日露戦争

2007年07月22日

日露戦争中の1904年12月から1905年1月にかけて、仮装巡洋艦「香港丸」と「日本丸」は、シンガポール・ジャワ島付近に派遣され、別に巡洋艦からなる分遣艦隊(現実には存在せず)とともに派遣されたように偽装行動をとった。二艦でシンガポールに寄港し、欧米マスコミの取材を受けたことと、バルチック艦隊が泊地とする可能性のある個所の実地調査をした。この時、井上敏夫大佐は、香港丸艦長であり、また先任艦長であったので、二艦の指揮をとった。

アジア歴史資料センターを「香港丸」で検索すると「極秘 明治37、8年海戦史」の記事がヒットする)

仮装巡洋艦の遠隔海域への投入という作戦の経験をもったことは、退役前後に、義勇艦隊建設を遊説して回るときに、説得力をもったであろう。

またこの作戦には、佐藤鐵太郎中佐が同行している。曰く、「又上村第二艦隊司令長官ハ、伊集院軍令部長ヨリノ注意ニ基キ、後来ノ作戦ニ資スルカ為メ、参謀海軍中佐佐藤鐵太郎ヲ香港丸ニ便乗セシメタリ」(294頁、第1編「露国増遣艦隊に対する作戦準備」第5章「香港丸日本丸の南洋巡視」より)。

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2007年06月17日

昨16日(土)、大阪府立中央図書館に行って確認した。『原敬関係文書 第8巻 書類篇5』(1987年、日本放送出版協会)に収録されているのは、「港湾調査会議事速記録 第二号」(明治40年10月23日開会の議事、同書91〜162頁)であった。



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2007年05月03日

内海孝さんの論考「日露戦後の港湾問題---『港湾政策』の成立過程」(社会経済史学47-6、1982年)を読む。ネット経由で本文も見ることができる。

註に「(14) 『港湾調査会議事速記録』第1号、1907年、5頁(運輸省所蔵文書、以下『速記録』と略記)。」と記されている。この論文が書かれた当時、運輸省に『港湾調査会議事速記録』が残っていたことがわかる。

国立公文書館の電子目録を引いても出て来ない。捜し方が悪いためだろうか。国立公文書館に移管されず、国土交通省に残っている可能性も考えてみなくてはならないだろう。

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