日清戦争

2007年05月01日

呑象[ガンショウ]高島嘉右衛門が、三国干渉を予言したとはこのことであろうか。
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本日某坐上に於て、高島呑象翁に面会致し候。翁は神易の解釈を持し、当局者の参考にもと存じ、百里の道を遥るばると当地に被参候。翁の説によれば、易の本文に、『速[マネ]かざるの客三人あり、敬して之を納る、吉』と有之。右の御客様は、申す迄もなく仲裁者にして、我邦は無下に之を排斥せず、能々[ヨクヨク]之を聴納する方然る可しとの儀に有之候由に承り及び候。
小生の不肖なる、神易の力を藉らざるも、此後速かざるの御客様が、二人や三人や来ることは、覚悟の前なれども、之を聴納するが吉とは、余り合点の行かぬ事に候。
兎角我々は、最初の大決心を貫徹するの外無之候。之を貫徹して、而して列国の感情を害せざるは、最上の手際に御座候。我々之を我が当局者に望むものに候。所謂る『敬して之を納る』とは、外交政略上の儀式に候。必らずしも一々他の申分を聴入る儀には無之候。此には裏もあり表もあることと存じ候。我々は当局者が、決して決して此の点に就て、ぬかりなきことを信ぜんと欲するものに候。
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(国民新聞1441号、1894年10月28日、1面、「大本営地に於ける見聞一斑 十月廿四日午後五時 広島に於て 蘇峰生」)


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2007年04月03日

急いで書いてしまおうと始めた。構想の目次として。

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徳富蘇峰と日清戦争再考

 はじめに

一、発端となる論点
1. 平民主義と生産主義は将来の軍拡を視野に入れていた
2. 蘇峰は、国内政治にも国際政治にも、戦略的発想をした
3. 蘇峰は、社会的影響力の獲得と行使を区別し、実行した
4. 日清戦争時、蘇峰は自らを、対外硬的スタイルの対極に位置づけた(意見修正↓)
5. 蘇峰は、松方正義を通じて台湾占領計画に関与した
6. 肝付兼行「兵商論」が『大日本膨脹論』への道を開いた(意見修正↓)
7. 肝付兼行は、マハン海上権力論の最も初期の紹介者であった
8. マハンの影響を受け義勇艦隊建設の発想が登場した

二、回想のなかの遼東還付
1. 『時務一家言』
2. 『蘇峰自伝』以後

三、海上権力と台湾占領
1. 『台湾遊記』『公爵松方正義伝』
2. 遼東半島割譲要求に反対という回想

 おわりに
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内容を構成することが可能となった前提として。

1. 澤田次郎著『近代日本人のアメリカ観----日露戦争以後を中心に』(1999年)が、徳富蘇峰の言説における「白閥打破」の初出を、1913年5月4日の国民新聞社説「白閥」であることを確定したこと。
2. 斉藤聖二著『日清戦争の軍事戦略』(2003年)が、日清戦争が「緒戦期」から「講和期」へ移行する1894年11月〜12月において、台湾占領への道が現実のものとなった際、伊藤博文首相の意向が大きく関与したことを抽出したこと。
3. 米原謙著『徳富蘇峰』が蘇峰を「便宜主義」と捉えることから示唆を得て、蘇峰を戦略的な動きをする人物と理解できたこと。
4. 1891年の蘇峰における軍事政策論の転換が、海軍水路部長肝付兼行との関係を通じて生じたことを新たに見つけたこと。
5. 1896年4月の外遊事情説明の文章に、陸奥宗光外務大臣と同質の対外硬への批判的姿勢を見つけたこと。


[2011年11月15日、追記]
発端になる論点の「4.」「6.」は、意見が変わった。「6.」については、「兵商論」の著者は肝付兼行ではなく寺島成信であることを、この後に知った。最近紀要に載せた「国家将来像と陸海軍備をめぐる海軍と徳富蘇峰」にまとめた。「4.」については、日清戦争後の回想のなかではそのような言説があるが、日清戦争中には硬六派つながりから脱却したわけではない。回想と行動に落差がある。

rshibasaki at 12:53コメント(3)トラックバック(5) 
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