接の体験のある人たちから、体験談を聞き取り、人文社会原稿用紙5枚程度(ワープロの場合は適宜な書式で)にまとめて、提出しなさい。
解説:
(1) 「高度経済成長の時代に生じた生活上の変化」とは、配付した参考資料のプリントに出てくるようなものを考えている。初めて、車を買ったとき、最初の洗濯機、テレビはいつ家にあるようになったか、などなど・・。祖父江孝男編『日本人はどう変わったのか 戦後から現代へ』(NHKブックス535)14〜21ページを参照のこと。
(2) 「直接の体験のある人たち」とは、両親やその他の年長者(局瑤粒慇犬把樟榲時のことを知っている人は、自分自身の経験を書いてもよい)。
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伊藤隆編・レーザーディスク「昭和史」(NHKサービスセンター制作)のうちから、5「都市と村の歳月」(1987年刊)を見せて、参考資料として『日本人はどう変わったのか』の冒頭8ページを配付し、その上で、インタビューをさせた。

このやり方が一番上手く行ったのは、1990年代中頃までだった。集団就職で大阪に来た父母の物語が出てきたりした。その家族で初めて4年制大学に進学したのが学生本人であるという場合も、それなりの割合となっていた。ところが、1990年度も後半に入ると、徐々に、期待したような内容のレポートが集まらなくなった。高度経済成長を同時代史として取り上げるには時間距離が開いてしまった。1999年度から、現行の課題「私のメディア接触行動の特色」を用い始めた。メディア接触行動ならば、学生一人ひとりに自分自身の事実があることを前提に、講義を構成できる。

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2006年06月11日

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 「どうしてこんな授業するんですか」と急に聞かれてもこまる。たしかに専門分野でない学生に対して難しいかもしれない。だが、今は一回生である学生のみなさんも、卒業するまでにはそれぞれの学科での卒業研究を通じて自分の専攻分野における初歩的な訓練の仕上げをするであろう。そして、大学院に進学するにしても企業に入るにしても、それぞれの専門の範囲で「専門的素養を要求される」ことになる。情報の収集、吟味、加工、の仕方という点で歴史研究と似た判断力を必要とするしごとは多い。後輩を育てる責任をもつようになると、「自分たちの分野のしごとの組み立て方の基本はなにか」「なぜこのようなやり方を採るのか」を考える必要に迫られる。この講義の内容を、そうしたときに、他分野のあり方として、自分たちのやっていることをより客観的に理解するための比較の素材として用いてほしいと思う。そのために私は、自分の経験を、できるだけ客観的に大づかみに話してみたい。

 大学2年の時に、理学部地質学科への進学予定者の野外実習に、教養学部の地質学の先生にお願いして、現在は言語学としてロシア語をやっている友人と2人で、同行したことがあった。栃木県の葛生への日帰りである。地質学と歴史学とではデータの扱い方、対象とする事実群とデータとの関連など共通するところが多い一方、明らかに違っている所もある、という感想をもった。共通するのは、直接手に触れることのできないことを入手可能な情報から論理的推測を交えつつ頭のなかに組み立てていくやり方。過去に起こったことの痕跡は、非常に僅かしか残っていない、その僅かしか残っていないものの中でも、入手可能、利用可能なものは、さらに僅かな部分である。それを利用して、全体の姿(過去の社会の歴史的変化や、大地の構造とその現在にいたる過程)のできるだけ近似的な像(イメージ)を組み立てていく。ここまでは一緒。しかし、地質学は、すなおにデータを残す自然が相手で、騙されるとしたら、自分で自分を騙している場合のみ。ところが、歴史学が対象とするのは人間社会であり、記録は歴史の場面にいた当事者が語ったり、書き残していったものとして残る。意図的に嘘を語る、知っているのに知らない振りをする、都合の悪いデータを破壊するなどの「人間の作為」から切り離すことはできない。この点が大いに違っていた。私の場合、地質学の分野の基本的なしごとのやり方の一端に触れたことが、古文書解読などの史学科での基本訓練に耐えるための心の支えになった。この講義を聞くことになったみなさんにも、将来、専門の世界で同じようなことが起こってほしいと願っている。

 大学の3年の時のことを思い出す。専門学部に進学して、演習に出席するようになり、過去の事象のとらえ方や、史料の読み方などの史学科の学生としての基礎的訓練を課せられていたころのことである。「なぜこのようなことをするのだろう」という疑問が頭の真ん中に生まれ、どうしても取り除けなくなってしまった。指導教官に聞いても、まだ早い、という調子であしらわれるだけだし、同級生や先輩に聞くのもこけんにかかわるようでできない。しかし、この疑問を迂回して先へ進むことはできなかった。仕方がないので、自分で考えることにした。

 高校時代や大学時代に、クラブ活動をやっていて部の運営について悩んでいるとき、つぎの二つの頭の働かせ方が同時に生じていたことを思い出した。あれと同じだなと感じた。そのころ、第一に、「部の運営とはそもそもどういうものなのだろうか」という疑問をもち、他の学校の同種の部と比較し、また、同じ学校の他種目の部と比べて、無意識のうちにも、部活動ということの一般的なあり方を追求していた。原理原則への問いかけ、対象の一般的な構造を把握しようと努力していた。第二に、「うちの部がこのような状態なのはどのような過去の経緯からなのだろうか」と、自分が入部する前の時代からの歴史を遡るという検討作業に、頭が自然に向いていたことも思い出す。現在にいたる具体的な事情の累積を、先に考えた一般的なあり方と対照しながら、分析的に把握しようとしていた。また、この過程への問いかけが、先の一般的あり方についての仮説を生むということもあった。たとえば、「うまく行っている部に共通するこの要素がかけているために、うちのクラブはなかなか上向かない」という把握ができるということである。この二つのアプローチは、互いに他によって促進され、当面しているクラブの運営問題についての考えを深めてゆくことになった。

 進路問題、将来の設計に悩んだ高校から大学にかけての時代には、また、自分のあり方について深刻に考え込んだ時でもあった。この場合も、「自分はどのような人間なのだろうか」という一般的な問いと、「このような人間に自分がなったのはどのような経歴のためだろうか」という過去への問いが、同時に、絡み合いながら、頭のなかを駆け巡っていた。

 以上の二つの事例からもわかるように、個人として過去に真剣に問いかける時の人間の認識の働きは、学問的な形での歴史的人間社会への問いかけを縮小した形をしている。当時、史学科の学生として、現在の時代に生きている多くの人たちを代表して過去のことを研究するのは初体験であったが、それまでにも、自分の個人史(パーソナルヒストリー)を振り返ることはなんどかやっていた。「この二つは同じ構造をもっているらしい」と気づいた。小学生の時、中学生の時、高校生の時、それぞれの時代に、それより以前の幼稚園時代の自分をどのようなものとして思い出していたかが、思い返された。その様は、明治維新、自由民権、帝国憲法、日清戦争、日露戦争、といった出来事が、その時代から離れるにしたがって、それぞれの時代状況のなかでどのように理解されてきたのかに、酷似していた。


 以上は、本学着任の数年後、学生からの質問に対し、咄嗟に思いつくままを、言葉を選びつつ語った内容そのままである。すなわち、自分と自分の環境を真摯に理解しようとするとき、歴史に問いかけ、そこから何らかの知恵を学びとるという一連の行動がはじまる。以下では、この過去への問いかけ方を人間行動の一つとして検討する。過去に問いかける時の二大要素である「過去をとらえるための視角の設定」(2、3、4節)と「過去を復原するための史料の扱い方」(5、6、7節)についてが具体的な内容となる。その際、近代日本における情報化の歴史を具体的事例として用いることとする。
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(岡田三津子編『人間・その総合的理解』、八千代出版、2006年4月、柴崎執筆分・第4章「どのように歴史を学ぶか」より「1 過去に問いかける」)

[註] 学生の質問に咄嗟に答えるという応答があったのは、着任の翌年、1989年度のことであった。1990年版より、そのエピソードを冒頭で紹介することになる。さらに推敲を加え、ほぼ現在のかたちになったのは、1993年版からである。なお、学生への応答直後にワープロに打ち込んだ内容を可能な限り手を加えず教科書に収録したため、文章語としては文体が整っていないところがある。

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【講義の目的】 
1. 工学部生が人文社会系科目を履修する意味を考えさせる
2. 歴史研究方法を鏡(比較対象の素材)とし、学生が自分の専攻分野における仕事のやり方・方法論を考える契機を与える
3. 具体的なデータにもとづき、論文・レポートを書く訓練の機会を提供する。情報化から見た近代日本をそのための素材として用いる

【各週の内容】
第1週 「導入」
   1)科目の説明、2年次以降で履修する科目との関連
   2)大学で授業を受ける心構え、高校との違い
   3)担当教員の自己紹介(教科書・執筆部分冒頭3ページ)
  キーワード:職業、他分野、違和感

第2週 「どのように歴史を学ぶか」(教科書執筆部分4ページ以降の解説)
   1)史実と視角--歴史像の形成過程
   2)過去についての情報の確からしさを吟味する史料批判という方法
  キーワード:対象、視角、史料

第3週 「情報化から見た近代日本(その1)」
   1)現在の日常生活空間におけるメディアとメディア接触行動、
そこから過去へ遡る(ミクロ的接近)
   2)幕末以来のメディア状況の変遷を鳥瞰(マクロ的接近)
   3)小テスト-1の採点基準
  キーワード:メディア、メディア接触行動、事実の記述、問題の限定

第4週 「小テスト-1」
  課題「私のメディア接触行動の特色」

第5週 「情報化から見た近代日本(その2)」
   1)福沢諭吉著『民情一新』(1879年)第3章に見る19世紀後半の情報化(交通と
    通信の発達が社会の変化をもたらすこと)。
   2)小テスト-1の講評。
   3)小テスト-2の採点基準
  キーワード:情報、情報化、問題の限定(再度)、情報源の明記

第6週 「情報化から見た近代日本(その3)」
   1)福沢諭吉が将来予測を試みた1879年と、祖父江孝男が近い過去を回想した
    1988年の間に生じた変化
   2)ある地域社会におけるコミュニケーション環境の変遷(宮崎県日之影町)
   3)農村有線放送、巡回映画の体験談(1958〜1961年頃、栃木県小山市)
  キーワード:都市化、高度経済成長

第7週 「小テスト-2」
  課題「19世紀後半の社会の情報化と、現在我々が経験しつつある情報化とを
     比較し、共通点と相違点とを指摘せよ」


【評価の方法】
二回の小テストを50パーセントずつ。
授業時間中にコメントを求める者には、その場で読んで改良すべき点を指摘。
一週間以内の再提出を認める。その場合、二つの答案のうち良い評価の方を用いる。

【ハンドアウト】
第1週
・A4一枚(各回の概要、小テストを欠席した場合の扱い)
第3週
・A4一枚(表:講義レジュメ、裏:Googleで「メディア接触行動」を検索)
・B4一枚(日本機械学会編『生活を変えた技術』技報堂出版・1997年より、家電製品の普及、電話・テレビについての年表など切貼り)
第5週
・B4二枚(『福澤諭吉著作集第6巻』慶應義塾大學出版会・2003年より、福沢諭吉の1879年の著作『民情一新』第3章)
第6回
・B4一枚(祖父江孝男編『日本人はどう変わったのか----戦後から現代へ』NHKブックス・1988年より、祖父江執筆の「1 都市化の時代と日本人」冒頭の数節)
・B4三枚(寺岡伸悟「情報通信の地域社会史----宮崎県日之影町にみる」、船木亨編『高度メディア社会における社会倫理の実証的研究(I)』pp.19-30、熊本大学文学部、1998年2月)

rshibasaki at 13:57コメント(0)トラックバック(0) 
着任した1988年度には、「人文社会総合」(通年4単位)であった。1994年度より「人文社会入門」と改称。1999年度からは、前期「人文社会入門機(2単位)・後期「人文社会入門供(2単位)と、学期毎に成績評価することになった。

大阪工業大学工学部では、人文社会系の個別科目「哲学」「倫理学」「美術史」「文学」「言語の世界」「法学」「経済学」「歴史学」「心理学」は、2年次以上での履修となっている。1年次に配当されるのは「入門」だけである。

前期14週・後期14週をそれぞれ2区分し、各学科ごとに1教室に集めた1年次生に対して、7週完結の講義を行っている。学生は、1年次に4人の人文社会系専任教員から講義を受けることになる。成績評価は定期試験を行わず、平常点を以てしている。


この科目でどのような講義をしているかを記すために本カテゴリーを置いた。


rshibasaki at 13:00コメント(0)トラックバック(0) 

2005年08月09日

大阪工業大学工学部の夜間課程は、今年4月の入学生を最後として募集を停止する。その最後の学年に出講し、前期14週のうち、前半の7週間を担当した。科目「人文社会入門 I」である。

「私のメディア接触行動の特色」
(学生が自分自身の<メディア接触行動>について事実を記述し、他者や以前の自分と比較し、その特色を考察する)

「19世紀後半の社会における情報化と、現在我々が経験しつつある情報化とを比較し、その共通点と相違点を指摘せよ」

二つの課題について、事前に採点基準を詳細に説明し、下書きに対してコメントし、最終答案の出し直しを認めるというやり方で書かせた。それぞれ、4週目と7週目に実施した。非常に意欲的でいい答案が多かった。

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