徳富蘇峰

2010年08月11日

昨日の読売新聞朝刊に、高野静子著『蘇峰への手紙』藤原書店の新刊広告が載っていた。ジュンク堂に行き確かめると、史料集としての翻刻ではなく、副題「中江兆民から松岡洋右まで」にあるように、蘇峰宛書翰についての評論集。肝付兼行からの書翰7通について言及があるわけではない。






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2007年04月03日

急いで書いてしまおうと始めた。構想の目次として。

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徳富蘇峰と日清戦争再考

 はじめに

一、発端となる論点
1. 平民主義と生産主義は将来の軍拡を視野に入れていた
2. 蘇峰は、国内政治にも国際政治にも、戦略的発想をした
3. 蘇峰は、社会的影響力の獲得と行使を区別し、実行した
4. 日清戦争時、蘇峰は自らを、対外硬的スタイルの対極に位置づけた(意見修正↓)
5. 蘇峰は、松方正義を通じて台湾占領計画に関与した
6. 肝付兼行「兵商論」が『大日本膨脹論』への道を開いた(意見修正↓)
7. 肝付兼行は、マハン海上権力論の最も初期の紹介者であった
8. マハンの影響を受け義勇艦隊建設の発想が登場した

二、回想のなかの遼東還付
1. 『時務一家言』
2. 『蘇峰自伝』以後

三、海上権力と台湾占領
1. 『台湾遊記』『公爵松方正義伝』
2. 遼東半島割譲要求に反対という回想

 おわりに
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内容を構成することが可能となった前提として。

1. 澤田次郎著『近代日本人のアメリカ観----日露戦争以後を中心に』(1999年)が、徳富蘇峰の言説における「白閥打破」の初出を、1913年5月4日の国民新聞社説「白閥」であることを確定したこと。
2. 斉藤聖二著『日清戦争の軍事戦略』(2003年)が、日清戦争が「緒戦期」から「講和期」へ移行する1894年11月〜12月において、台湾占領への道が現実のものとなった際、伊藤博文首相の意向が大きく関与したことを抽出したこと。
3. 米原謙著『徳富蘇峰』が蘇峰を「便宜主義」と捉えることから示唆を得て、蘇峰を戦略的な動きをする人物と理解できたこと。
4. 1891年の蘇峰における軍事政策論の転換が、海軍水路部長肝付兼行との関係を通じて生じたことを新たに見つけたこと。
5. 1896年4月の外遊事情説明の文章に、陸奥宗光外務大臣と同質の対外硬への批判的姿勢を見つけたこと。


[2011年11月15日、追記]
発端になる論点の「4.」「6.」は、意見が変わった。「6.」については、「兵商論」の著者は肝付兼行ではなく寺島成信であることを、この後に知った。最近紀要に載せた「国家将来像と陸海軍備をめぐる海軍と徳富蘇峰」にまとめた。「4.」については、日清戦争後の回想のなかではそのような言説があるが、日清戦争中には硬六派つながりから脱却したわけではない。回想と行動に落差がある。

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2007年01月09日

かつて、「徳富蘇峰と京城日報」(日本歴史425号、1983年10月)を書いたことがあった。最近、京城日報についての新しい研究を目にするようになった。備忘のため、以下の通り書き抜く。

朴仁植
「朝鮮植民地統治の変容と展開()---総督府の言論政策を中心に」(政治経済史学452、2004年4月)
「朝鮮植民地統治の変容と展開()---総督府の言論政策を中心に」(政治経済史学453、2004年5月)
「朝鮮植民地統治の変容と展開()---総督府の言論政策を中心に」(政治経済史学454、2004年6月)

李錬
「朝鮮総督府の機関紙『京城日報』の創刊背景とその役割について」(メディア史研究21、2006年12月)

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