「海洋フロンティアと明治日本]工・歴史学2012

2012年08月15日

 歴史学機 ー萄蝓  々学部・2年次〜   木曜・2/3時限    参照許可物等なし

1. 前半のテーマ「ニカラグア運河と日本」において、海上交通線の政治史という捉え方により新たに視野に入ってきた研究課題を、箇条書きで列記せよ。(16点)













2. 後半のテーマ「仮装巡洋艦をめぐる言論と運動」において前提となった「広義の海軍」という明治時代の海軍を捉える際の視角は、平間洋一氏の論文「「陸奥海王国」の建設と海軍---大湊興業を軸として」から学んだものであった。「広義の海軍」とはどのようなことか説明せよ。なお、説明の文中に「戦時」「平時」「戦闘組織」の三語を一度ずつ用いること。(12点)









3.下線部に最も良く適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。 (1個4点、計72点)
(1) 本講義で海上交通線ないしは海上交通路という言葉を用いた。この語に対応する SLOCs という英語は、Sea Lines of _________________の短縮形である。前半のテーマ「ニカラグア運河と日本」では、海上交通線の将来的な変化に敏感な一群の人びとの存在を扱った。後半のテーマ「仮装巡洋艦をめぐる言論と運動」では、_________の社会的支持基盤の問題を扱った。そして、後期・歴史学兇任蓮日清戦争開戦前における「台湾占領のコンセンサスの形成」を海上交通線への着目から講義する予定である。
<選択肢> Communication、Commerce、海軍、陸軍

(2) 1860年代前半、世界交通路に当たる________________________には、連絡鉄道が建設されているのが通例であった。1860年に幕府がアメリカ合衆国に派遣した使節団は、中部アメリカの____________に建設されていた連絡鉄道に乗り、太平洋岸から大西洋岸(カリブ海側)へ移動し、そこから別の船に乗りアメリカ東部にある首都ワシントンへ向かった。この地形の制約を越えるには二つの方法があった。一つはこの地形に人工的な水路を建設し、そこを船が通航することである。すなわち、____________の建設である。但しこの場合、船舶自体が自らの力で移動できる必要があり、土木技術の発展だけでなく、____________の時代を迎える必要があった。 もう一つの方法は、その地形によって遮られた海と海の間に存在する大陸のうち、長距離鉄道を建設しやすい経路に、大陸横断鉄道を建設することであった。北アメリカ大陸における最初の大陸横断鉄道の開通は、__________年であり、ユーラシア大陸における大陸横断鉄道としてのシベリア鉄道が開通したのは、__________年であった。
<選択肢> 地峡、海峡、パナマ、スエズ、ニカラグア、運河、用水、帆船、蒸気船、1869、1902、1914

(3) 1891年(明治24年)1月27日、________________において、米国アジア艦隊旗艦アライアンス号艦長、テイロル大佐は、ニカラグア運河計画についての講演を行なった。その講演を通訳したのは地理学者で新聞『_____________』の記者をも勉めていた_______________であった。講演の行なわれた講堂の壁には、______________によって作成されたニカラグア運河を中心に位置づけた世界航路図が掲示されていた。
<選択肢> 東邦協会、東京地学協会、国会、東京日日、志賀重昂、稲垣満次郎、日本郵船、逓信省管船局

(4) 有地品之允「海防意見書」は、政府・軍の_____________に配布された意見書である。年間650万円の政府予算の余剰を、毎年1隻の戦艦の建造に充て、6年で6隻の戦艦部隊を海に浮かべることを主張した。
一方、寺島成信『_________________』は、政府・軍の_____________に配布された小冊子である。当初の3年間、650万円の半額=325万円を巡航商船隊の建造と、商船学校の拡張・海兵団の増設に充てることを主張した。その内訳は、300万円×3年で巡航商船15隻を建造し、25万円×3年を商船学校と海兵団の充実に充てる。結果として、約650万円で1隻建造可能な戦艦6隻の完成は、有地案よりも1年半遅れ、7年半かかることになる。
<選択肢> 外部、内部、兵商論、帝国海運政策論

(5) 帝国義勇艦隊とは、______________帝国義勇艦隊に倣い、帝国海事協会が国民からの募金により建造した戦時に仮装巡洋艦として用いることを想定した高速商船隊のことである。平時には海軍軍人が乗組み、非営利の貨物船・旅客船として運航することが計画された。_________________の戦時下である1904年に提唱され、さくら丸、うめが香丸、さかき丸の3隻が建造された。実際に戦時に仮装巡洋艦として用いられたのは、_________________におけるさかき丸だけであった。
<選択肢> フランス、イタリア、ロシア、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦











【正解】
1.
・東アジアと中米地峡運河を結ぶ大圏航路上に位置する日本の地理的条件の自覚が当時の国家戦略に関わる日本人にどのように影響を与え、判断の前提となったのかという研究課題。

・戦時を考慮した運河の国際共同管理への参加という政策課題を当時の日本人はどのように捉え、対処したのかという研究課題。

・大圏航路を意識した函館港での石炭供給のための北海道内での鉄道建設、ならびに、横浜港の整備と大型ドックの建設という課題が当時の国内政治史にどのような影響を与えていたのかという研究課題。


2.
広義の海軍とは、戦時における戦闘組織として捉えるだけでなく、平時を含めて民間商船・漁船の海洋活動、海外居留民の保護を任務とする国家組織として海軍を捉える把握・発想である。


3.
(1) Communication、海軍
(2) 地峡、パナマ、運河、蒸気船、1869、1902
(3) 東京地学協会、国会、志賀重昂、日本郵船
(4) 内部、兵商論、外部
(5) ロシア、日露戦争、第一次世界大戦



【成績報告】 問題の難易度が高かったので、受験者全員に「+8」して成績とした。

rshibasaki at 19:23コメント(0)トラックバック(0) 

2012年04月06日

今年度の前期、工学部の歴史学気蓮⊂綉テーマの講義を行なう。

世界交通路を大きく変化させる中米運河のうち、ニカラグアに運河を建設するという米国の試みが続いたのが1891年〜1902年だった。前半ではこの動きに反応した日本の人物と組織を取り上げる。いまの時代、北極海航路が気候変動の結果可能となり、世界規模の海上交通路が変化する可能性が語られている。それに比する120年余前の事例である。

後半では、戦時に仮に武装させて軍艦として用いる民間商船を予め建造する試みについての言論と運動を扱う。陸→海→空→宇宙→サイバースペースと、商用・軍用の活動領域が拡張する長期トレンドのなかで、海がフロンティアであった時代における、その海での軍民関係を取り上げる。現在、JAXA(宇宙航空研究開発機構)が置かれている位置を連想させる事例である。



rshibasaki at 21:14コメント(0)トラックバック(0) 
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