「上記2科目のエッセンスで構成」情・日本の歴史 2007終了

2007年07月31日

2007年7月30日(月)、3時限。

定期試験の回答。希望者に成績の内示。工学部・知的財産学部にはない試験後の1回の講義だった。

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2007年07月30日

日本の歴史  柴崎  情報科学部・2年次〜  月曜・3時限  参照許可物等なし

1.下線部に最も良く適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。 (1個2点、計100 点)

(1) 第3回「情報化から見た近代日本(その1)」では、第2回で示した対象と視角との関連の具体例を示した。1853年の______________以来現在にいたる150年余りの日本社会を、情報化という視角から観察し、そこに見える歴史像を捉える。図「______________________________」を示して、いま現在の我々の生活のあり方を確認するところから始めた。そこでは、我々が生活する社会的空間を物質的側面と_______________側面が重なり合って成立している二つの面の相互関係として捉えた。続いて示した図「_____________________________」は、国内の中央から地方都市、地方都市から個々人の生活の場である_________________に向って情報の流れるルートの複数化・緻密化と、海外との出入り口、すなわち、横浜・神戸等の___________________の所在の問題を示した。後の回の内容で言えば、「19世紀の世界交通と日本」や「交通体系の変容と地域」への導入となる内容であった。

<選択肢> ペリー来航、開国、開港、渡航解禁、日常生活空間の構造、国全体から見た日常生活空間の位置づけ、メディア下降の長期的パターン、地理的、メディア的、インフラ的、交通的、地域、大都市、ゲートウエイ、ネット ワーク


(2) 第5回「情報化から見た近代日本(その2)」では、_______________著『民情一新』(1879年刊)と、________________編『日本人はどう変わったのか』(1988年刊)を対比的に用い、109年離れた二つの観察地点から見た近代日本の姿を示した。前者がこれから発生する変化として予測し、後者がすでに終った変化として捉える____________についての着目が共通する。なお後者の副題は「戦後から現代へ」である。この戦後とは第二次世界大戦の戦後であり、現代とは1988年現在である。この間に日本社会に生じた変化は_______________である。

<選択肢> 福沢諭吉、福沢桃介、祖父江孝男、都市化、地方分権化、高度経済成長、産業革命


(3) 第6回「情報化から見た近代日本(その3)」では、__________県______________という特定の地域社会に着目して情報通信の変遷を追った論考、寺岡信悟「情報通信の地域社会史」を配布した。肉声で叫ぶことでコミュニケーションする_______________という手段から始まり、電話とテレビが普及するまでの変化を跡づけている。

<選択肢> 大分、熊本、福岡、宮崎、佐賀、鹿児島、長崎、都城市、延岡市、熊本市、高千穂町、湯布院町、日之影町、回覧板、集団電話、オラビテ


(4) 「19世紀の世界交通と日本」では、19世紀中頃以来、日本から________にいたる最短経路がどのように変遷したのかを扱い、「______________」の時代における変化と「______________」の時代における変化との間に、類似したパターンが発見されることを指摘した。後者の時代におけるジェット旅客機の登場に相当するのが前者の時代における_________________を動力源とする長距離交通機関、すなわち、蒸気船の登場と大陸横断鉄道の建設であった。陸海空どの場合も、このような新しい技術レベルの交通機関の登場によって、地球上の2点を最短経路で結ぶ__________________が可能となった。このルートを採って以来、横浜・サンフランシスコ間の航路が、___________________付近を通ることになった。なお、後者の時代における米国アラスカ州________________・北極上空経由ヨーロッパ行きの経路に相当するのは、前者の時代においては、1869年のサンフランシスコと米東部を結ぶ最初の北米横断鉄道の開通であり、シベリア上空経由ヨーロッパ行きの経路に相当するのが、1902年の__________________の開通であろう。

<選択肢> 西欧、北米、地表交通、航空交通、蒸気機関、内燃機関、大圏航路、等角航路、北方のアリューシャン列島、南方のグアム島、マラッカ海峡、ヘルシンキ、アンカレッジ、ナホトカ、シベリア鉄道、ヒジャズ鉄道、シルクロード鉄道


(5) エジプトのスフィンクスの前で撮影したサムライ姿の日本人一行の集合写真を、講義のなかで配布した。ある本のカバーである。この写真に写る日本政府の代表団が紅海から地中海へ______________を越えた時、そこには運河が_________________。また、ジュール・ヴェルヌ作『八十日間世界一周』の作中人物の世界周遊ルートは、インド付近を除けば、明治新政府が欧米各国に派遣した_______________の世界周遊コースと同一である。その使節団に副使の一人として参加した______________は、サンフランシスコにおける歓迎会で、自ら書き下ろした答礼演説を、英語でスピーチしている。のち、明治時代の代表的な文官政治家となるかれは、徳川幕府が___________年に一般人の海外渡航を解禁する前に、________藩から派遣されて______________に留学した経験があり、英語を話すことが出来たのである。

<選択肢> スエズ地峡、パナマ地峡、コリント地峡、マラッカ海峡、ジブラルタル海峡、喜望峰、すでに完成していた、未完成であった、遣米使節団、遣欧使節団、岩倉使節団、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、井上馨、井上勝、1854、1866、1874、肥前、薩摩、加賀、長州、英国、米国、フランス、ドイツ、ロシア


(6) 敦賀・下関が日本でいちばんヨーロッパに近い都市となったのは、____________________の10年間ことであった。対岸から西ヨーロッパにいたる欧亜連絡の鉄道は、_________________が1917年に発生すると一時不通になったがその後再開し、第2次世界大戦中には、同鉄道経由の日本とソ連の首都との連絡は_______であった。

<選択肢> 19世紀最後、20世紀最初、ロシア革命、フランス革命、ドイツ革命、可能、不可能


(7) 「初期の洋行と人材育成」で、小熊英二著『インド日記----牛とコンピュータの国から』を示したのは、日本の明治初期にも、______________となった経験をもつ諸国・諸地域と同様、___________教育機関における講義が欧米人により________________で行われた時代があったことを説明するためであった。日本で1885年まで行われたその種の教育を、_______________と呼ぶ。一方、多人数の実務家や現場の技術者を短期間で育成する必要に迫られて採用された______________という方法も用いられた。____________教師が、日本語で講義した。この後者の方法が、高等教育と義務教育の間に存在したことが、日本の特色である。

<選択肢> 敗戦国、植民地、高等、初等、日本語、現地語、欧米語、正則教育、正規教育、変則教育、速成教育、日本人、欧米人


(8) 「交通体系の変容と地域」では、近世→近代帰近代兇箸いΩ鯆未涼奮的変化が地域にもたらす影響を、東北の秋田県を事例として考えた。近世から近代気悗琉楾圓砲蓮交通経路の変化は発生せず、近世と同じ経路を運航・運行する交通手段が変化し、置き換えられた。近世を通じて繁栄した河口積替え都市、河川流域の船着場、街道に沿って整備された宿場、などの交通インフラは、近代気了代にあっても、近世同様の賑わいを見せた。秋田の場合、上方と蝦夷地を往復する_____________に代わって、函館と下関を結ぶ定期航路の蒸気船が寄港することとなった。しかしながら、つづく近代気ら近代兇悗琉楾圓蓮◆押押押押押押押押押押押欧了代の到来であり、国内幹線交通網が新たな交通手段によって担われることとなった。また、近代的______________整備を同時に行なうことで、日本海の対岸の各地域、すなわち、樺太・沿海州・朝鮮各地とを結ぶ貿易港としての発展を構想することが可能となった。これは、現在、日本海沿岸の各自治体が構想する_________________と類似した発想であり、交通網整備はどの時代にあっても地域の経済的発展にとって基礎的な条件であったことが窺える。明治・大正・昭和戦前において、そうした海外貿易を_______________と呼んだ。実際に日本海側で貿易港として栄えたのは、明治・大正期には___________であり、昭和に入ってから上越線が開通することで____________が加わった。

<選択肢> 北前船、三十石船、高瀬舟、鉄道、馬車交通、空港、港湾、高速道路、日本海縦貫高速道、環日本海経済圏、日本海縦貫経済圏、裏日本経済圏、対岸貿易、沿海州交易、函館、横浜、酒田、新潟、敦賀、神戸、長崎、広島


(9) 『京游日誌』を記した伊藤直純は、現在の秋田県横手市の人であった。福島から東北西海岸の山形県・秋田県・青森県を縦貫し、青森に抜ける現在の______________本線建設の陳情活動に上京するときの記録がこの日記である。1887年2月、_____________県内では、現在の____________本線の工事が行われており、その光景を____________の車上から眺め、栃木県北部の黒磯へ至る。黒磯からは東京へすでに鉄道が開通していた。一方、「英国通信」を書いた町田忠治は、現在の秋田市出身の士族で、経済の勉強のためロンドンに滞在していた。郷里の秋田から送られてきた新聞を読み、南隣りの___________県では、鉄道の支線を_____________港へ繋ぐ計画を練っているとのことを知り、秋田の将来的なライバルの登場を危惧した。

<選択肢> 東北、奥羽、青森、秋田、岩手、山形、福島、馬車、人力車、青森、酒田、新潟



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【正解】
(1) ペリー来航、日常生活空間の構造、メディア的、国全体から見た日常生活空間の位置づけ、地域、ゲートウエイ
(2) 福沢諭吉、祖父江孝男、都市化、高度経済成長
(3) 宮崎県、日之影町、オラビテ
(4) 西欧、地表交通、航空交通、蒸気機関、大圏航路、北方のアリューシャン列島、アンカレッジ、シベリア鉄道
(5) スエズ地峡、未完成であった、岩倉使節団、伊藤博文、1866、長州、英国
(6) 20世紀最初、ロシア革命、可能
(7) 植民地、高等、欧米語、正則教育、変則教育、日本人
(8) 北前船、鉄道、港湾、環日本海経済圏、対岸貿易、敦賀、新潟
(9) 奥羽、福島、東北、馬車、山形、酒田


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2007年07月23日

2007年7月23日(月)、3時限。

13時40分〜14時40分、試験実施。履修登録者178名中、156名受験。40分経過でほとんどの学生が提出して退出した。問題形式もあり、それ以上時間をかけても点数には変わりがないと判断してのことだろう。現在、採点をしている。

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2007年07月16日

本日は、海の日で祝日だが、麻疹の感染拡大防止で6月4日(月)が休講になった分の補講が、工学部と知的財産学部=大宮校地では行われている。今学期「日本の歴史」を出講した情報科学部=枚方校地は、麻疹の感染者が出なかったので、補講の必要はなく休みである。久しぶりに月曜の午後、研究室に居る。「日本の歴史」の試験問題を作成している。

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2007年07月10日

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日本の歴史(月曜3時限、柴崎)受講者へ

7月23日(月)、3時限、1206教室におけるテストについて確認のため掲示する

1. 試験範囲は、第3回〜第13回の講義内容。
2. 試験形式は、客観式問題。参照物なし
3. 当日「座席指定表」を配布する。自分の学生番号の席で受験すること。
4. 担当者のブログ「教育と研究」(http://rshibasaki.livedoor.biz/)、殊に、カテゴリー“▲「比較対象としての近代日本」知財・歴史学 2004-2007”を参照すること。今回情報科学部で講義した内容を含む講義を2005・2006年度に知的財産学部で行っている。試験問題も掲載している。

以上
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(上記を掲示した)


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2007年7月9日(月)、3時限。

近世(街道を徒歩か馬が歩く、帆船や櫓櫂で運行する船による河川水運と沿岸航路の時代) → 近代(馬車と人力車が街道に登場する、蒸気船が河川と沿岸航路に用いられるようになる) → 近代(鉄道の時代)。

この三段階論を前提とした話しの二回目。

秋田県における主要産物である米の上方への輸送を考えてみる。河川水運で河口積替え都市まで運ばれ、そこから今度は、北前船で関門海峡経由、大坂へ運ばれる。河川水運(支線)、沿岸航路(幹線)という関係があり、その両者をつなぐ都市が河口に存在し、繁栄した。

そうした都市が、他の都市との競争・競合を、近代機近代兇砲覆辰燭箸にどのように考えたのかが今回の主題。

能代(秋田県北部沿岸)
土崎(秋田県中部沿岸、現在の県庁所在地・秋田市の一部)
古雪(秋田県南部沿岸、現在の本庄市)
酒田(山形県、最上川の河口)
新潟(新潟県、県庁所在地、阿賀野川・信濃川の河口)

近代気了代には、物流や交通のルートは変化せず、そこを移動する手段が、馬車・人力車や蒸気船に置き替わっただけ。

ところが、近代兇了代になると、ルートが変更される。鉄道(幹線)、道路交通や水運(支線)となる。同じ秋田県内でも、鉄道を経由して東京に近い内陸の方が「上流」となる。近世には、沿岸地域が上方に近い「上流」だったのと逆転した。


*

こうした場面を迎えたとき、日本海沿岸の他都市は、地域の将来的繁栄を考え、鉄道(国内交通)と海運(海外交通)をつなぐ港湾都市としてライバルに先んじることを目標とした。

鉄道敷設 + 港湾整備 + 銀行・保険

貿易相手先が日本海の対岸が想定されたので、「対岸貿易」という言葉が用いられた。


これは、100年余り後の現在、「環日本海経済圏」という構想が日本海沿岸の道府県で唱えられているのに酷似する。但し、現在では、整備すべき交通網が、現在の最新のものに置き替わっている。

新幹線 + 高速道路 + コンテナ港 + 空港

新潟がこの競争に一歩先んじているように見える。






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2007年07月02日

2007年7月2日(月)、3時限。

国内の遠隔地交通について。近世から近代の鉄道の時代の間に、陸上交通に馬車、人力車が登場し、沿岸航路の河川水運に蒸気船が出現した時代があったことを説明。伊藤直純『京游日誌』を実例として示す。近世同然の状況の郷里横手から、東京への道筋で、変容する交通の様に出会いながらの旅日記を読む。

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2007年06月25日

6月25日(月)、3時限。

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1. 伊藤博文     (初期の洋行者の一例として)
2. 正則教育と変則教育(先端技術と中間技術と対比)
3. 植民地となった経験をもつ国と比較
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2007年06月18日

6月18日(月)、3時限。

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1. そもそも何の話しか
2. 初期の洋行者とは
3. 長州藩の5人
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2007年06月11日

6月11日(月)、3時限。

昨年度、知財「現代日本への歩み」第3回第4回とほぼ同じ。

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2007年06月04日

2007年05月28日

5月28日(月)、3時限。

「19世紀後半の社会の情報化と、現在我々が経験しつつある情報化とを比較し、共通点と相違点を指摘せよ」


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2007年05月22日

5月21日(月)、3時限。

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1. 小テスト-2の追加説明

2. 宮崎県日之影町の事例

3. 体験談---農村有線放送、巡回映画
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2007年05月14日

5月14日(月)、3時限。

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1. 小テスト-1、小テスト-2の対比的説明

2. 1879年、福沢諭吉の観察

3. 1988年、祖父江孝男さんの観察
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2007年05月08日

5月7日(月)、3時限。

「私のメディア接触行動の特色」


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2007年04月23日

4月23日(月)、3時限。

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1. 現在の日常生活空間におけるメディアとメディア接触行動(ミクロ)
  図-1「日常生活空間の構造」

2. 幕末以来のメディア状況の変遷を鳥瞰(マクロ)
  図-2「国全体から見た日常生活空間の位置づけ」
  図-3「メディア下降の長期的パターン」

3. 来週の「小テスト-1」の説明
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2007年04月17日

大阪市バス110系統(中宮→片町)、JR片町線(大阪城北詰→長尾)、京阪バス(長尾駅→北山中央)。この経路は、1時間20〜25分かかる。

4月16日(月)、3時限。

さて、出席者は100人位。先週、全部はけてしまった『人間・その総合的理解』の執筆部分、第5章「どのように歴史を学ぶか」のコピーを50部持参したのに、またもや売り切れ。重複してとる学生がいるのか、それとも、一回目来て今回は来ない学生が多いのか、どちらかだろう。

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1. 歴史
2. 史実と視角
3. 史料批判
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安倍首相が、福島県会津地方での遊説で「長州の先輩がごめいわくをおかけいたしました」と謝った、との話題を話したところ。ふだん読んでいるブログにもその話しが出てきた。

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2007年04月09日

枚方市北山の情報科学部のキャンパスまで往復。3時限の1コマを行う。
プリントは182枚捌けて、教室には109名学生が出席していた。
教室が小さすぎるということで来週から部屋が代わる(1405教室→1403教室)。
同じ大学でも、こちらの学部を訪れたのは今回が初めてだった。

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2007年01月05日

来年度は、大宮校地の工学部・知的財産学部だけでなく枚方校地の情報科学部にも、前期1コマ出講することになった。シラバスの締め切りは1月24日なので、そろそろ本腰を入れて考えねばならない。

前半は、工学部「人文社会入門」の内容を用い、その後に、知的財産学部「歴史学」(2006年度までの「現代日本への歩み」を2007年度より改称)から数週間分を加えて構成する。

情報科学部では、言語表現技術教育の科目は存在しないので、論文・レポートの書き方を半分ほど入れていいだろう。

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