大阪工業大学工学部

2008年01月10日

2008年1月10日(木)、1・2時限。

講義全体を振り返った。

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2007年12月21日

2007年12月20日(木)、1・2時限。

講義した内容を文章化しているものの「はじめに」の部分と、『時務一家言』の「緒言」にある1886年の上京以来の来歴を語った部分とを配布し、説明した。講義全体が今回まで来て鳥瞰できることになった。

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2007年12月15日

2007年12月13日(木)、1・2時限。

平間洋一さんの二つの論考、「A・T・マハンが日本海軍に与えた影響」(1993年)と「「陸奥海王国」の建設と海軍---大湊興業を軸として」(1997年)を読む。後者は、マハンの海上権力論が、まず「広義の海軍」に関して受容されたことを指摘した画期をなす業績である。この講義では、それを継いで、議論を組み立てようとしている。


平間洋一 歴史・戦略・安全保障研究室



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2007年12月08日

2007年12月6日(木)、1・2時限。

日清戦争中、黄海海戦の後の時期、1894(明治27)年10月24日〜11月1日にかけて8回に分けて国民新聞に掲載された記事を読む。民友社の「奇骨」記者が、水路部長肝付兼行にインタビューした内容。前年、1893(明治26)年に水交社記事に掲載された金子堅太郎によるマハン『海上権力論』の第1章の論旨要約に対して、肝付が口頭でコメントしたもの。

日本海軍によるマハンの受容は、まず、広義の海軍に対応するものであったことを示す。

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2007年11月29日

2007年11月29日(木)、1・2時限。

マハン著『海上権力史論』受容の特質を考察する前提として、『兵商論』の第5章「軍用商船の製造」と第6章「海軍予備員の養成」を読む。


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2007年11月22日

2007年11月22日(木)、1・2時限。

寺島「兵商論」第7章「結論」と、有地品之允「海防意見書」のそれぞれに説かれている政費節減650万円の使途について対比的に読む。

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2007年11月17日

2007年11月15日(木)、1・2時限。

『伊藤博文秘録』兵政資料に残る「明治24年4月11日 有地海軍中将 海防意見書」を、現代語訳して示す。



20071115_第8回

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2007年11月11日

2007年11月8日(木)、1・2時限。

草創期の海軍を理解するための枠組みを考えるため、吉村正彦「台湾出兵---明治海軍建設過程とのかかわりにおいて---」(防衛学研究24、2000年11月)を示した。明治海軍としての初発の経験を確認し、1890年〜1891年当時への影響を推測した。

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2007年11月07日

2007年11月5日(月)、3・4時限。

基本的には昨年と同じ話しをした。これで分担は終り、来週からは数理情報研究室の松岡和夫さんの担当。

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2007年10月18日

2007年10月18日(木)、1・2時限。

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1. 1891年前半の出来事
2. 経済(商)と軍事(兵)
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20071018_第5回_120071018_第5回_2

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2007年10月13日

2007年10月11日(木)、1・2時限。

『国民之友』126号(1891.08.03)から3号に亙って分載されたQ.S.T「兵商論」の冒頭「緒論」と、『国民之友』126号の社説「国民之友」欄掲載の「対外政策の方針」を対比させて読む。

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2007年10月04日

2007年10月4日(木)、1・2時限。

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1. 蘇峰自伝の前書きと目次
2. 第20章「自らを解剖す」二「反抗心と優越心」
3. 第10章「日清戦役時代と予」一「明治二十七八年役と予」
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2007年10月02日

2007年10月1日(月)、3・4時限。

昨年の第1回と基本的に同じ内容。「情報」と「諜報」について言葉の歴史を説明するため、小学館『日本国語大辞典』第二版を用いたことが異なる。

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2007年09月27日

2007年9月27日(木)、1・2時限。

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1. 講義担当者の徳富蘇峰との出会い
2. 蘇峰の生涯を概観(年譜を用いて)
3.本講義では1886年から1913年の蘇峰をどのように把握するか
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2007年09月20日

2007年9月20日(木)、1・2時限。

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1. 授業の説明
2. 講義テーマの概要
3. 徳富蘇峰の生涯はどのように捉えられてきたのか
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1. 定期試験で成績を付ける。問題は客観式。参考材料として4〜5回出席をとる。
2. 昨年は「徳富蘇峰と日清戦争再考」だったが、今年は「海上権力をめぐる海軍と徳富蘇峰」とした。「マハン海上権力論の日本への導入 → 徳富蘇峰と民友社・国民新聞社への影響」と捉えていたものを、「マハン海上権力論の日本海軍への影響 → 海軍が国内広報活動に活用 → 徳富蘇峰と民友社・国民新聞社への影響」と捉え直す。
3. 徳富蘇峰自身の大正・昭和の回想と、戦後の蘇峰研究者の蘇峰の生涯の捉え方が「日清戦争を前後して二期区分とする」点で共通。前者は日清戦争後を望ましい現在の自分に繋がる時代と捉え、後者は日清戦争前に戦後の価値観につながる輝いた過去を見ようとした。1886年の上京から、1913年の『時務一家言』執筆までの時期の捉え方がどちらも違っている。それを14週の講義で指摘、説明する。

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2007年08月03日

2007年8月2日(木)、1・2時限。

【結果】
1時限。15名受験のうち、5(11名)・4(2名)・3(2名)・2(5名)・1(0名)。
2時限。22名受験のうち、5(10名)・4(5名)・3(4名)・2(3名)・1(0名)。



【問題】
歴史学機 ー萄蝓 々学部・2年次〜  木曜・2時限  参照許可物等なし

1.つぎの地図上に記した´↓の沿岸に設置された救難所の地名を、地図の下に列記した。それぞれの救難所が存在する地域を、´↓の内から選び○で囲め。(1個4点、計12点)



  ----<関門海峡周辺に 津軽海峡周辺に◆∨質軾湘膽辺にと記した地図>----



若松 →
布良 →
大間 →



2.つぎの地図上に、1905年に救難所が設置された丸尾崎に「☆」印を、下関救難所の支所が複数置かれた彦島に ◎」印を記せ。(1個4点、計8点)


  ----<山口県付近の地図>----




3.つぎの諸団体の活動内容を、選択肢から選んで記入せよ。正解が二つあるものもある。いずれか一方の記入でよい。(1個4点、計20点)
日本赤十字社 (             )
大日本武徳会 (             )
愛国婦人会  (             )
日本海員掖済会(             )
帝国海事協会 (             )
<選択肢> 戦傷者救護、射撃訓練、海員養成、武道場建設、義勇艦隊建設、看護婦養成、船級検査、軍人遺族援護

4.下線部に適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。     (1個3点、計60点)
(1) 明治の警察を、現在の警察と同じ範囲の仕事をしていた組織であると速断してはならない。明治時代の警察官の殉職で一番多いのは、______________による死亡であることを知り、驚いたことがある。明治の警察=警察署+消防署+_____________、である。1938年に厚生省が設置され、公衆衛生関連が移管された。1948年には消防庁が設置され、消防が警察から分離した。これと同様なことが、海軍の理解についても存在する。明治の海軍を、戦後日本において海上自衛隊の占める位置を過去に遡らせて理解すると、思わぬ誤解となる。海上保安庁が設置された1948年以前、現在の海上保安庁の仕事は、遠方海域においては海軍、沿岸海域においては_____________や沿岸民とそれらを指揮監督する市町村長・警察官によって担われていた。現在では、海事領域=海上自衛隊+海上保安庁+民間、となっている。一方、明治時代には、海事領域=海軍+民間、であった。海軍には、現在は海上保安庁に属し、数年前「海洋情報部」と改称した_____________も属していた。日清戦争前後には、肝付兼行はその部長であった。
<選択肢> 犯人との格闘、伝染病感染、水防活動、消火活動、山岳救助、税関、税務署、消防、保健所、検疫所、陸軍、海軍、海上保安庁、海上自衛隊、水難救済会、水路部、測量部、海図部

(2) 日本の近代において地域社会に外国軍が接近し戦場となった事例としては、第二次世界大戦の沖縄戦と本土の空襲以前には、______________当時の敵国艦隊の沿岸接近がある。その戦争で最後の海上の戦いとなった著名な海戦は、____________海峡付近で始まったものである。近隣諸県まで砲声が轟いたという。
<選択肢> 台湾出兵、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、津軽、大隅、対馬、宗谷

(3) 中央では、皇族を総裁として戴き、その下で会長が実務を統括し、地方では、知事が府県支部長、市町村長が市町村支部長を務める組織形態をとった最初の公益団体は、______________である。この団体は、現在もほぼ同じ組織形態を維持している。社費あるいは寄付金を多く出した個人に、______________を与え表彰することも明治時代と同様である。なお、総裁は歴代の皇后陛下である。
<選択肢> 有功章、忠愛旗、義勇旗、消防団、消防組、愛国婦人会、在郷軍人会、海員掖済会、海事協会、日本赤十字社

(4) 明治時代における水難救済会の実行組織を考察するとき、比較すべきは______________である。ボランティアの地域住民が、警察官の指揮のもとで、実行に従事するという面が共通する。
<選択肢> 消防団、消防組、在郷軍人会

(5) 日露戦後にいたるまで、日本の沿岸航路の高級船員の職は、多く_____________に占められていた。この背景があるため、沿岸での和式帆船と汽船の衝突に際して救助に駆けつけることは、当時の国民の愛国心を高揚させる行為となった。
<選択肢> 西洋人、日本人、清国人、韓国人

(6) 1903年5月5日、早速丸遭難を報ずる防長新聞の論調が、衝突相手の韓国船漢城号の__________人船長への不信感を強く表現しているのは、前項の事情が関係していたであろう。その記事でもう一つ注目すべきは、たまたま早速丸に乗船していた「__________________」たちの行動の肯定的描写である。軍隊や軍人に対する肯定的姿勢は、地域の消防組織が「軍隊的に組織」され「________________」を多くメンバーに含むことをプラスに評価する新聞論調とも一致する。当時の時代思潮の表現であろう。
<選択肢> ドイツ、アメリカ、韓国、中国、軍艦富士乗組の水兵、第二十五連隊の兵士、退職警官、市町村職員、在郷軍人、現役軍人

(7) 日露戦争後になると水難救済会の幹部から、遭難船に対する沿岸民の分捕りという悪習・旧慣を是正し、文明化するのに救難所の設置が役立ったという回顧的発言が出てくる。救済会総裁である______________にはさすがにそのような発言ないが、会長である退役海軍将校・伯爵______________、逓信省管船局長を長く務めた理事塚原周造は、口を揃える。1907年、アメリカ汽船ダコタ号が千葉県白浜村、野島崎灯台の東方で難破しかけた時、それに気づいた白浜村村長が、_________________に定められた義務に従い、村民を動員し十数艘の漁船を出して救助に赴いた際、ダコタ号船員から掠奪者に間違えられ 「足蹴に遭」ったとのエピソードも思い出される。
<選択肢> 有栖川宮威仁親王、佐野常民、吉井幸蔵、肝付兼行、水難救護法、海難救助法、商法、民法、警察法、市町村法、 

(8) 海軍少将井上敏夫の生涯は、「広義の海軍」、すなわち、海軍とその外郭団体が作り出す世界の存在を教えてくれる。日露戦争の直前、一等戦闘艦「__________」の艦長として、二度の関門海峡試験航行を成功させた。日露戦時には、仮装巡洋艦「香港丸」艦長から、特務艦隊司令官を勤め、1906年に予備役となった。その2年後には三重県四日市市から衆議院議員に当選し、後に、立憲______________に所属することとなる。郷里の石川県では「半生を日本海員掖済会に捧げた」(石川百年史、石林文吉、1972年)と記憶される井上に四日市との縁が生じたのは、四日市に海員寄宿舎を設置するため、掖済会理事として同地を訪れたことがきっかけであった。
<選択肢> 八島、大和、三笠、富士、敷島、政友会、同志会、憲政会、民政党

(9) 第一次西園寺公望内閣の内務大臣である______________は、港湾調査会を設置し、全国港湾の整備計画を策定した。______________の水路整備に関して、海軍は、内部に「委員を設置し既に調査を遂げたる結果に基き種々の注文を出」したという。ドレッドノート級戦艦の建艦競争が始まった時代背景においては、主力戦艦部隊の同地点通過による効率的な運用が必須となったのだろう。
<選択肢> 伊藤博文、西園寺公望、原敬、大浦兼武、寺内正毅、桂太郎、山本権兵衛、紀伊水道、豊後水道、津軽、関門海峡、東京湾口


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2007年07月19日

2007年7月19日(木)、1・2時限。

-------------------
1. 試験の問題形式
2. 評価基準
3. 講義内容の再構成
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2007年7月18日(水)、2時限。

残る4人が発表した。これでこの科目は終了。



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2007年07月14日

2007年7月14日(土)、1・4時限。

海軍が海事思想の涵養、海軍力の予備拡充を意図して活動していた背景。

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2007年07月13日

2007年7月12日(木)、1・2時限。

近代政治史を概観し、そのなかでの日露戦後における海軍と政友会の位置を説明。


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2007年07月11日

2007年7月11日(水)、2時限。

発表本番が始まった。きょう間に合わなかった人は、来週です。


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2007年07月05日

2007年7月5日(木)、1・2時限。

井上敏夫について、日露戦後にいたる経歴を紹介。




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2007年07月04日

2007年7月4日(水)、2時限。

来週発表する予定の者について、現状報告。アドバイス

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2007年06月30日

2007年6月28日(木)、1・2時限。

昨年とほぼ同じ内容

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2007年06月28日

2007年6月27日(水)、2時限。

レジュメA4、1枚で、各自の途中経過を報告してもらう。本調査に当たって、テーマの絞り込みを目的とする。

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2007年06月21日

2007年6月21日(木)、1・2時限。

今までの講義内容を振り返りつつ、『逓信事業史』第6巻、第10篇「管船」を読む。山口県の県紙『防長新聞』から見た視点と、中央官庁の編纂物から見た視野を対比。日本海員掖済会、帝国水難救済会、帝国海事協会、海員の項目。

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2007年06月20日

6月20日(水)、2時限。

本日より、教室からセミナー室へ移動。一人一人からどんなテーマで発表を考えているかを聞き取り、それぞれについて調査を展開する方向や可能性をアドバイスした。
来週、テキスト『英国外交官の見た明治維新』に、自分のテーマに関するどのような記述があるのかを総チェックし、その上でどういう本調査に向うかを、途中経過報告してもらうことにした。

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2007年06月15日

2007年6月14日(木)、1・2時限。

全国すべての海浜が、水難救済会の救難所によってカバーされたわけではない。それは一部分であった。その他の地域は、水難救護法による救難体制がとられていた。

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2007年06月13日

6月13日(水)、2時限。

教科書『英国外交官の見た明治維新』をよりよく理解するために調査し、報告する。
予備調査(大学キャンパスや自宅で)と、本調査(出かけて調べる)。
仮テーマから本調査のテーマを絞る。
本調査の後、発表になるように視角やテーマを微調整する。



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2007年06月07日

6月7日(木)、1・2時限。

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1. 日本海員掖済会(海員養成)
2. 水難救済会(海難救助)
3. 帝国海事協会(海事一般→船級検査)
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