工【歴史学機

2012年08月15日

 歴史学機 ー萄蝓  々学部・2年次〜   木曜・2/3時限    参照許可物等なし

1. 前半のテーマ「ニカラグア運河と日本」において、海上交通線の政治史という捉え方により新たに視野に入ってきた研究課題を、箇条書きで列記せよ。(16点)













2. 後半のテーマ「仮装巡洋艦をめぐる言論と運動」において前提となった「広義の海軍」という明治時代の海軍を捉える際の視角は、平間洋一氏の論文「「陸奥海王国」の建設と海軍---大湊興業を軸として」から学んだものであった。「広義の海軍」とはどのようなことか説明せよ。なお、説明の文中に「戦時」「平時」「戦闘組織」の三語を一度ずつ用いること。(12点)









3.下線部に最も良く適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。 (1個4点、計72点)
(1) 本講義で海上交通線ないしは海上交通路という言葉を用いた。この語に対応する SLOCs という英語は、Sea Lines of _________________の短縮形である。前半のテーマ「ニカラグア運河と日本」では、海上交通線の将来的な変化に敏感な一群の人びとの存在を扱った。後半のテーマ「仮装巡洋艦をめぐる言論と運動」では、_________の社会的支持基盤の問題を扱った。そして、後期・歴史学兇任蓮日清戦争開戦前における「台湾占領のコンセンサスの形成」を海上交通線への着目から講義する予定である。
<選択肢> Communication、Commerce、海軍、陸軍

(2) 1860年代前半、世界交通路に当たる________________________には、連絡鉄道が建設されているのが通例であった。1860年に幕府がアメリカ合衆国に派遣した使節団は、中部アメリカの____________に建設されていた連絡鉄道に乗り、太平洋岸から大西洋岸(カリブ海側)へ移動し、そこから別の船に乗りアメリカ東部にある首都ワシントンへ向かった。この地形の制約を越えるには二つの方法があった。一つはこの地形に人工的な水路を建設し、そこを船が通航することである。すなわち、____________の建設である。但しこの場合、船舶自体が自らの力で移動できる必要があり、土木技術の発展だけでなく、____________の時代を迎える必要があった。 もう一つの方法は、その地形によって遮られた海と海の間に存在する大陸のうち、長距離鉄道を建設しやすい経路に、大陸横断鉄道を建設することであった。北アメリカ大陸における最初の大陸横断鉄道の開通は、__________年であり、ユーラシア大陸における大陸横断鉄道としてのシベリア鉄道が開通したのは、__________年であった。
<選択肢> 地峡、海峡、パナマ、スエズ、ニカラグア、運河、用水、帆船、蒸気船、1869、1902、1914

(3) 1891年(明治24年)1月27日、________________において、米国アジア艦隊旗艦アライアンス号艦長、テイロル大佐は、ニカラグア運河計画についての講演を行なった。その講演を通訳したのは地理学者で新聞『_____________』の記者をも勉めていた_______________であった。講演の行なわれた講堂の壁には、______________によって作成されたニカラグア運河を中心に位置づけた世界航路図が掲示されていた。
<選択肢> 東邦協会、東京地学協会、国会、東京日日、志賀重昂、稲垣満次郎、日本郵船、逓信省管船局

(4) 有地品之允「海防意見書」は、政府・軍の_____________に配布された意見書である。年間650万円の政府予算の余剰を、毎年1隻の戦艦の建造に充て、6年で6隻の戦艦部隊を海に浮かべることを主張した。
一方、寺島成信『_________________』は、政府・軍の_____________に配布された小冊子である。当初の3年間、650万円の半額=325万円を巡航商船隊の建造と、商船学校の拡張・海兵団の増設に充てることを主張した。その内訳は、300万円×3年で巡航商船15隻を建造し、25万円×3年を商船学校と海兵団の充実に充てる。結果として、約650万円で1隻建造可能な戦艦6隻の完成は、有地案よりも1年半遅れ、7年半かかることになる。
<選択肢> 外部、内部、兵商論、帝国海運政策論

(5) 帝国義勇艦隊とは、______________帝国義勇艦隊に倣い、帝国海事協会が国民からの募金により建造した戦時に仮装巡洋艦として用いることを想定した高速商船隊のことである。平時には海軍軍人が乗組み、非営利の貨物船・旅客船として運航することが計画された。_________________の戦時下である1904年に提唱され、さくら丸、うめが香丸、さかき丸の3隻が建造された。実際に戦時に仮装巡洋艦として用いられたのは、_________________におけるさかき丸だけであった。
<選択肢> フランス、イタリア、ロシア、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦











【正解】
1.
・東アジアと中米地峡運河を結ぶ大圏航路上に位置する日本の地理的条件の自覚が当時の国家戦略に関わる日本人にどのように影響を与え、判断の前提となったのかという研究課題。

・戦時を考慮した運河の国際共同管理への参加という政策課題を当時の日本人はどのように捉え、対処したのかという研究課題。

・大圏航路を意識した函館港での石炭供給のための北海道内での鉄道建設、ならびに、横浜港の整備と大型ドックの建設という課題が当時の国内政治史にどのような影響を与えていたのかという研究課題。


2.
広義の海軍とは、戦時における戦闘組織として捉えるだけでなく、平時を含めて民間商船・漁船の海洋活動、海外居留民の保護を任務とする国家組織として海軍を捉える把握・発想である。


3.
(1) Communication、海軍
(2) 地峡、パナマ、運河、蒸気船、1869、1902
(3) 東京地学協会、国会、志賀重昂、日本郵船
(4) 内部、兵商論、外部
(5) ロシア、日露戦争、第一次世界大戦



【成績報告】 問題の難易度が高かったので、受験者全員に「+8」して成績とした。

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2012年04月06日

今年度の前期、工学部の歴史学気蓮⊂綉テーマの講義を行なう。

世界交通路を大きく変化させる中米運河のうち、ニカラグアに運河を建設するという米国の試みが続いたのが1891年〜1902年だった。前半ではこの動きに反応した日本の人物と組織を取り上げる。いまの時代、北極海航路が気候変動の結果可能となり、世界規模の海上交通路が変化する可能性が語られている。それに比する120年余前の事例である。

後半では、戦時に仮に武装させて軍艦として用いる民間商船を予め建造する試みについての言論と運動を扱う。陸→海→空→宇宙→サイバースペースと、商用・軍用の活動領域が拡張する長期トレンドのなかで、海がフロンティアであった時代における、その海での軍民関係を取り上げる。現在、JAXA(宇宙航空研究開発機構)が置かれている位置を連想させる事例である。



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2011年11月26日

歴史学機 。嫁次〜   木曜・2/4時限    参照許可物等なし

1.下線部に適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。    (1個4点、計100点)

(1) 本講義の前半は「__________________________」という主題のもとに、毎回副題を変えて講義した。第2回は副題「水路部に勤務して」であった。配布したプリントには、肝付が_________の適地として選定し、1889年(明治22年)に鎮守府が置かれることになる西日本の沿海都市___________市のホームページをコピーして配布した。この回では海上保安庁水路部が編集した団体史『________________』(財団法人日本水路協会、1971年)から日本の沿岸測量の進捗を説明するページを配布した。それを見ると、肝付が、先の沿海都市となる沿岸部を測量に訪れたのは、1883年(明治16年)であった。
<選択肢> 肝付兼行の多面性、海軍と貿易立国、商港、軍港、漁港、舞鶴、呉、佐世保、日本水路史、日本海軍史、日本海運史

(2) (1)に出てきた団体史は、水路部が兵部省海軍部水路局として創設されてから百年目に刊行された。その百年前に当たる1871年(明治4年)、初代の水路部長となる_________________が北海道測量を実施した。その北海道沿岸測量の際、北海道開拓使に勤める肝付兼行を知り、東京の水路局にスカウトしたものと推測される。この初代の水路部長となった人物は、現在の日本数学会と日本物理学会の前身______________を、1877年(明治10年)に発起人の一人として組織し、また、__________________を1882年(明治15年)に組織した。この後者の団体については、肝付兼行も日露戦争後にいたり、同会が設置した漁船船員養成所の所長を務めた。第7回の講義では、この団体と帝国海事協会が共催した海事水産博覧会を記念し発行された書籍『_______________』(1916年=大正5年刊)の序・緒言・目次を参考資料として配布した。
<選択肢> 柳楢悦、勝海舟、榎本武揚、東京数学会社、日本測地学会、大日本帝国水難救済会、日本海員掖済会、大日本水産会、海国日本、帝国日本、陸奥湾之将来

(3) 肝付兼行が活躍した時代は、海洋がフロンティアとして登場した時代であった。それは、19世紀の半ば、大洋を______________が横断し、世界交通路が形成された時代に始まる。この新しい動力源をもつ船は、商船だけでなく、軍艦としても用いられた。日本にとって、四囲を海に囲まれた国土のかたちが、欧米列強に対して___________を提供するかたちとなった。ただし、日本にとって幸いだったのは、当時のエネルギー源は___________であり、このエネルギー源は日本国内に産出し、日本はエネルギー自給国家たりえたことである。
<選択肢> 帆船、外洋形カヌー、蒸気船、防壁、侵入路、薪、石炭、石油、原子力

(4) 新たにフロンティアが登場すると、その空間に関連する職業分野も同時に登場する。肝付は、1883年(明治16年)に創立された________________に参加し、次世代を担う小学校生徒に、海についての理解を深めさせる教科を設置することを主張した。当時、海についての理解を深めされることを____________の涵養あるいは普及と呼んだ。また、日清戦争後の1897年(明治30年)に富山県高岡市での講演では、知育・徳育・体育に加えて_______________の重要性を強調している。これは、当時、肝付が講演などでしばしば言及した米国海軍のアッフレッド・セイヤー・マハンから学んだものである可能性がある。第10回で紹介したように、現在の英米海軍史家である_____________________は、マハンには「国家指導者や提督たちが行なう決断がもっとも重要」とした側面があることを指摘している。
<選択肢> 大日本教育会、全国教育会、海軍思想、海事思想、情育、胆育、奥山真司、ジョン・テツロウ・スミダ

(5) ___________港は、日本海に面する本州の港湾のなかでは最も早く太平洋岸との連絡鉄道が開通した。かつて、1892年(明治25年)に、肝付兼行が「西比利亜鉄道に対する日本の開港場を論す」において、「 浦塩港より____________への航路に当る」開港場に最適と指摘した港湾である。ここから西の隣接府県では「西比利亜鉄道に対する日本の開港場を論す」を抄録した『_____________________』が印刷に付された。
(6) ___________港は、「 浦塩港より_____________への航路に当る」開港場に最適と、肝付が指摘した港湾である。地元の新聞『東奥日報』主筆が、『________________』を1894年(明治27年)に著し、地元発展の期待を表明した。同書には、軍港としてライバル関係に当たる北海道の軍港候補地、_______________への対抗意識を読み取ることができる。なお当時、海峡に面したもう一つの直近の位置にある北海道の港湾は道内中央部との鉄道が開通しておらず、石炭搭載の便を欠いていた。
(7) ___________は、現実には築港がなされることなく、港湾としての歴史をもつことはなかった。「西比利亜鉄道に対する日本の開港場を論す」では、対馬海峡に面する位置から、「 浦塩港より____________への航路に当る」開港場に最適とされ、北九州の炭鉱地帯の石炭を供給する役割が期待された。
<(5)(6)(7)の選択肢> 亜米利加、我国、上海、仮屋、宮津、舞鶴、小浜、敦賀、伏木、函館、青森、大湊、室蘭
日本海港湾調査報告書、陸奥湾之将来、肝付大佐演説の要領

(8) 1891年(明治24年)1月27日、東京地学協会において、米国アジア艦隊旗艦アライアンス号艦長、テイロル大佐が行なった演説は、_______________運河建設計画についてのものであった。
<選択肢> パナマ、ニカラグア

















【正解】
(1) 肝付兼行の多面性、軍港、呉、日本水路史
(2) 柳楢悦、東京数学会社、大日本水産会、海国日本
(3) 蒸気船、侵入路、石炭
(4) 大日本教育会、海事思想、胆育、ジョン・テツロウ・スミダ
(5) 敦賀、我国、日本海港湾調査報告書
(6) 大湊、亜米利加、陸奥湾之将来、室蘭
(7) 仮屋、上海
(8) ニカラグア


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2011年11月22日

2月末発行の紀要に載ることになった。

論文
明治期山口県における水難救済会の組織形成

研究ノート
早速丸沈没事件に見る20世紀初頭海事領域の象徴性



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2010年08月16日

 歴史学機 ー萄蝓  。嫁次〜   木曜・2/3時限    参照許可物等なし
1.下線部に適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。    (1個4点、計100点)

(1) 地球表面の自然地理は、その時代に利用可能な交通・通信技術によって、その時代の舞台設定となった。1891年に、日本海の対岸にある港湾都市、             を起点とする             鉄道の建設が始まり、太平洋と大西洋を結ぶ             運河建設計画が日本の新聞紙面で話題となった。          著『実業論』には、この年に『時事新報』に掲載された後者の建設計画についての社説が引用されている。
<選択肢> 釜山、大連、ウラジオストク、サンフランシスコ、北米大陸横断、シベリア
スエズ、ニカラグア、福沢諭吉、佐藤鉄太郎

(2) 肝付は、ウラジオストクから伸びる航路を三つ想定し、それぞれの航路に対応した商港の候補地を挙げる。日本海と東シナ海を結ぶ         海峡を経由し上海にいたる航路に面した北九州の港として仮屋、日本本土の中心部に対応した港として日本海沿岸の                     海峡を経由しアメリカ大陸西海岸にいたる航路に面した港として           を適地とする。最後の北米方面航路に対応し適地とされた港湾候補地のある青森県で出版された本が『                     』である。その巻末には、稲垣満次郎の論説とともに、肝付の「西比利亜鉄道に対する日本の開港場を論す」が抄録されている。
<選択肢> 対馬、津軽、下関、敦賀、大湊、室蘭、陸奥湾之将来、「陸奥海王国」の建設と海軍

(3) 基調講演「海洋国家日本の戦略----福沢諭吉から吉田茂まで」で、                氏は、「明治中期における海軍拡張論は、貿易国家論と強く結びついていた。それはまた、日英米協調論とも結びついていた」と指摘する。これは、談話記事「二十世紀の軍事(肝付兼行氏談)」末尾で、肝付が、「余は最後に明言す。二十世紀に於て我が帝国は如何なる事情あるもアングロサクソン人種を敵とすべきに非ず。何となれば其長所を同じくするものを敵とするは国の利益にあらざればなり」と語ったのに符合する。また、前述の『実業論』も、自由貿易による経済発展を基調とした同じ方向性をもつ議論であった。そもそも、今回の講義で扱った明治期にあっては、海洋は、             という新たな技術によって従来に比して高度に利用可能となったフロンティアであり、現在、地球周辺の宇宙空間が占めているのと類似した意味づけをもつ空間であった。
<選択肢> 北岡伸一、平間洋一、帆船、蒸気船

(4) フロンティアにつぎの世代を呼び込むこと、子どもや青年にその重要性を理解させることは、どの時代にあっても欠かすことのできない活動であった。肝付の時代は、20世紀になってから始まる          メディアがまだない時代である。肝付は、               の役員を務め、その組織を通じて、義務教育の小学校の教育内容へ影響を与えようとし、また、全国を行脚し           活動を行った。どちらの場合も、海軍や海洋についての理解、すなわち、             を、子どもの世代を含む国民に広めることを意図したものであった。
<選択肢> 放送、印刷、大日本教育会、東京数学会社、講演、執筆、海事思想、開明思想

(5) 米国海軍のアルフレッド・セイヤー・マハンが            年に刊行した『海上権力史論』は、その年か翌年には日本海軍関係者の注目するところとなったと推測できる。その刊行年、日本では第一回総選挙が行われ、最初の国会である第一回帝国議会が召集された。これ以後、建艦計画を含む海軍の         は、帝国議会の事前承認が必要となる。海軍は、議員や議員の背後にいる国民に、海軍力整備に対する支持を取り付ける必要に迫られることになった。
<選択肢> 1890、1911、予算、決算

(6) 肝付がマハンの主張について、公開の場で最初に語ったのは、           戦争中の国民新聞に連載された「海上の権力 (肝付海軍大佐の意見)」においてであった。これは、「二十世紀の軍事(肝付兼行氏談)」と同様に、マハン『海上権力史論』緒論で詳述された一国の海洋支配力、すなわち、               を構成する6つの要素についてコメントを加える形式で語られていた。その6要素とは、国土の位置、国土の形、国土の広さ、人口、国民の品性、政治体制である。当該談話記事では、このうち             について論し、海に関わる職業人をどのように養成するのかを語っている。マハンの論が伝わる以前、1886年に肝付が行った講演「本邦沿海ノ大勢ヲ知ラシムルノ教科ヲ小学校ニ設クルノ必要ヲ論シ併せて該書編輯ノ意見ヲ述ブ」においてかつて論じたことのある海軍軍人・商船員の養成に関する主張が、マハンという           思想との出会いを通じて具体的かつ詳細に提示されるようになった姿を見ることができる。
<選択肢> 日清、日露、ネイバルパワー、シーパワー、国土の形、人口、外来、在来

(7) 今回の講義を組み立てるに際し直接に影響を受けたのは、1997年に発表された平間洋一氏の論文であった。明治期の日本では、マハンの主張を「海上権力論」と訳し、それを短縮して「            」と呼んだ。単に海軍力だけでなく、海外貿易や移民の手段となる           、港や造船所などを含め、一国の海洋支配力の全体を発展させる必要が説かれた。先に(1) で言及したように、中米の運河開削と、東アジアとヨーロッパを結ぶ大陸横断鉄道の建設が背景の事情となっていたことは、既にこの論文が指摘していた。
<選択肢> 海権論、制海権、商船隊、漁船隊

(8) 肝付兼行は、海軍の           担当者とでも言うべき役割を果たした。             の業務として日本沿岸各地域の実地測量を行った。その経歴が、結果として、軍港の適地の選定のみならず、商港の適地選定の権威者としての社会的立場を形作った。
<選択肢> 広報、諜報、水路部、陸地測量部















【正解】
(1) ウラジオストク、シベリア、ニカラグア、福沢諭吉
(2) 対馬、敦賀、津軽、大湊、陸奥湾之将来
(3) 北岡伸一、蒸気船
(4) 放送、大日本教育会、公園、海事思想
(5) 1890、予算
(6) 日清、シーパワー、人口、外来
(7) 海権論、商船隊
(8) 広報、水路部



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2010年04月15日

4月8日(木)が第1回目。4月15日(木)が第2回目。シラバスはこれ。昨年と同じ話を繰り返して行うことにする。

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2010年03月02日

歴史学機 ー萄蝓  。嫁次〜   参照許可物等なし

1.設問2の文章に出てくるA〜Hは、それぞれどの記事・論文・書籍か。選択肢から選んで選択肢の番号を記入せよ。(1個4点、計32点)

A→ _____  B→ _____  C→ _____  D→ _____     
E→ _____  F→ _____  G→ _____  H→ _____
         
<選択肢>
1.「二十世紀の軍事(肝付兼行氏談)」
2.「本邦沿海ノ大勢ヲ知ラシムルノ教科ヲ小学校ニ設クルノ必要ヲ論シ併せて該書編輯ノ意見ヲ述ブ」
3.「海上の権力(肝付海軍大佐の意見)」
4.「西比利亜鉄道に対する日本の開港場を論す」
5.「海洋国家日本の戦略----福沢諭吉から吉田茂まで」
6.『実業論』
7.「「陸奥海王国」の建設と海軍----大湊興業を軸として」
8.『陸奥湾之将来』

2.下線部に適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。(1個4点、計68点)

(1) 地球表面の自然地理は、その時代に利用可能な交通・通信技術によって、その時代の舞台設定となった。1891年に、日本海の対岸、___________を起点とする____________の建設が始まり、太平洋と大西洋を結ぶ____________建設計画が日本の新聞紙面で話題となった。  A  には、この年に『時事新報』に掲載された後者の建設計画についての社説が引用されている。
<選択肢> 釜山、大連、ウラジオストク、サンフランシスコ、北米大陸横断鉄道、シベリア鉄道
スエズ運河、ニカラグア運河

(2) 肝付によれば、1891年に着工された大陸横断鉄道の日本海対岸にある終点から伸びる航路は三つ想定されるという。その想定を論じたのが  B  であった。上海への航路に面した北九州の港として仮屋、日本への航路に対応した港として日本海沿岸の__________、アメリカ大陸への航路に面した港として__________    
が適地と指摘されている。最後の北米方面への適地とされた地元で出版された本が  C  である。巻末には、稲垣満次郎の論説とともに、肝付の  B  の一部が抄録されている。
<選択肢> 門司、敦賀、青森、大湊、室蘭

(3) 基調講演  D  で、北岡伸一氏は、「明治中期における海軍拡張論は、貿易国家論と強く結びついていた。それはまた、日英米協調論とも結びついていた」と指摘する。これは、談話記事  E  末尾で、肝付が、「余は最後に明言す。二十世紀に於て我が帝国は如何なる事情あるもアングロサクソン人種を敵とすべきに非ず。何となれば其長所を同じくするものを敵とするは国の利益にあらざればなり」と語ったのに符合する。また、福沢諭吉の著作である  A  も、自由貿易による経済発展を基調とした同じ方向性をもつ議論であった。そもそも、今回の講義で扱った明治期にあっては、海洋は、__________という新たな技術によって従来に比して高度に利用可能となったフロンティアであり、地球周辺の宇宙空間が現在の社会に占めているのと相似した意味づけをもつ空間であった。
<選択肢> 帆船、蒸気船

(4) フロンティアにつぎの世代を呼び込むこと、子どもや青年にその重要性を理解させることは、どの時代にあっても欠かすことのできない活動であった。肝付の時代は、20世紀になってから始まる________ メディアがまだない時代である。肝付は、_________の役員を務め、その組織を通じて、義務教育の小学校の教育内容へ影響を与えようとし、また、全国を行脚し__________活動を行った。どちらの場合も、海軍や海洋活動についての理解、すなわち、__________を、子どもの世代を含む国民に広めることを意図したものであった。
<選択肢> 放送、印刷、大日本教育会、東京数学会社、大日本水産会、講演、執筆、海事思想、開明思想

(5) 米国海軍のアルフレッド・セイヤー・マハンが1890年に刊行した『____________』は、その年か翌年には日本海軍関係者の注目するところとなったと推測できる。1890年には、第一回総選挙が行われ、最初の国会である第一回帝国議会が召集された。これ以後、建艦計画を含む海軍の__________は、帝国議会の事前承認が必要となる。海軍は、議員や議員の背後にいる国民に、海軍力整備に対する支持を取り付ける必要に迫られることになった。          
<選択肢> 海上権力史論、海軍戦略、予算、決算

(6) 肝付がマハンの主張について、公開の場で最初に語ったのは、日清戦争中の国民新聞に連載された  F  においてであった。これは、  E  と同様に、マハンの同書第一章で詳述された一国の海洋支配力、すなわち、___________を構成する6つの要素について述べるという形式で語られていた。その6要素とは、国土の位置、国土の形、国土の広さ、人口、国民の品性、政治体制である。授業で配布した  F  では、このうち人口について詳論し、海に関わる職業人をどのように養成するのかを論じている。マハンの論が伝わる以前、1886年に肝付が行った講演  G  においてかつて論じたことのある海軍軍人・商船員の養成に関する主張が、マハンという外来思想との出会いを通じて具体的かつ詳細に提示されるようになった姿を見ることができる。
<選択肢> ネイバルパワー、シーパワー

(7) 今回の講義を組み立てるに際し直接に影響を受けたのは、1997年に発表された平間洋一氏の論文  H  であった。明治期の日本では、マハンの主張を「海上権力」論と訳し、それを短縮して「___________」と呼んだ。単に海軍力だけでなく、海外貿易や移民の手段となる__________、港や造船所などを含め、一国の海洋支配力の全体を発展させる必要が説かれた。先に(1) で言及したように、中米の運河開削と、東アジアとヨーロッパを結ぶ大陸横断鉄道の建設が背景の事情となっていたことは、既にこの論文が指摘している。
<選択肢> 海権論、制海権、商船隊、漁船隊

(8) 肝付兼行は、海軍の__________担当者とでも言うべき役割を果たした。水路部の業務として日本沿岸各地域の実地測量を行い、__________(海図)を作成した。その経歴が、結果として、軍港の適地の選定のみならず、商港の適地選定の権威者としての社会的立場を形作り、無言の権威付となっていたと思われる。
<選択肢> 広報、諜報、水路図、地形図









【正解】
1.
A → 6
B → 4
C → 8
D → 5
E → 1
F → 3
G → 2
H → 7

2.
(1) ウラジオストク、シベリア鉄道、ニカラグア運河
(2) 敦賀、大湊
(3) 蒸気船
(4) 放送、大日本教育会、講演、海事思想
(5) 海上権力史論、予算
(6) シーパワー
(7) 海権論、商船隊
(8) 広報、水路図


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2008年07月29日

歴史学機 ー萄蝓  々学部・2年次〜    参照許可物等なし

1.設問2の文章に出てくる人物、A、B、C、Dは、それぞれ誰か。選択肢から選んで記入せよ。(1個4点、計16点)                                 
A → __________   B → _________
C → __________   D → _________
<選択肢> 有地品之允、伊東祐亨、東郷平八郎、山本権兵衛、肝付兼行、井上敏夫、佐藤鉄太郎、小笠原長生、寺島成信

2.下線部に適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。(1個4点、計84点)
(1) 「狭義の海軍」とは、現在の我々が海軍という言葉から思い浮かべる第二次世界大戦を戦ったような戦闘組織としての存在を指す。現在の日本における___________の役割は、ここで言う「狭義の海軍」に対応する。一方「広義の海軍」とは、商船、漁船、移民、交易など海を舞台とした、あるいは海を越えた民間の活動をサポートする国家組織としての海軍を意味する。現在の日本では1948年に発足し、海上における非軍事的分野(警察、消防に相当)を担当する国家組織___________の活動領域も、戦前においては、沿岸海域において警察が所管した部分を除くと、ほぼ、海軍の担当であった。また、明治以来、昭和戦前期にいたるまで海軍の一セクションであった_________は、1948年以降、上記の国家組織の一部となり、さらに平成時代に入ってから、海洋情報部と改称した。なお、日清戦争前から日露戦争直後まで、___A___がこのセクションの長を務めた。
<選択肢> 帝国海軍、海上保安庁、消防庁、警察庁、海上自衛隊、水路部、海図部、海洋部

(2) 「狭義の海軍」と「広義の海軍」の境界を身をもって体験したのが___B___であった。彼が艦長として実施した戦艦富士による__________試験航行の成功は、日露戦争における艦隊運用上、致命的な重要性を持った。瀬戸内海にある海軍根拠地である_________鎮守府からこの海峡を経由し、対馬海峡から日本海、黄海、東シナ海方面に出るための最短経路となるからである。なお、この瀬戸内海にある鎮守府の場所を選定したのは、__A___であった。その同じ海峡が日露戦争後に港湾整備、航路整備の対象となった時、___B___は、自らの経験に基づき意見を公表することになる。また、___B___は、日露戦争中には、___________香港丸の艦長として、ロシアバルチック艦隊に対する偵察、牽制のため、日本丸を率いて二艦で南に向った。英領____________においてマスコミ取材を受け、正規の軍艦から構成される「分遣艦隊」の一部として同海域に至ったと偽装行動を試みた。
<選択肢> 津軽海峡、台湾海峡、関門海峡、明石海峡、尾道、呉、舞鶴、横須賀、大湊、佐世保、戦艦、巡洋艦、仮装巡洋艦、客船、駆逐艦、ホンコン、シンガポール、マレーシア

(3) ___C___が、1890年から翌年にかけて、海軍編修書記の職にあった時、その上司は、___A___と___D___であった。___C___は、日清戦後、日本郵船社員となり、大正末に経済学博士号を得る。1891年刊『_____________』において若き日に主張した____________について、1923年刊『帝国海運政策論』において回顧、評価した。
<選択肢> 兵商論、帝国海事総覧、日本国防論、将来之日本、大日本膨脹論、主力艦隊の建造、軍用商船の制

(4) ___D___は、___B___と同様、戦闘組織としての「狭義の海軍」内でのキャリアを重ね、現役を退き、予備役、後備役となった後に「広義の海軍」に係わった生涯であった。但し、例外として、___A___とともに___C___の上司であった時代、___A___が新聞記者のインタビューを受け、___C___が記者や国会議員に配布するパンフレットを著述するのを、上位者として監督していた。当時の___D___の地位は、_______________であった。___C___が執筆し、海軍が広報資料として配布した小冊子に先立つこと数か月前、___D___も「______________」と題する文書を起草し、政府内部に配布した。その意見書では、専ら、_____________が論じられている。また、同意見書では、東アジア海域において消費される当時の軍艦、商船の燃料である_________は、殆どが日本産であると指摘されており、エネルギーを自給できた明治海軍の戦略環境が読み取れる内容となっている。
<選択肢> 海軍大臣、海軍参謀部長、聯合艦隊司令長官、海軍意見書、海防意見書、海事意見書、主力艦隊の建造、軍用商船の制、石油、石炭、木材、ガス

(5) 明治時代において「広義の海軍」を代表する人物は___A___である。米国海軍の理論家、アルフレッド・T・マハンのシーパワー論の「シーパワー」を「 _____________ 」と翻訳し、日本に導入し、それを数々の講演演説とインタビューによって広めた中心人物である。明治海軍における________担当者と言ってもよいであろう。___B___が現役を退いた後、_______________理事として会員を募集し、活動資金としての寄付金を集める講演に用いたのも、マハンのシーパワー論であった。
<選択肢> 海洋勢力、海軍権力、海上権力、海上勢力、海洋権益、作戦、広報、兵站、帝国海事協会、日本海員掖済会、大日本水難救済会

(6) 義勇艦隊という組織が日本で初めて知られたのは、___________の義勇艦隊の存在によってで あった。日本近海を航海するこの国の義勇艦隊の汽船は、平時は商船として運航され、戦時には武装して仮装巡洋艦として用いられた。日本で類似のものの建設が実現したのは、1899年創立の_____________が、1904年以降、帝国義勇艦隊建設を提唱したことによってである。このキャンペーンを実施し、義勇艦隊の所有者となった上記組織の初代総裁は_______将官である皇族有栖川宮威仁親王であり、理事長は__D___であった。なお同親王は、海事関係の他の二団体の総裁も兼務していた。
<選択肢> アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、清国、大日本水難救済会、帝国海事協会、日本海員掖済会、東邦協会、陸軍、海軍

(7) 1908年、___B___は、三重県四日市市から推されて総選挙に出馬し、___________議員となった。港湾整備に関する専門知識を期待されていた。当選後、当初所属した戊辰倶楽部からは翌年に脱退し、所属議院の第一党である立憲___________に加わった。
<選択肢> 衆議院、参議院、貴族院、自由党、改進党、政友会、同志会



【正解】
1.
A → 肝付兼行
B → 井上敏夫
C → 寺島成信
D → 有地品之允

2.
(1) 海上自衛隊、海上保安庁、水路部

(2) 関門海峡、呉、仮装巡洋艦、シンガポール

(3) 兵商論、軍用商船の制

(4) 海軍参謀部長、海防意見書、主力艦隊の建造、石炭

(5) 海上権力、広報、日本海員掖済会

(6) ロシア、帝国海事協会、海軍

(7) 衆議院、政友会

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2008年07月13日

2008年7月10日(木)、2・3時限。

----------------------------------
1. 試験予告
2. 復習とまとめ
3. 授業アンケート記入
----------------------------------


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2008年07月06日

2008年7月3日(木)、2・3時限。

----------------------------------
1. 募金と建設--帝国義勇艦隊
2. 井上敏夫----日露戦争後
3. 概観--------講義を振り返る
----------------------------------

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2008年06月20日

2008年6月12日(木)、1・2時限。

----------------------------------
1. 生涯概観
2. 海軍参謀部長時代
3. 「海防意見書」を兵商論と対比
----------------------------------

有地品之允が作戦の担当だとすると、同じ時期、肝付兼行と寺島成信は広報の担当者だった。


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2008年06月12日

2008年6月12日(木)、1・2時限。

----------------------------------
1. なぜこの話をするのか
2. 一般論を踏まえて具体例に向う
3. 講義の組立てを再確認
----------------------------------




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2008年06月05日

2008年6月5日(木)、1・2時限。

----------------------------------
1. 呉市・江田島市での軍事史学会大会
2. 記事に見る肝付の活動分野
3. いくつかの講演・談話を読む
----------------------------------

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2008年05月29日

2008年5月29日(木)、1・2時限。

----------------------------------
1. 昨年9月まで「Q.S.T.」を肝付と誤解していた
2. 肝付の経歴と海軍の広報担当としての行動
3. 海事思想の涵養を目的とする
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2008年05月23日

2008年5月22日(木)、1・2時限。

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1. 黒田清隆『環游日記』---ロシア義勇艦隊を紹介。文献上の初出
2. 第6章と第7章「結論」---政費節減650万円の使途の提案
3. 徳富蘇峰------------兵商論において論駁すべき相手
----------------------------------


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2008年05月16日

2008年5月15日(木)、2・3時限。

----------------------------------
1. 軍用商船の制度
2. 『帝国海運政策論』の回顧
3. 『兵商論』の主張
----------------------------------

黒田清隆著『環游日記』(1887年)に、ロシアの「義勇艦隊トイフ結社」についての記述があり、これを肝付兼行は、大日本水難救済会が設立された1889年までには知っていた。第一帝国議会の後に、これを兵商論の主張として展開したのが、寺島成信である。

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2008年05月12日

2008年5月8日(木)、2・3時限。

----------------------------------
1. 海軍編修書記
2. 議会開設対策チーム
3. 『兵商論』の枠組
----------------------------------


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2008年05月06日

2008年5月1日(木)、2・3時限。

----------------------------------
1. 日本海員掖済会
2. 井上敏夫著『海国民之事業』
3. マハンとの関連
----------------------------------

配布資料。
1表=
(1) 日本海員掖済会ホームページから「掖済会のあゆみ
(2) 小学館『日本百科全書』22巻(1988年刊)より「マハン」の項
(3) 日本海員掖済会理事井上敏夫著『海国民之事業』目次書抜
1裏・2表・2裏=『海国民之事業』34〜43ページ(「海上飛躍と民族的原性」末尾、「予備海員と商船」全文、「海員養成の急務」冒頭)
2裏=『戦略論大系 5 マハン』より「【解題】マハン戦略の現代的意義を問う」242〜243ページ(『海上権力史論』「緒論」「第一章」の要約)


[1表(3)ここから]
日本海員掖済会理事 井上敏夫 著
『海国民之事業』
日本海員掖済会発行

本文の記述内容から、1910年8月の日韓併合以後、1911年10月の辛亥革命以前に発行されたと推定できる。


目次
-------------------------------------------------------------------
緒言
武力的競争と日本海、及び平和的競争と太平洋
航海業と致富
海上権力と海軍
海上飛躍と民族的原性
予備海員と商船
海員養成の急務
日本海員掖済会の由来
日本海員掖済会の事業
結論

付録
事業綱領
事業沿革
事業成績
希望及企画 ←海員寄宿舎の改良拡張、尋常海員養成機関の増置、海員保護法の拡張
-------------------------------------------------------------------
[1表(3)ここまで]

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2008年05月03日

1995年の時点で、今後500年の人類史の展開を予測した著書『次の500年 繁栄に終わりはあるか』。第10章「民間企業による宇宙開発のはじまり」は、「宇宙開発の現状---停滞/停滞の原因/政府から民間へ/民間宇宙船の建造/宇宙ビジネスの萌芽」という内容からなる。フロンティアにおける政府と民間の関係という点から講義テーマと共通性がある。

なお、つぎのような記述もある。
------------------------------------------------------------
蒸気船の発明が、現在のアメリカ合衆国を作った。もちろん、蒸気船が発明される前にも、帆船で大西洋を横断できたのだが、こんな贅沢ができたのは、大金持ちか政府の重要人物だけだった。蒸気船が出現してはじめて、裕福とは言えない何十万人もの移民が、ヨーロッパを捨てて、新天地に旅立てるようになったのだ。技術は、英雄でも、学者でも、金持ちでもない、普通の人々に利用されるようになってはじめて、歴史を変える力を持つ。それならば、普通の人々が宇宙に出られるようになってこそ、本当の宇宙時代が到来したと言えるだろう。
------------------------------------------------------------
(同書、183〜184ページ)

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2008年04月25日

「上村第二艦隊司令長官ハ、伊集院軍令部次長ヨリノ注意ニ基キ、後来ノ作戦ニ資スルカ為メ、参謀海軍中佐佐藤鐵太郎ヲ香港丸ニ便乗セシメタリ」
(極秘明治37.8年海戦史 第2部 戦記 巻1、294頁、JACAR[アジア歴史資料センター]Ref.C05110083700)

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2008年04月24日

2007年4月24日(木)、2・3時限。

----------------------------------
1. 先週の補足
2. 仮装巡洋艦
3. 南航
----------------------------------

配布資料。
1表=ブログ「海洋戦略研究」エントリー「宇宙基本法案
1裏=太平洋戦争研究会著『日本海軍がよくわかる事典[愛蔵版]』(PHP研究所、2008年)序章「帝国海軍の盛衰とネイビースピリット」より第2項「国民の権益を守る海軍」
2表=
(1)『日本国語大辞典 第2版』(小学館、2001年)より「仮装」「仮装空母」「仮装航空母艦」「仮装巡洋艦」「巡洋艦」「特設」「義勇艦隊」の項
(2)『日本百科全書』4巻(小学館、1985年)、7巻(同、1986年)より「海軍」「軍艦」の項
2裏=『日本百科大辞典』5巻(三省堂、1911年)より「巡洋艦」の項
3表=
(1) 読売新聞1904(明治37)年12月24日号2面コラム「イロハ便」
(2) 同5面「我艦印度洋に向ふ」
(3) 同紙1905(明治38)年1月7日5面「旅順敵艦の惨状」「我南航艦隊(外務省電)」「スマトラ沖の我巡洋艦」「波艦南清に拠らん」
3裏・4表・4裏=
防衛研究所所蔵『極秘明治37.8年海戦史 第2部 戦記 巻1」292〜300頁、第5章「香港丸、日本丸ノ南洋巡視 附新高ノ南清巡視」第1節「香港丸、日本丸ノ行動」
(↑)アジア歴史資料センターを「香港丸 日本丸」で検索。

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2008年04月23日

2008年4月26日(木)2・3時限で、『日本海軍がよくわかる事典[愛蔵版]』を紹介する予定。4月初めに、ファミリーマート工大前店に置いてあった。価格が500円で、コンビニに来る若者向けに丁寧な紹介。

今年度の講義で話している広義の海軍に関連する記述としては、13〜16ページ「国民の権益を守る海軍」という項がある。

参照ウイキペディア: 占守型海防艦

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2008年04月17日

2007年4月17日(木)、工学部・歴史学機嵬声F本における海権論と広義の海軍」第2回において、『日本海軍の歴史がよくわかる本 (PHP文庫 く 22-1)』を紹介。

ふつうの日本海軍についての歴史叙述が、戦闘組織としての海軍に限定したものになっていることの実例として学生に示した。民間の海洋活動・海外活動をサポートする国家組織としての海軍という視点が含まれていない。講義ではそうした側面を実例を上げて指摘することになる。

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2007年4月17日(木)、2・3時限。

----------------------------------
1. 1997年の平間論文    (広義の海軍とは何かを示す唯一の先行研究)
2. 井上の前半生、後半生  (狭義の海軍の世界から広義の海軍の世界へ)
3. 関門海峡          (狭義の海軍と広義の海軍の接点となる地勢)
----------------------------------

配布資料。
1表=平間洋一「『陸奥海王国』の建設と海軍: 大湊興業を軸として」(政治経済史学370、1997年4・5・6月合併号)85〜86頁「二 大湊興業の創設と海軍 (一)マハンのシーパワー論」部分
1裏=同94頁「おわりに」部分
2表=
(1)ウェッブページ「明治・大正・昭和にわたる帝国海軍艦艇」より「戦艦富士」の項
(2)『陸海軍将官人事総覧<海軍編>』(外山操編、芙蓉書房出版、1981年)より「井上敏夫」の項
(3)『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』(衆議院・参議院編、大蔵省印刷局、1990年)より「井上敏夫」の項
2裏=
(1) 「水雷敷設の付属船」「富士艦の通過」(防長新聞、明治35年8月26日)
(2) 「艦船通過と海峡航路標識」(同、明治36年2月4日)
(3) 「関門海峡試航」(同、明治36年9月18日)
(4) 「各艦長等の更迭」(同、明治36年9月30日)
3表=
(1) 石川県立図書館「石川県関係人物文献検索」を「井上敏夫」でサーチした結果
(2) 『石川県百年史』(石林文吉著、石川県公民館連合会、1972年)より石川県出身海軍将官列伝のうち井上敏夫の記述(746〜747頁)
(3) 井上敏夫死亡記事(北国新聞、大正13年3月15日)
3裏=
(1) 『対支回顧録』下巻(対支功労者伝記編纂会、1936年)676〜677頁、「井上敏夫君(海軍少将)」の項
(2) 『日本交通史辞典』(吉川弘文館、2003年)より「港湾調査会」の項
4表=「大戦闘艦関門通過に就きて」(防長新聞、明治40年6月19日)
4裏=「関門水路整理策(井上海軍少将談)」(防長新聞、明治40年7月6日)

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2008年04月10日

2008年4月10日(木)、2・3時限。
配布物。
1表(A4): 下記の通り
1裏(A4): ブログ「新谷研究室」エントリー「思想史のたいせつさ
2表(A4): シラバス
2裏(A4): 2日前のエントリーで紹介した表


[1表(A4)開始]

-----------------------------
1. 科目の説明、評価方法
2. 担当者の自己紹介            
3. 講義スタイル・目標について
-----------------------------

1. 歴史を学ぶとはどういうことか
    膨大な過去になぜ問いかけようとするのか
    過去自体に意味があるのではない、現在との関係が問題
    我々の現在位置を確認するため
    大きな認識の枠組みを新たに得るため

2. 時代状況(場面)の変遷と、社会事象の意味や役割の変化
   ・海軍といっても「海上自衛隊」「昭和戦前の海軍」「明治の海軍」では
    社会における意味や役割が違う
    (cf. 警察。明治の警察と現在の警察を比較せよ)
   ・技術的な進歩により人間の活動領域・利用可能な空間が拡大する時、
    「商業的・営利的な目的での進出」と「軍事的な展開」がともにその
    新たに生じたフロンティアに到達する。その相互関係はどのようなものなのか
    (cf. 海洋と航海、大気圏と航空、宇宙と宇宙開発)

3. 人間とはなにか、社会とはなにか、国家とはなにか、近代とはなにか、などという
 問いへつながる

4. 狭義の海軍、広義の海軍

5. アルフレッド・セイヤー・マハンのシーパワー論の日本海軍による摂取と援用、
 その特徴

[1表(A4)終了]




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2008年04月08日

シラバスに書いた通りの順番と内容で講義することを再確認する。講義で取り上げる4人、井上敏夫寺島成信肝付兼行有地品之允と対比するため、伊東祐亨東郷平八郎山本権兵衛佐藤鐵太郎小笠原長生の5人を加えた表(↓)を作成した。



20080410配布資料

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2007年08月03日

2007年8月2日(木)、1・2時限。

【結果】
1時限。15名受験のうち、5(11名)・4(2名)・3(2名)・2(5名)・1(0名)。
2時限。22名受験のうち、5(10名)・4(5名)・3(4名)・2(3名)・1(0名)。



【問題】
歴史学機 ー萄蝓 々学部・2年次〜  木曜・2時限  参照許可物等なし

1.つぎの地図上に記した´↓の沿岸に設置された救難所の地名を、地図の下に列記した。それぞれの救難所が存在する地域を、´↓の内から選び○で囲め。(1個4点、計12点)



  ----<関門海峡周辺に 津軽海峡周辺に◆∨質軾湘膽辺にと記した地図>----



若松 →
布良 →
大間 →



2.つぎの地図上に、1905年に救難所が設置された丸尾崎に「☆」印を、下関救難所の支所が複数置かれた彦島に ◎」印を記せ。(1個4点、計8点)


  ----<山口県付近の地図>----




3.つぎの諸団体の活動内容を、選択肢から選んで記入せよ。正解が二つあるものもある。いずれか一方の記入でよい。(1個4点、計20点)
日本赤十字社 (             )
大日本武徳会 (             )
愛国婦人会  (             )
日本海員掖済会(             )
帝国海事協会 (             )
<選択肢> 戦傷者救護、射撃訓練、海員養成、武道場建設、義勇艦隊建設、看護婦養成、船級検査、軍人遺族援護

4.下線部に適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。     (1個3点、計60点)
(1) 明治の警察を、現在の警察と同じ範囲の仕事をしていた組織であると速断してはならない。明治時代の警察官の殉職で一番多いのは、______________による死亡であることを知り、驚いたことがある。明治の警察=警察署+消防署+_____________、である。1938年に厚生省が設置され、公衆衛生関連が移管された。1948年には消防庁が設置され、消防が警察から分離した。これと同様なことが、海軍の理解についても存在する。明治の海軍を、戦後日本において海上自衛隊の占める位置を過去に遡らせて理解すると、思わぬ誤解となる。海上保安庁が設置された1948年以前、現在の海上保安庁の仕事は、遠方海域においては海軍、沿岸海域においては_____________や沿岸民とそれらを指揮監督する市町村長・警察官によって担われていた。現在では、海事領域=海上自衛隊+海上保安庁+民間、となっている。一方、明治時代には、海事領域=海軍+民間、であった。海軍には、現在は海上保安庁に属し、数年前「海洋情報部」と改称した_____________も属していた。日清戦争前後には、肝付兼行はその部長であった。
<選択肢> 犯人との格闘、伝染病感染、水防活動、消火活動、山岳救助、税関、税務署、消防、保健所、検疫所、陸軍、海軍、海上保安庁、海上自衛隊、水難救済会、水路部、測量部、海図部

(2) 日本の近代において地域社会に外国軍が接近し戦場となった事例としては、第二次世界大戦の沖縄戦と本土の空襲以前には、______________当時の敵国艦隊の沿岸接近がある。その戦争で最後の海上の戦いとなった著名な海戦は、____________海峡付近で始まったものである。近隣諸県まで砲声が轟いたという。
<選択肢> 台湾出兵、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、津軽、大隅、対馬、宗谷

(3) 中央では、皇族を総裁として戴き、その下で会長が実務を統括し、地方では、知事が府県支部長、市町村長が市町村支部長を務める組織形態をとった最初の公益団体は、______________である。この団体は、現在もほぼ同じ組織形態を維持している。社費あるいは寄付金を多く出した個人に、______________を与え表彰することも明治時代と同様である。なお、総裁は歴代の皇后陛下である。
<選択肢> 有功章、忠愛旗、義勇旗、消防団、消防組、愛国婦人会、在郷軍人会、海員掖済会、海事協会、日本赤十字社

(4) 明治時代における水難救済会の実行組織を考察するとき、比較すべきは______________である。ボランティアの地域住民が、警察官の指揮のもとで、実行に従事するという面が共通する。
<選択肢> 消防団、消防組、在郷軍人会

(5) 日露戦後にいたるまで、日本の沿岸航路の高級船員の職は、多く_____________に占められていた。この背景があるため、沿岸での和式帆船と汽船の衝突に際して救助に駆けつけることは、当時の国民の愛国心を高揚させる行為となった。
<選択肢> 西洋人、日本人、清国人、韓国人

(6) 1903年5月5日、早速丸遭難を報ずる防長新聞の論調が、衝突相手の韓国船漢城号の__________人船長への不信感を強く表現しているのは、前項の事情が関係していたであろう。その記事でもう一つ注目すべきは、たまたま早速丸に乗船していた「__________________」たちの行動の肯定的描写である。軍隊や軍人に対する肯定的姿勢は、地域の消防組織が「軍隊的に組織」され「________________」を多くメンバーに含むことをプラスに評価する新聞論調とも一致する。当時の時代思潮の表現であろう。
<選択肢> ドイツ、アメリカ、韓国、中国、軍艦富士乗組の水兵、第二十五連隊の兵士、退職警官、市町村職員、在郷軍人、現役軍人

(7) 日露戦争後になると水難救済会の幹部から、遭難船に対する沿岸民の分捕りという悪習・旧慣を是正し、文明化するのに救難所の設置が役立ったという回顧的発言が出てくる。救済会総裁である______________にはさすがにそのような発言ないが、会長である退役海軍将校・伯爵______________、逓信省管船局長を長く務めた理事塚原周造は、口を揃える。1907年、アメリカ汽船ダコタ号が千葉県白浜村、野島崎灯台の東方で難破しかけた時、それに気づいた白浜村村長が、_________________に定められた義務に従い、村民を動員し十数艘の漁船を出して救助に赴いた際、ダコタ号船員から掠奪者に間違えられ 「足蹴に遭」ったとのエピソードも思い出される。
<選択肢> 有栖川宮威仁親王、佐野常民、吉井幸蔵、肝付兼行、水難救護法、海難救助法、商法、民法、警察法、市町村法、 

(8) 海軍少将井上敏夫の生涯は、「広義の海軍」、すなわち、海軍とその外郭団体が作り出す世界の存在を教えてくれる。日露戦争の直前、一等戦闘艦「__________」の艦長として、二度の関門海峡試験航行を成功させた。日露戦時には、仮装巡洋艦「香港丸」艦長から、特務艦隊司令官を勤め、1906年に予備役となった。その2年後には三重県四日市市から衆議院議員に当選し、後に、立憲______________に所属することとなる。郷里の石川県では「半生を日本海員掖済会に捧げた」(石川百年史、石林文吉、1972年)と記憶される井上に四日市との縁が生じたのは、四日市に海員寄宿舎を設置するため、掖済会理事として同地を訪れたことがきっかけであった。
<選択肢> 八島、大和、三笠、富士、敷島、政友会、同志会、憲政会、民政党

(9) 第一次西園寺公望内閣の内務大臣である______________は、港湾調査会を設置し、全国港湾の整備計画を策定した。______________の水路整備に関して、海軍は、内部に「委員を設置し既に調査を遂げたる結果に基き種々の注文を出」したという。ドレッドノート級戦艦の建艦競争が始まった時代背景においては、主力戦艦部隊の同地点通過による効率的な運用が必須となったのだろう。
<選択肢> 伊藤博文、西園寺公望、原敬、大浦兼武、寺内正毅、桂太郎、山本権兵衛、紀伊水道、豊後水道、津軽、関門海峡、東京湾口


rshibasaki at 15:13コメント(0)トラックバック(0) 

2007年07月19日

2007年7月19日(木)、1・2時限。

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1. 試験の問題形式
2. 評価基準
3. 講義内容の再構成
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rshibasaki at 13:26コメント(0)トラックバック(0) 

2007年07月14日

2007年7月14日(土)、1・4時限。

海軍が海事思想の涵養、海軍力の予備拡充を意図して活動していた背景。

rshibasaki at 17:38コメント(0)トラックバック(0) 

2007年07月13日

2007年7月12日(木)、1・2時限。

近代政治史を概観し、そのなかでの日露戦後における海軍と政友会の位置を説明。


rshibasaki at 15:56コメント(0)トラックバック(0) 
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