「日清戦争と徳富蘇峰をめぐる地政学」工・歴史学2008

2009年01月28日

歴史学供ー萄蝓。嫁次〜 木曜・2/3時限 参照許可物等なし

1.下線部に適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。(1個4点、計 100点)

(1) ある技術、ここでは交通・通信に関する技術が現実に用いられるにつれて、地理のもつ意味が変わる。その実例が本講義では三つ出てきた。第一は、第5回「台湾の位置」で紹介した論考、田中宏巳「東シナ海と対馬・沖縄」の指摘である。帆船の時代、日本に大陸から侵攻する唯一可能なルートは、朝鮮半島沿岸から北九州への上陸であったが、______________の時代になると、沖縄・台湾の重要性が増す。この点に最初に気づいたのは米国海軍の______________提督であり、____________藩の藩主、島津斉彬であった。
<(1)の選択肢> 蒸気船、鉄道、航空機、ペリー、マハン、ミニッツ、長州、肥前、土佐、薩摩

(2) 新たな技術の適用が地理を変える可能性の第二は、中部アメリカに大西洋と太平洋とを結ぶ運河を建設することであった。1891年に米国海軍のテイロル大佐が東京で講演した際には、__________________運河の建設計画であった。後に、米国政府の手によって、1914年に至り__________________に運河が完成する。この運河は現在も用いられている。
<(2)の選択肢> スエズ、ニカラグア、パナマ、ボリビア

(3) 第三は、____________________の建設であった。1891年にロシアの皇太子が来日したのは、この鉄道の着工式典に出席するための極東旅行の途上であった。日清戦争の時には、この鉄道は未完成であった。日本が、下関講和会議において、結局は三国干渉の結果として返還することになる__________________を清国に割譲させ、獲得しようとしたのは、ロシアの南下に備えようとする意図があったためである。
<(3)の選択肢> 南満州鉄道、シベリア鉄道、シルクロード鉄道、朝鮮半島、遼東半島、山東半島、九龍半島

(4) 日清戦争以前、日本が将来に起こり得る欧州一か国との戦争を想定した戦力見積もりとして、第9回において「有地海軍中将 海防意見書」を紹介した。欧米が極東海域に派遣可能なのは、__________________の通航可能性と、日本周辺における石炭供給の制約から、____________________から構成される艦隊となろう、としている。日清戦争中の国民新聞1894年11月11日号社説「何を以て欧洲の勢力を支へん」にも、将来における欧州のある国との戦争の予想が登場する。「他日、吾人にして、若し欧洲と事を構ゆるの時ありとせよ。彼等は必らず海峡殖民地の内に、一根拠を占め、凡べての軍需軍隊を、一旦此に集合して、以て漸く我に及ばん。而して其地は台湾を外にして、また何くにかあらん。台湾を我に納むるは、即ち敵国の根拠を奪ふて、更らに我根拠となすもの也」というその社説の文言のうち、「海峡殖民地」とは__________________のことである。また、将来を考え、日清戦争が________________であるうちに、台湾を獲得すべきであるとの論旨は、第2回〜第4回で取り上げた「台湾占領の意見書」と同様であった。
<(4)の選択肢> スエズ運河、マラッカ海峡、戦艦、巡洋艦、駆逐艦、ホンコン、シンガポール、ペナン、戦時下、平時、休戦中

(5) 「台湾占領の意見書」とは、元老__________________が、同じ________________出身の______________軍人、川上操六に宛てて投じた書翰で、その起草を__________________が担当した。差し出し時期は、______________要塞陥落直後の1894年11月下旬である。
<(5)の選択肢> 伊藤博文、山県有朋、黒田清隆、松方正義、大山巌、長州藩、肥前藩、肥後藩、薩摩藩、土佐藩、陸軍、海軍、予備役、樺山資紀、徳富蘆花、徳富蘇峰、深井英吾、釜山、青島、旅順、威海衛、大連、天津

(6) 「台湾占領の意見書」の末尾近くに、「小生も過日来伊藤伯と会見し、此問題に就ては、篤と打合せ致し置き候。伊藤伯にも小生の意見に異論なきのみならず、飽迄同感同情にして、大本営地に到着の上は、此論を開陳相成候旨約束相成候間、定めて閣下に於ても御聴取の事と存じ候」とある。「伊藤伯」とは、__________________を務める伊藤博文であり、「大本営地」とは、大本営の置かれた________________であった。
<(6)の選択肢> 枢密院議長、外務大臣、内閣総理大臣、大蔵大臣、韓国統監、東京、広島、下関、旅順、大連

(7) 伊藤博文は、1894年12月4日、「台湾占領の意見書」の論旨を汲んだ意見書を大本営に提出した。その中に「台湾ノ諸島ハ、戦争ノ結果トシテ、我有ニ帰セサルヘカラスト論スル者、輓近朝野ノ間益々多キヲ加フ」という文言がある。第5回「台湾の位置」で紹介した________________により伊藤博文に宛てて投じられた書翰もその一つであったと推測される。この意見を伊藤に寄せた者は、徳富蘇峰と同じく熊本県の出身者である。
<(7)の選択肢> 陸奥宗光、井上毅、伊藤巳代治、金子堅太郎

(8) 前項(7)の伊藤博文意見書は、「______________ヲ衝キ台湾ヲ略スヘキ方略」という題名である。即ち、清国北洋艦隊が逃げ込んだ山東半島____________にある要塞を陸軍を用いて攻略し、黄海・渤海の制海権を確立した上で、台湾占領の軍を南方に送るとの趣旨が説かれていた。
<(8)の選択肢> 青島、膠州湾、威海衛、北岸、南岸

(9) 徳富蘇峰の日清戦争中における取材活動については、第8回、第9回に『____________________』の記述を用いて紹介した。1894年8月、大本営が(6)に既出の「大本営地」に移動するに際し、徳富蘇峰は、参謀次長であり兵站総監を兼ねていた________________の従者として、特別列車に乗り、移動した。
<(9)の選択肢> 将来之日本、大日本膨脹論、蘇峰自伝、樺山資紀、川上操六、桂太郎

(10) 本講義をしていて一番不思議に思ったことは、徳富蘇峰には、日清戦争中の一時期しか、地政学的な発想がその文章に見られないことであった。頭の中に地図を描き、地理的な条件とその将来における変化を前提として、国家の商業的、外交的、軍事的な行動を構想、考察する態度が欠けていたことである。蘇峰が言論人の先輩として意識していた__________________などは、前項(2)に出てくるテイロル大佐の講演を前提として、自ら経営する『時事新報』の社説で新しい交通路の出現の世界交易への影響を論じている。第10回「海洋通商国家構想と中央アメリカ運河」では、この人物の著作『________________』の関連個所を紹介した。
<(10)の選択肢> 大隈重信、田口卯吉、金子堅太郎、福沢諭吉、民情一新、実業論、時務一家言

















正解
(1) 蒸気船、ペリー、薩摩
(2) ニカラグア、パナマ
(3) シベリア鉄道、遼東半島
(4) スエズ運河、巡洋艦、シンガポール、戦時下
(5) 松方正義、薩摩藩、陸軍、徳富蘇峰、旅順
(6) 内閣総理大臣、広島
(7) 井上毅
(8) 威海衛、北岸
(9) 蘇峰自伝、川上操六
(10)福沢諭吉、実業論



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2009年01月08日

2009年1月8日(木)、2・3時限。

講義の全体を、評価基準との関連で位置づけ直し説明した。
試験について、必要な告知を行った。

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2008年12月26日

2008年12月18日(木)、2・3時限。

いままでの話のまとめ。

福沢諭吉、田口卯吉、福本日南、肝付兼行、井上毅、陸奥宗光、桂太郎、松方正義など、徳富蘇峰が意識したり、交流があった同時代人は、当時の「地政学コミュニティ」のメンバーと言ってよい人々であった。その中で、蘇峰のみ、空間認識を欠いているというのは不思議な現象である。

日清戦争中、台湾占領を唱えたのは、蘇峰自身の発想というよりも、彼が取材のため接触した松方正義、川上操六、樺山資紀らの見解がそのまま社説などに反映したものと推測される。

蘇峰の言説に(将来予見的な)地政学的な発想が散見されるのは、青年時代の日清戦争中と、晩年の朝鮮戦争時である。

*

[12月28日追記]
上記には補足が必要なことに気づいた。『将来之日本』(1886年刊)には、西力東漸についての記述があり、(少なくとも過去から現在に至る)地政学的な観点が全くないとは言い切れない。『時務一家言』(1913年刊)には、地政学的な現状認識が語られている。とすれば、1891年に、シベリア鉄道とニカラグア運河が話題になった時に抑制的な対応しかとれなかったのは、『日本国防論』(1889年刊)の陸軍中心の軽武装論からの論理的制約があったためかと推測することができよう。

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2008年12月24日

2008年12月11日(木)、2・3時限。

蘇峰は、地政学的な発想をしない人だったことに気づいた。地理的な広がり、交通路となる海路・陸路の存在、技術革新による交通路の変化が地理的な広がりの中に存在する国家間の関係を変化させる等々、こうしたことへの着目がほとんど見られない。

1891年当時の状況を確認するため、国民新聞から、つぎの二つの記事を紹介した。
1. 1891年1月29日、東京地学協会において米国アジア艦隊所属アライアンス号艦長テイロル氏(Henry Clay Taylor)が行った演説「ニカラグア運河開鑿企業に就て」を紹介する記事(国民新聞1891年1月29日3面、30日1面)。
2. ロンドンタイムズに掲載のシベリア鉄道についての記事の紹介記事「西比利亜鉄道の実況」(1891年7月18日1面、19日2面)。

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2008年12月17日

2008年12月4日(木)、2・3時限。

蘇峰にとって言論とは社会的影響力を獲得するための手段であった。少なくとも、日清戦争前は明確にそう言える。日清戦争後はその影響力を行使する段階へ移ったとも言える。
1884年12月28日付阿部充家宛徳富蘇峰書翰を紹介し、『蘇峰自伝』の日清戦争中の記述の続き「威海丸にて旅順に随ふ」「遼東半島視察中桂公と相識る」を読み、1896年4月14日の社説「欧米周遊に就て江湖の諸友に告ぐ」の論旨を確認した。その上で、国家将来像についての立論、組織的人的な依拠基盤、国内政治への関与の仕方のなかに位置づけた。



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2008年12月11日

2008年11月27日(木)、2・3時限。

北岡伸一「海洋国家日本の戦略---福沢諭吉から吉田茂まで」(防衛研究所戦争史研究国際フォーラム、2003年、第2回「日米戦略思想の系譜」基調講演)の前半部分(25〜30頁)を配布し、通覧。

福沢諭吉著『実業論』(福沢諭吉著作集第6巻、342〜349頁)を配布し、ニカラグワ運河建設計画についての福沢の論及を紹介。



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2008年11月20日

2008年11月20日(木)、2・3時限。

『蘇峰自伝』(1935年)第10章「日清戦役時代と予」一「明治二十七八年役と予」(国民新聞と従軍記事、日清戦役と川上将軍)、二「探訪記者としての予」(川上邸訪問と高島氏の八卦、樺山邸訪問と豊島沖海戦の号外)、三「大本営の移動と予」(広島に於ける人々)を紹介した。「台湾占領の意見書」に出てくる松方正義、川上操六も取材対象として回顧に登場。

伊藤博文編『秘書類纂 兵政関係資料』収録「明治24年4月11日/有地海軍中将/海防意見書」を原文に現代語訳を付して紹介。日清戦争前に想定した戦争とそれに必要な海軍軍備、その背後の戦略環境(スエズ運河は戦艦が通れない、東アジアでの石炭産地は日本、中央アメリカの運河開通による通商路の変化の予想)。


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2008年11月18日

2008年11月13日(木)、2・3時限。

日清戦争中の国民新聞、主に社説欄を通覧し、切り抜きを作った。通しで見ることで、日清戦争で何を獲得しようと、どの段階から主張していたのかを示した。
松方正義や川上操六のような中枢にいるものから、早い時期から情報提供を受け、世論を誘導しようと、紙誌面を用いていたと推測できる内容である。

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2008年11月6日(木)、2・3時限。

(1) 今年の講義がつぎの4つの部分からなることを説明
機嵋命箆摺→南進論」
供屮薀鵐疋僖錙滋→シーパワー」
掘屮轡戰螢鉄道着工と中米運河の計画」
検屬海譴蕕紡个垢詁蘇拜品の言説の位置関係」

(2) 三国干渉について一通りのことを説明
配布資料
1. 『国史大辞典』から「日清講和条約」「三国干渉」の項
2. 『日本外交年表並主要文書』から「露仏独三国の遼東半島還付勧告」、1894年11月から1895年6月の年表
3. 『肝付大佐演説の要領』(1897年、高岡市にて)から日清戦争時、東亜に派遣された欧米各国の海軍艦隊のトン数を述べた部分

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2008年10月23日

2008年10月23日(木)、1・2時限。

1. 清国政府お雇いドイツ人、デトリングが招商局の汽船レーユウ号で神戸港に来着し、2日後の1894年11月28日に出帆帰清した関連の新聞記事を示し、「台湾占領の意見書」説明の補足とした。

2. 斎藤聖二著『日清戦争の軍事戦略』(芙蓉書房出版、2003年)を紹介し、直隷作戦が優先順位1番から、2番目に置き換えられたのが、旅順占領後の「講和期」に入ったときであったことを紹介。台湾占領計画が講和までの作戦に組み込まれたのはこの時だった。

軍略的には、直隷作戦(北京占領)が主攻だが、政略的には、台湾占領が主攻であり、直隷作戦はむしろ助攻だったのではないか。

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2008年10月22日

2008年10月16日(木)、2・3時限。

田中宏巳「東シナ海と対馬・沖縄」(防衛大学校紀要人文社会科学編40、1980年)を配布し、内容を通読。
論旨が現代語訳のうえ紹介されている伊藤博文宛井上毅意見書(1894年10月11日付、井上毅伝資料篇第二、688〜689頁)を、読み下し、現代誤訳を付して配布。松方正義「台湾占領の意見書」と内容の異同をチェックした。

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2008年10月11日

2008年10月9日(木)、2・3時限。

1894年11月下旬の各人の動き。伊藤博文首相、松方正義前首相、徳富蘇峰、川上操六参謀次長。清国お雇い外国人、ドイツ人デトリングの神戸来航と書翰の発信時刻との関連。

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2008年10月02日

2008年10月2日(木)、2・3時限。

欧米列強が中立国の義務と、相互の牽制のために、台湾に手を出せないうちに占領し、講和条約で割譲を求める根拠とするとの論理。


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2008年09月29日

2008年9月25日(木)、2・3時限。

今後3回を使って「台湾占領の意見書」を読む。それからその周囲へ話を拡大する。

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2008年09月18日

2008年9月16日(木)、2・3時限。

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1. 授業の説明
2. 講義テーマの概要
3. 徳富蘇峰の生涯はどのように捉えられてきたのか
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テーマ名を「日清戦争と徳富蘇峰をめぐる地政学」とする。

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