大阪工業大学工学部

2007年06月06日 18:15

6月6日(水)、2時限。

1.「華やかなアマ」と「地道なプロ」(4頁終りから2行目)とは、それぞれ、ミットフォードとサトウを指している。「社会的出身や性格の相違」とは具体的にどのようなことなのか、対比的に述べよ。

2.「パークス公使とフランスのレオン・ロッシュ公使の二人の間の支配権争い」(17頁8〜9行目)とは、どのようなことか、簡単に説明せよ。また、どちらが最終的に勝ったのか。最後に、関連する記述のある頁を列挙せよ。

3.第二章「将軍との会見」冒頭(43頁2行目)に、「どちらの側」という表現がある。またこれは、45頁11行目「相反目する二派」と同じ内容であろう。第二章の叙述からわかる範囲で、この両派についてその構成要素(藩や個人名)を整理して表として書き抜け。
     〔大君側〕
     〔幕府に不満を持った大名たち〕

4.第三章「加賀から大坂への冒険旅行」において、「公使が望んでいた情報」(85頁終りから2〜3行目)とはどのようなことか、箇条書きにせよ。また、探索の結果、ミットフォードは、どのような報告を公使に対してしたと考えられるか。

5.本書が、20世紀初頭に書かれたことを推測させる部分を5ヶ所、指摘せよ。また、なぜその部分から、そのように推測することができるのかを説明せよ。


2007年05月28日 20:07

5月29日(火)〜6月5日(火)の間、休講になったそうです。

掲示:「麻疹(はしか)の流行に伴う休講について

2007年05月24日 14:05

5月17日(木)、1・2時限。

--------------------------------------------------
1. 消防組 --- 実行組織の重複
2. 武徳会、愛国婦人会、赤十字社 --- 募金組織の競合
3. 在郷軍人会
--------------------------------------------------


2007年05月23日 19:06

5月23日(水)、2時限。

速いペースで各章を概観。来週の理解度を確認するための試験問題を事前公表した。

2007年05月17日 12:50

5月17日(木)、1・2時限。

---------------------------
1. 丸尾崎救難所
2. 山口支部発会式
3. 存在意義の説明
---------------------------

2007年05月16日 21:04

5月16日(水)、2時限。

神戸事件について、ミットフォードの証言の独自性を特に説明した。

2007年05月10日 13:39

5月10日(木)、1・2時限。

---------------------------
1. 水難救済会の沿革
2. 公益団体、系統組織
3. 海難救助の課題
---------------------------

2007年05月09日 22:10

5月9日(水)、2時限。

それぞれの概略を解説。

2007年05月02日 20:48

5月2日(水)、2時限。

幕末政治の両陣営、慶喜は「陛下」「殿下」か、大坂城の本丸御殿、ミットフォードによる徳川慶喜の人物描写

2007年04月26日 21:02

4月26日(木)、1・2時限。

---------------------------
1. 日露戦争までの組織形成
2. 戦時心得と監視活動
3. 救助活動
---------------------------

2007年04月25日 21:46

4月25日(水)、3時限。

来日の印象、英国公使と仏国公使の対立、横浜大火、江戸への公使館移転、門良院にサトウと下宿

2007年04月19日 16:13

4月19日(木)、1・2時限。

------------------------------------
1. 日本海海戦
2. ウラジオストク巡洋艦戦隊
3. 海事世界と水難救済会
------------------------------------



4月18日(水)、2時限。

いつもの通りの内容。アーネスト・サトウ、と、ミットフォードの関係。両者の書き残した回顧の関係などを確認。

2007年04月12日 15:12

第1回、4月12日(木)。

------------------------------
1. 授業の説明
2. 担当者の自己紹介
3. 導入
------------------------------

配布物
1-表 レジュメント
2-裏 論文「明治期山口県における水難救済会の組織形成」の冒頭
2-表 歴史学汽轡薀丱
2-浦 歴史学競轡薀丱

2007年04月11日 13:18

第1回、クラス分けを行った。教科書を購入し、来週までに通読してくる範囲を指示した。

2007年02月14日 16:14

2月2日(月)に実施した定期試験結果。

<<月曜3時限>>
登録者数:76
受験者数:46(受験率 60.5%)
合格者数:35(受験者中合格率76.0%、登録者中合格率46.1%)
評価)該当人数
5)1
4)10
3)24
2)11
1)0

<<月曜4時限>>
登録者数:88
受験者数:56(受験率 63.6%)
合格者数:44(受験者中合格率78.6%、登録者中合格率50.0%)
評価)該当人数
5)10
4)18
3)16
2)12
1)0

<<合計>>
登録者数:164
受験者数:102(受験率 62.2%)
合格者数:79(受験者中合格率77.5%、登録者中合格率48.2%)
評価)該当人数
5)11
4)28
3)40
2)23
1)0



2007年02月08日 15:34

1.下線部に適合する語句を<選択肢>から選んで記入し、文章を完成しなさい。なお、同じ選択肢を2度使ってもよい。(1個4点、計 100点)
(1) 本講義のテーマは「徳富蘇峰と日清戦争再考」であった。再考である以上、既存の「徳富蘇峰と日清戦争」についての理解があり、それに別のイメージを対置する試みであろう。既存の理解とはどのようなものか。まずそれを確かめよう。1863年に、現在の________________________県に生まれ、同志社に学んだ蘇峰は、1886年、出身地を引き払い上京し、翌年には、雑誌『____________________________』を創刊した。__________________________という政治思想を鼓吹し、当時の青年たちに熱烈な歓迎を受けた。その思想は、英語の「デモクラシー」の翻訳語であって、政治参加の国民全体への拡大・経済成長の成果の分配を通じた国民の平準化を求めるものであった。数年後の1890年には、日刊紙『________________________』を創刊し、首都の新聞界にデビューした。ところが、日清開戦を迎えると、対外膨張主義を唱え、政府や軍の戦争指導に協力し、雑誌と書籍を出版する________________________と新聞社の総力を挙げて戦時報道に邁進した。
(2) 過去のある時点での一連の出来事がある。例えば、日清戦争中の徳富蘇峰の思想と行動もその一例となろう。渦中にいて体験した者が、当時書き残した文書や書簡、後に思い出して語ったり書いたりしたもの。そうした過去の出来事について残された情報が累積し、過去のイメージが形成される。本講義は、こうした歴史データの累積と歴史像の形成のプロセスを、理解し直そうという試みであった。蘇峰が他界した1957年頃から開始された蘇峰研究は、日清戦争以前の蘇峰を、第二次世界大戦後の価値観にもとづき________________________に評価し、具体的なあり方を研究することからスタートした。ところが、1935年に刊行された『蘇峰自伝』では、日清戦争以前は、藩閥政府の国家権力独占を打ち破り(1) で述べた政治思想の実現を目指し__________________________に務め、日清戦争後は、欧米三ヶ国、すなわち、__________________________、__________________________、__________________________による日清講和条件への干渉をきっかけとして、日露戦争から大正期、昭和戦前までつづく__________________________に努力する時代を迎えることになると自分の生涯を概観している。昭和初期の自分を説明するのに都合のよい側面に限って、過去を思い出し、語っている。
(3) 三国干渉から1年後の蘇峰も、また、その時点での自分に都合のよい側面に限って、日清戦争中の自分を語っている。蘇峰が、1896年4月に所有する新聞の社説欄に署名入りで掲載した「________________________________」は、「我が朝野に於ける世界時務的知識の欠乏」「単に国力のみ進みて、国民の眼界の進まざりし不権衡」が原因となって「____________________」を引き起こしたとしている。これは、日清戦争中の外務大臣____________________________が前年末に書き上げた著書『________________________________』最終章と三国干渉原因論としてはほぼ同趣旨である。日清戦争後、日露戦争を終えるまでの蘇峰は、政府・軍首脳部との密接な関係を維持しつつ、日本国民を指導するとともに、対外的には、日本政府の意向を代弁する新聞として自社を位置付けようと試みる。日清戦争1年後の時点では、その方向へハンドルを切り始めたところであるが、構想としては、日英同盟締結から日露戦争中に総理大臣を務めた__________________________との関係で最終的に実現した方向性を思い描き、その構想との関連で日清戦争中の自分の行動を意味づけ、説明しようとしていた。蘇峰とこの日露戦争中の総理大臣とは、日清戦争中は戦地で第三師団を率いる師団長と取材記者という関係で初対面しており、また、____________________________まで政治的盟友としての関係を続けることとなった。
(4) 『蘇峰自伝』と同じ1935年に出版された『________________________________________』の編述者は、徳富猪一郎、すなわち、蘇峰である。このなかで蘇峰自身が起草者となった「台湾占領の意見書」という手紙形式の意見書を全文転載し、日清戦争中、その伝記の主人公が台湾占領を唱えるだけでなく、三国干渉の結果、清国へ返還せねばならなくなった地域を割譲要求することに________________________態度をとったと記述している。しかし、これは後知恵である可能性が大きい。当時の陸軍参謀次長川上操六は、この伝記の主人公と同じ現在の________________________県出身者であった。
(5) 日清戦争に際し、徳富蘇峰はなぜ、台湾占領を主張したのか。その背景には、1886年の上京と論壇へのデビュー作である『将来之日本』出版以後・日清戦争にいたる時期において、国家将来構想の一部分を形成する「軍事政策論」の転換が事前に発生し、国民の海外発展を支援する平和にあっても有益な軍備としての海軍という発想が蘇峰とかれが所有する言論集団に採用されていたことを指摘することができる。そもそも、『将来之日本』の各論として、軍事を論じた『______________________________』(1889年)では、その情報とアイディアの出所は退役陸軍中将____________________________であった。これに対し、第一帝国議会が終ったのち数ヶ月の間に、大津事件とシベリア鉄道着工、清国北洋艦隊の神戸・横浜への友好訪問、が起こった1891年、蘇峰が経営する雑誌の8月3日号には、社説「対外政策の方針」と特別寄書「兵商論」が掲載された。特別寄書とは、現在のことばで特別寄稿という意味で、匿名の寄稿家「Q.S.T.」が「兵商論」を投稿していた。講義の中ではこの寄稿家を__________________________と推定した。かれが責任者を務めたのは、現在の海上保安庁海洋情報部に系譜が連なる組織で、第二次世界大戦前は海軍に属し、____________________________と呼ばれていた。日本人が商業活動上、また、移民として海外へ渡る以上、邦人の居留民を保護する海軍が必要とされるという論理である。日清戦争開戦の年の暮れ、12月に出版された蘇峰が経営する雑誌の社説から編集された単行本『__________________________________』の巻末近くの一章に「経世の二大動機」がある。「膨脹的日本」「国民を挙げて万里の波濤を開拓する」という発想の背後には、海軍とその広報活動があった。


<選択肢>
鹿児島、熊本、福岡、山口、国民評論、国民之友、太陽、国粋、国民主義、平民主義、平等主義、国民主権主義、東京新聞、国民新聞、東京日日新聞、国民日報、平民時報、平民社、時勢社、民友社、大江社、肯定的、否定的、藩閥打破、白閥打破、憲政擁護、普選実現、平和主義、国際法確立、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ロシア、ソ連、オーストリア、ドイツ、スイス、イタリー、フランス、オランダ、ベルギー、イギリス、台湾占領の意見書、欧米周遊に就て江湖の諸友に告く、世界漫遊の趣意と日程、松方正義意見書、威海衛を衝き台湾を略すべき方略、伊藤博文意見書、威海衛還付、平壌還付、遼東還付、山東還付、天津還付、直隷還付、井上馨、川上操六、曾我祐準、山県有朋、陸奥宗光、林薫、小村寿太郎、蹇蹇録、寒寒禄、塞塞禄、回顧録、三年有半、鶏肋記、伊藤博文、松方正義、西園寺公望、寺内正毅、大正初期、昭和初期、第二次大戦後、陸軍大将川上操六、公爵伊藤博文伝、公爵松方正義伝、公爵山県有朋伝、山本権兵衛、東郷平八郎、肝付兼行、伊東祐亨、井上敏夫、日本国防論、大日本膨脹論、海外移民論、海洋部、海上諜報部、水路部、海図部





【正解】
(1) 熊本、国民之友、平民主義、国民新聞、民友社
(2) 肯定的、藩閥打破、ロシア、ドイツ、フランス、白閥打破
(3) 欧米周遊に就て江湖の諸友に告く、遼東還付、陸奥宗光、蹇蹇録、桂太郎、大正初期
(4) 公爵松方正義伝、否定的、鹿児島
(5) 日本国防論、曾我祐準、肝付兼行、水路部、大日本膨脹論


2007年02月02日 21:08

本日、共同担当の松岡さんと二人で、工学部総合人間学系総合科目「情報の世界」(後期、2単位)の試験を行なった。担当者3人が、試験用紙1枚の問題をそれぞれ作成し、履修生は3分野の問題に60分で回答する。時間の余裕があまりない様子だった。

3人目の担当者には、本務先に答案を送るので、成績が出揃うのは来週の半ば以降である。

2007年01月23日 15:56

情報の世界 2007年1月15日(月) 3,4時限


最終回。最初の5週の担当者のわたくしと、つぎの4週の担当者の松岡さんの二人で、それぞれの講義内容の補足を行い、試験についての予告をした。



2007年01月18日 16:43

歴史学供崙蘇拜品と日清戦争再考」 2007年1月18日(木)1,2時限

(以下、配布物)
-----------------------------------------
1. 試験の形式と採点基準
2. 講義のまとめ
3. 授業アンケート
-----------------------------------------

1. 試験の形式と採点基準
【試験日時】 2月8日(木) 1時限、2時限
【問題形式】
a. 講義内容を文章化し、文中に空白を25箇所設ける
b. 問題の末尾に、選択肢を置く
c. 回答者は、最もよく当てはまることばを選び空白に記入する
d. 記入の際、転記ミスによって誤字となったものは、点にならない
e. 1個4点、100点満点
f. 参照物等なし
【採点基準】
a. 点数の刻みは、100, 96, 92, 88, 84, 80, 76, 72, 68, 64, 60, 56, 52, 48, 44, 40, 36…
b. すべての回に出席し内容を理解した受講生は88点以上になるようにと考え、問題を作成する。但し、問題文を誤読するなどのケアレスミスもあるので、過去の実績では「80, 76」ないし「76, 72」を、「5」と「4」の境界とした。(なお回答の結果により最終判断するので、この区切り位置を約束するものではない)
c. 「これほど出来ない人には単位を出せない」点数と、「随分間違っているが講義を聞いて理解している部分もあることが確認できる」点数との間を、「2」と「3」の境界とする。過去の実績では、このラインは「64, 60」から「52, 48」の範囲にあった。
d. 「5」と「4」の境界と「3」と「2」の境界の中間地点に、「4」と「3」の境界を置く。
e. 「4」の幅 =「3」の幅 =「2」の幅とし、「2」と「1」の境界を引く。
【過去問】
「歴史学供廚硫甬醋笋聾開していないが、つぎの二科目については公開してある。
・2006前「歴史学機http://rshibasaki.livedoor.biz/archives/50469094.html
・2005後「現代日本への歩み」http://rshibasaki.livedoor.biz/archives/50475421.html
  なお知財「現代日本への歩み」(2007年度より「歴史学」と改称)は、他学部履修可能。


2. 講義のまとめ

【各週の表題と3部構成】
09/21 第1回 導入
後半生から晩年に若き明治の日々の若気の至りを語った蘇峰自身の回顧のトーンと、第二次大戦後の価値観を過去に投影した歴史研究が、奇妙に符合し、「日清戦争当時の蘇峰の行動の実相」が埋もれてしまった経緯を発掘する。
(1) 大正期・昭和期になってからの蘇峰の「遼東還付」言説の過去への投影を検討し、それを取り去った後に残る日清戦時の自己認識と行動の再構成
(2) 日清戦争の「展開期」から「講和期」への転換点であった旅順要塞陥落直後の時点で、台湾占領の実行を政策化するプロセスに関与した蘇峰の姿を示す
戦後の蘇峰研究の共通理解と、蘇峰自身が自伝などで語った把握は、日清戦争を境として蘇峰の生涯を二期区分で理解する点で共通する。
--------------------------------------------------------------------------------
09/28 第2回 蘇峰自伝の自画像「藩閥打破」から「白閥打破」への転換が日清戦争をきっかけとして起こったとする昭和初期の自画像、その背後には、幼少時にはじまり、生涯を一貫する「自分よりも権威や権力のある者へ反発心を抱く」という傾向があった。昭和初期の蘇峰は、そう主張する。
10/05 第3回 1896年4月の自己認識
「欧米周遊に就て江湖の諸友に告く」を読む
10/12 第4回 陸奥宗光『蹇蹇録』との対比
『蘇峰自伝』「欧米周遊に就て江湖の諸友に告く」『蹇蹇録』の遼東還付についての言説を比較、世論と外交について一般的に説明(現実主義的対外政策と対外硬)、
国内政治に生息域をもった開戦前と内外の情報流通に存在をかけた開戦後の対比
10/19 第5回 蹇蹇録と公爵松方正義伝に見る講和要求の分布
前回配布した『蹇蹇録』最終章を読む、公爵松方正義伝の史料的説明
-----------------------------------------------------------------------------------------
10/26 第6回 台湾占領の意見書(その1)
発信人と受信人の関係、史料を読み込むときのチェックポイントを埋める
11/09 第7回 台湾占領の意見書(その2)---その論旨---
北進論と南進論(近代日本の拡張方向)、宣戦→休戦→講和(典型的な戦争プロセス)
11/16 第8回 台湾占領の意見書(その3)---起草と発信の事情---
発信日時の推定、関連人物の動向
11/30 第9回 伊藤博文意見書
台湾占領の意見書のまとめ、「威海衛ヲ衝キ台湾ヲ略スヘキ方略」を読む
12/07 第10回 斎藤聖二『日清戦争の軍事戦略』を読む---先行研究との対比
台湾占領の意見書(1894年11月26〜27日頃)、伊藤博文意見書(同12月4日)から抽出したイメージを斎藤さんの著書と対比
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------
12/14 第11回 まとめと補遺---第1部と第2部を通じて
1. 第2の松方意見書(1895年3月、伊藤首相宛)の論旨を推測する
2. 1896年4月と1894年4月(1年後の回顧と当時の言動との落差)
3. 1991年に工大紀要に載せた拙稿の論旨
12/21 第12回 1891年、『日本国防論』から「兵商論」へ---台湾占領論の前提成立
輕武装の陸軍中心の軍備政策により国防費の抑制を図ることから、民間船舶や海外居留邦人を保護する平時にも有用な軍備としての海軍中心の政策への主張転換(曾我祐準→肝付兼行)
01/11 第13回 日清戦争中のポジショニングの転換と、講和条件に関する論調
1894年12月28日付阿部充家宛徳富猪一郎書簡(国内政治改革から対外膨張への転換)
日清戦争中の国民新聞の記事から講和条件に関する切り抜き(白閥打破の一貫性)
-----------------------------------------------------------------------------
01/18 第14回 まとめと残された課題



ブログ「研究と教育 柴崎力栄(大阪工業大学 知的財産学部 人文社会研究室)業務日誌」のなかの本講義についてのカテゴリーを参照のこと。
http://rshibasaki.livedoor.biz/archives/cat_1081522.html

1年次科目「人文社会入門」の教科書、『人間・その総合的理解』のうち、柴崎執筆分「歴史をどのように学ぶか」に記した歴史研究方法論を具体的に適用したのがこの講義である。相互に対照して読んでみて欲しい。

(以上、配布物)

日本の伝統と文化 2007年1月17日(水) 2時限

先週発表の準備が間に合わなかった2人が、補講期間のこの日、発表した。これで、後期のこの科目は終了。

2007年01月11日 13:34

歴史学供崙蘇拜品と日清戦争再考」 2007年1月11日(木)1,2時限

(配布物)
・1894年12月28日付阿部充家宛徳富猪一郎書簡(部分)
・日清戦争中の国民新聞の記事から、講和条件に関する切り抜き

20070111割譲要求の範囲



20070111白閥打破の継続性

2007年01月10日 19:16

日本の伝統と文化 2007年1月10日(水) 2時限

履修生5人のうち、2人が発表した。2人は来週に発表の予定。残り1人は連絡取れず、脱落と思われる。



2006年12月21日 10:58

歴史学供崙蘇拜品と日清戦争再考」 2006年12月21日(木)1,2時限


垣田純朗編『日本国防論』(明治22年1月、民友社)について、『蘇峰自伝』(1935年、民友社)第10章「日清戦役時代と予」一「明治二十七八年役と予」には、つぎのように記されている。川上操六との出会を回顧するなかで、曾我祐準への論及がある。
-------------------------
従来予は川上将軍とは、何等の縁故も無かつたと云はんよりも---川上将軍が予に対して如何に思うてゐたかは知らぬが---予としては、川上将軍には決して好感を持たなかつた。と云ふ訳は、予は父の執[とも]として曾我老将軍と懇意であつた。而して老将軍と共同して、『日本国防論』なるものを、明治二十一二年の頃『国民之友』に掲げて、手酷く当時の陸海軍に対する批評を試みた。而して曾我将軍等は、当時の参謀次長川上操六、陸軍次官桂太郎等に排斥せられたる人々であれば、その人々が彼等に対して、好感を持つ筈はなかつたからだ。
-------------------------
(同書、296頁)
もともと、『国民之友』の連載なので、編者の垣田は、それを本に編集する担当者ということである。論考の筆者は蘇峰であると考えてよい。

ところが、1891年8月3日付『国民之友』第126号には、匿名の寄稿家「Q.S.T.」による特別寄書「兵商論」が掲載される。「Q.S.T.」は、水路部長肝付兼行である。(判断の理由はいずれ発表原稿に書く)

この民友社・国民新聞社の国防論の転換、即ち、輕武装の陸軍中心の軍備政策により国防費の抑制を図ることから、民間船舶や海外居留邦人を保護する平時にも有用な軍備としての海軍中心の政策への主張転換は、曾我祐準から肝付兼行へのアイディアと情報源の変更によって発生した。

20061222明治の海軍・平成の海軍
明治の海軍とは、現在の海上自衛隊と海上保安庁を併せた領域を担当する国家組織であった。
明治期における海事とは、現在の海洋開発・宇宙開発を併せたフロンティアを意味していた。

2006年12月20日 19:44

日本の伝統と文化 2006年12月20日(水) 2時限


途中、欠席がちだった受講者にとっては、この辺からはきつくなる。それでも、発表まではたどりかねばならない。


2006年12月14日 21:00

歴史学供崙蘇拜品と日清戦争再考」 2006年12月14日(木)1,2時限


これから4回は、3部構成の講義の第3部。

1. 第2の松方意見書(1895年3月、伊藤首相宛)の論旨を推測する
2. 1896年4月と1894年4月(1年後の回顧と当時の言動との落差)
3. 1991年に工大紀要に載せた拙稿の論旨(当時の水準として見る)

20061214第11回まとめと補遺

2006年12月09日 19:33

歴史学供崙蘇拜品と日清戦争再考」 2006年12月7日(木)1,2時限


台湾占領の意見書(1894年11月26〜27日頃)、伊藤博文意見書(同12月4日)から抽出したイメージを斎藤さんの著書と対比。

斎藤さんは、未発に終わった直隷作戦の実施プランの変遷を軸に、日清戦争の戦局を検討している。その話に、台湾占領の意見書の示すイメージ領域を付加したら、どのような日清戦争の理解になるのか。

現代日本への歩み 2006年12月6日(水) 4時限

水運の時代から鉄道の時代への以降に伴う、物流ラインの変化

日本の伝統と文化 2006年12月6日(水) 2時限

2006年11月30日 20:02

歴史学供崙蘇拜品と日清戦争再考」 2006年11月30日(木)1,2時限

1. 台湾占領の意見書、まとめ
20061130板書


2. 伊藤博文意見書を読む

配布資料
「威海衛ヲ衝キ台湾ヲ略スヘキ方略」(伊藤博文伝下巻、1940年、春畝公追頌会、134〜138頁)

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