海軍

2010年07月05日

兵商論

自序
我が国百年の大計(長期戦略)は兵商併進の方策に外ならない。これは私が長年確信する所の方策である。そもそも日本の国是(コクゼ、国家方針)は商業に在る。立国上我が国民の採るべき方針は全力を海外に伸ばすことにあるだけである。そして平時に於ける文明海軍の任務は商業の保護を主とする。されば(そうであるならば)商業と海軍の密接な関係により平和的軍備を振興することは、どうして国家の急務であると言わないで居られようか。然るに世上を顧みれば、一般に海軍任務の真相を察せず、たまたま国防を説く者がいても、多くは立論が偏っており、国防と国益の関係を考えないようである。私のこの状況に対する感慨の思いは、終にこの一篇を出現させるに至ったのである。非才浅文であるので、あるいは説明の周到さを欠き、あるいは引証の豊富でないおそれを免れないけれども、もしこの論考によって少しずつ世人の海事思想を啓蒙し、我が天賦の国柄を発揚することになり得るのならば、私の幸いと感じるところである。
  明治24年6月                  編者識(ヘンジャシルス)

  目次
第1章 緒言
第2章 列国海軍の形勢
第3章 商業立国の主義
第4章 兵商の関係
第5章 軍用商船の製造
第6章 海軍予備員の養成
第7章 結論

第一章  緒言
国を開いて列国交渉の間に立った以上は、立国の大計を成就することに全力を注がないわけには行かない。立国の大計とは何であるか。国家のそれによって重視されることになる軍備を整頓し、国民が頼って利益に浴すべき事業を発達させることがそれである。
人は「兵は凶事であり、軍備は不生産的である」と言う。これは海軍と陸軍の任務の差別を知らない者の発言である。そもそも文明海軍任務のある所を熟知していれば、容易にこのような説の間違いであることを説明できよう。そもそも海軍の任務は、戦時において攻撃また防禦上の主働者であるに止まらず、平時に於ても、商業や漁撈を保護し、商業民や移住民を守るなど、まったく国益の増進をたすけることにあるから、むしろ平和の保証者であって、間接には国家の生産を助長するものである。すなわち、つぎのことが判る。各国が海軍を整備する理由・目的は、単に非常の時に準備する消極作用に限らず、また進んで平和の時に利益を図る積極作用に由るものであることを。アメリカ合衆国海軍長官は、「平和の最良な保証は国家の必要に応ずべき正常な海軍費を支出するにあり」と語っている。
陸軍にはいわゆる平時の任務というものはない。もしあるとすればただ屯田兵を置くことだけである。これが海軍と陸軍が性質を異にする要点であって、海軍任務の関係がはるかに陸軍の右にでる所以である。然るに世人は海軍を陸軍と同視し、戦時だけの任務を見て粗忽にもこのような断定を下すのはそもそも間違いの甚だしいものではないだろうか。またつぎのことを怪しむ。日本の国防を論ずる者、しかも軍事には玄人である人々が、「我が国は陸軍を主眼とすべきだ」あるいは「陸海軍のバランスが大切だ」などと唱える者が少なくないことを。しかしながら、これにはその理由がないわけではない。ヨーロッパ大陸の諸国が陸軍重視の傾向がないわけでないのは、各国の地勢の関係上止むを得ないことに原因していることが多いのだけれども、また世界史に光彩を放つ所の戦争は、古代から陸上の戦いが多くて、近代のワーテルローの戦い(1815年、ナポレオン仏軍敗北)、サドアの戦い(=ケーニッヒグレーツの戦い、晋奥戦争、1866年)、セダンの戦い(1870年、晋仏戦争)などのように最も人の語る所となり、固く印象に残り、先入主となるため、ついに陸軍思想を偏長するに至ったものである。そして日本では、古代以来鎖国主義を貫徹してきたので、海戦と称すべきものが絶えてなく、歴史上全く著名な陸戦に充ちているのであるから、陸軍過長説が出ることはまた止むを得ないことである。しかしながら、すでに世界の日本となり、同時に、欧州諸国とは大いに地勢を異にしているだけでなく、世界軍備の趨勢も最早変更を加えることを理解した以上は、我が国防に対して海軍と陸軍の軽重を判定することは決して難しいことではない。私は多言を重ねて陸軍主張者を弁駁することを必要としない。ただ彼らに向って海軍と陸軍の任務の差別を察して、つぎに四囲の境遇に鑑み、自国の特質を考えれば、自然と釈然と理解するところがあるだろうと告げるだけである。
国防問題は国民共有の問題である。そもそも日本人民は日本の防衛に付き論じ究める所がなくていいのであろうか。昨年来、帝国議会の開設に連れて海陸軍備を論ずる者は頻々として数が多いけれども、概ね皆純然たる戦時の消極任務に拠って立論し、更に平時の利益者として国益の助長策を画する者があるのを見ない。私は深く感慨ないわけには行かない。ここに文明海軍の任務を基として兵商論を草し、我が立国上最も経済的にして最も効力を奏すべき方策を論究しようとする。

第2章 列国海軍の形勢(略)
第3章 商業立国の主義(略)
第4章 兵商の関係(略)
第5章 軍用商船の製造(略)
第6章 海軍予備員の養成(略)

第7章 結論
以上六章を用いて、列国海軍の現勢を参照し、商業立国の主義に基づき、我が海軍を拡張し外国貿易を振起することの急務であることを証明し、更に、海軍と商業の密接な関係を論じ、この関係を利用し国家の大計を実行する最良手段は軍用商船の制度を定め、海軍予備員の組織を立てることにあることを述べた。論者はあるいは我が国は未だ正則(正規)の海軍の整備を告げないうちに半兵半商の変則海軍を設備しようとするのは本末を知らぬものであると論駁するかれ知れないが、このようなことは我が国が立つ所の位置を省みないだけでなく、文明海軍の任務に疎く、単に昔の軍備思想に支配された者の論である。固より国防に必要な程度までは純然たる軍艦を新製し、正則の海軍将校、兵員を増加すべきであることは、だれかこれを是認しない者があろうか。しかしながら、国家経綸の策を立てるには主として経済と効力の二点に注意し、相平衡を得る(バランスをとる)方法を忘れるべきでない。一方において日本の財力は未だにわかに右の必要を充たすことを許さないとともに、一方においては、外国貿易は恰も誘掖(ユウエキ、さそいたすける)奨励を待ちつつある現状を理解すれば、一石二鳥の策として、特に補助的な海軍を創設し、国権を張り、併せて国益を進める方法を採ることは、もっとも須要な次第ではないだろうか。
いまや論旨を結ぼうとするに臨み、その費用の支出の点について少し鄙見(私の意見)を述べることとする。
初期の国会は大胆にも政府支出650万円の節減を可決した。この節減額を如何なる用途に供すべきかは、目下朝野の間に喧しい問題である。思うに、代議士諸氏の意見は多くは地租を軽減して民力休養を図ることにあることは、殆ど明白であるけれども、或いは治水工事に用いるべしといい、或いは輸出税全廃を補うべしといい、或いは国債償還に、或いは監獄費支弁にと、異説紛々たるありさまであるようである。これらの所説中、その実行を急ぐ必要があるものがあるけれども、私は断然これを兵商費に使用することの至当であることを信ずるものである。地租軽減は果たして民力休養の目的を果すことができるか。治水工事は必ずしも今急速に完成しないわけには行かない事業であるのか。輸出税の全廃すべきは論ないものの他に一層の急務ある場合においてもなお猶予しないわけには行かないものか。翻って思慮を外国との関係に注げば、我々が実に憤然としない訳には行かないものがある。一独立国として万国と交渉するにもかかわらず、海軍は国防必要の程度に達せず、たとえ今日まで平和の破裂する場面に遇わなかったとしても、そのために、国家の権利を曲げ、利益を損じたことがどれほどあろうか。商船は数少なく、航海業は開けず、東洋の商権は皆遠く外人の手の内に占められているのではないか。今や日本の国内政治は秩序的に進歩しつつある。必ずしもこれに向って主に配慮することを必要としない。然るに、外国に対する関係はこれと絶対の反対に、微々寥々(リョウリョウ、さみしい様子)不振の境界に彷徨する姿を見るだけである。我が国民は封建鎖国の遺伝によるものか、一般に対外の観念に乏しく、身は経世の任に当たる人にしても、甚だこれに冷淡な憾がある。このような状態のまま、悠々経過すれば名声煥発して開国の実を挙げることは、これを何れの日に求むことができようか。
故にこの650余万円を以て、兵商併進の策に着手し、歩一歩、対外上に勢力を博する方法を探ることは今日にあって最もその当を得たものと信ずる。いま製造補助金の制度を立てるも巡航船たるべき新式汽船数隻を新たに製造するのは国内の汽船会社の堪えることのできない所と看做し、政府から製造の上、これを貸し渡すこととして、仮にその金額を折半して、半分を半兵半商の組織設立に用い、半分を純粋の軍艦新製に使用することとすれば、巡航船たるべき新式汽船は4、5千トンのものであって、その価格は60、70万円にすぎないので、折半額325万円のうち、300余万円を2〜3年間これに支出すれば、10隻ないし14〜5隻を製造することを得るだろう。その余額を以てこれを予備海員養成に充てれば、商船学校の拡張と海兵団の増設を計るのに余裕があるだろう。また軍艦に付いては、艦隊の本幹となり攻守の主働者たるべき1万トン以上の主戦艦5〜6隻を備えれば、我が国の海防は必要の程度に達するであろう。そして一艘の価格を6〜7百万円の間と定め、今後3年間は折半額を支出するとしても、その後は全額を支出すべきために、7年半の後には6艘の主戦艦は雄然国防の退任に当たることができよう。このようにして、我が海軍の基礎が定まり、また東洋の商権を掌中に握ることができ、酷寒と国益とを相併せて伸張し、始めて日東帝国の面目を発揚することができるのである。

[註] 原文は、国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」にて閲覧できる。編者は、予備役海軍少佐伴正利(水路部OB)であるが、明記されていない著者は寺島成信である。


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明治24年4月11日
有地海軍中将
海防意見書

 つつしんで思うに、陸海の軍備は内外の平和を保全するために歳を積んで[多年度計画で]完成を期さないわけには行かないとは、かたじけなくも天皇陛下のお言葉の通りである。我が海軍大臣閣下も既に海軍の拡張を計画せられ、先に議会においてこの6〜7年間に12万トンの軍艦を保有したいと明言なさったので、着々その方針に従って進むべきであることは疑いを入れない所である。然るに、財政上の可能・不可能はこれについて直接の関係を有するものなので、専ら軍機[軍事政策の中心]に参加する当局者の拡張策もおのずから財政問題のために牽制され、往々その目的を果すことができない。その立案を空しく書類箱の底に埋蔵させるのは実に残念である。そもそも海軍の強弱は大いに国権の消長に関係するものであるから、その主義を決定し、その標準を確立し、その程度に達するまで断固として長足の進歩を遂げないわけには行かない。いまや国勢を観察するに、海軍を振起して海防を整頓することは立国上猶予することのできない時である。またここに輿論[ヨロン]の傾向を聞くに、海軍の拡張を論ずるも、財政の点からその完成を数十年の後に期し、甚だしき場合には海軍の拡張は費用の莫大であることを空想し、その利害の帰するところも研究せず、徒に傍観する者がいる。そうであるならば、海軍当局者の外に、この6〜7年間に我が国の東洋における海上の威力を壮大ならしめる方策を説く者がないことは明らかである。こうした事情を踏まえ、本官[海軍参謀部長]は今日の形勢において我が海軍が、まず守勢上、即ち国防上必要とする勢力を得ることを熱望し、我が国の位置と形勢とを考え、その国防艦隊を編制すべき軍略上の要点と、作戦上の計画とを案じ、この6〜7年間に新造すべき艦種の選択、およびその費用の支出に関する意見をつぎに略述して、天皇陛下のお言葉と大臣閣下の意向に応えようと考える。
 そもそも守勢上、即ち国防上について海軍の主義、程度を確定するには、敵の我に対する攻勢方略[戦略・戦術]を専ら講究しないわけには行かない。いま我が海軍の勢力が敵より極めて薄弱であるとするならば、彼はすなわち我が沿岸または島嶼における無防備の港湾を占領して、その根拠地を定め、然る後、大いに我を攻撃すべき方略を採るであろう。もし我が海軍が彼に比べて充分な勢力を有するとすれば、彼は直接我が地に攻撃の勢力を集中することができず、まず我が海軍を撃破して、我を恐れ従わせる方略をとるであろう。その際、敵の海軍が我が海軍を撃破する目的[目標]が二つある。即ち、軍港および艦隊である。因って我が軍港はたとえ艦隊の応援を得られなくとも、常に敵が容易に攻撃できない防禦を備えなければないないのは勿論であるが、我が艦隊は作戦上、敵の艦隊よりも強大でなければ我に勝算がないものである。故に、我においても、国防の本体なる強大な艦隊を備えないわけには行かない。そしてこの艦隊に要すべき艦種と艦数については、我が国の位置と政治戦略上の関係を有する諸外国の海軍の勢力とに依ってこれを定める必要がある。そしてそもそも我が地に迫り我が艦隊を撃破しようとすれば、必ず彼は我に勝る勢力がないわけには行かないのであるけれども、あの欧州強国の国防に充てるいわゆる戦闘艦[戦艦]と称するものなどは、到底我が近海に軍需の供給点[根拠地]がない以上は、決して派遣することができないであろう。故に、今日我が国防上に強大な艦隊を有して、彼が我に加えようとする勢力を減殺することに務めないわけには行かない。因って速やかに意を決し、一万トンないし一万二千トンの戦闘艦6隻、即ち敵の巡洋艦18隻に匹敵すべきものを備え、軍事戦略上、わが要点[戦略拠点]にこれを浮かべることを緊急のこととする。更にこれを詳説すれば、現在スエズ運河の深さは28フィートであって、実際喫水25フィートまでの軍艦でなければ通航し難いが故に、欧州から我が勢力に超過する戦闘艦[軍艦]を派遣しようとすれば、必ずや喜望峰の遠路を回航する外ない。そしてこのような迂遠の航路を採ることは決してできることではない。今や英仏露伊西の5ヶ国の著名な戦闘艦の炭量を平均するに、一艦に付き877トン余りである。戦時中全速力で一昼夜の消費量を計算すれば、およそ302.4トン余りである。そうであるならば、その全量はわずかに2日半余りを継続できる計算ではあるが、もしこれを経済速力で消費すれば、およそ一昼夜172.8トンで、5日間を継続することができる。先年仏国の大演習において一等艦の積炭量は5日間を継続したという。この頃、我が海軍顧問イングス氏[英国海軍軍人]の言に依っても、戦闘艦の積炭量はその実、辛うじて3日間を支えることができるということである。故に、右全経[?意味不明、「前掲」カ]二種の速力を平均すれば、4日毎にその積入れをしないわけには行かない。この事情に由って、1万トンの軍艦1隻において1日石炭およそ2百トンを消費するであろう。仮に4隻を派遣するものとすれば、およそ1週間5千6百トンを必要とする。東洋諸国の上海、香港における石炭の多量は日本が輸出したものであり、いまこれを外国炭と比較すると9倍ないし7倍である。故にその輸出を絶てばこの需要炭量はほとんど供給の途がないであろうし、ましてや我が近海においては尚更である。このような事情であるが故に、我を攻撃する敵国は平時如何なる盛大な海軍の勢力を有するも、到底戦時緊急の場合に及んで強大な戦闘艦を派遣してその勢力を逞しくすることができない。由って彼はやむをえず巡洋艦で編制した艦隊を遠く派遣するにいたるであろう。然るに、強大な艦隊の編制法は戦闘艦を本体として、これに巡洋艦を付属させて交戦させるものであるので、我が海軍は新たに戦闘艦6隻を造り、これに加えるに既成既画の軍艦を以ってして艦隊を編制すれば、我が沿海軍を要撃、若しくは封鎖し得ること実に容易であろう。そうであるならば、その戦闘艦6隻で計6万トンないし7万2千トンを増加すれば、実に我が国防の実を挙げるものであって、すなわち、海軍の勢力を強大ならしめ、その結果、東洋の海上権を掌握することができることになると考える。
 しかしながら、ここに最も苦慮すべきことは製造費の点である。いま1隻を6百万円ないし7百万円と見積もれば、6隻で3千6百万円ないし4千2百万円を必要とする。然るに今日の我が国力はこのような巨大な金額を支出することができるか否を考えるに、我が国は欧州各国のように国債を募集することを必要としない。また妄りに他の財源を求めることも必要としない。既に本年議会において議決の上、節減した政費[政府支出]650余万円は実に適当な財源であろうことを信じる。思うに、議会がこの節減を議決した所以は、民力休養の目的を達しようとするのに外ならないことは、あの地租条例改正案が衆議院を通過したことによっても知ることができるのであって、その目的は誠に美しいものではあるけれども、しかしながら、地租[土地に掛かる税金]を軽減して民力を休養することができるのはどの程度であろうか。目前の小さな利益を見て、国家の大計を顧みないものと言わないわけには行かない。我が国の現況を一顧すれば、条約の改正はいまだ成立せず、通商の権利もいまだ発達しない。どうしてこのような状況で東洋一の帝国の名声を高めることかできようか。よって25年度より向こう5カ年間、すなわち29年度まで地租の軽減をゆるさず、これに代えて海軍の拡張を実行することになれば、6隻の戦闘艦を海上に雄飛させて、国家の防備とすることにすべきである。そしてその戦闘艦の寿命は少なくとも20年と予定し、その製造に5年を費やすとすれば、その間、外敵に対する抑止力となる。我が国4千万の人民は既に立憲政治の下にある。また地勢を観察すれば実に1万5千2百里の海岸があって、良港、要湾はなはだ多く、かつ石炭の産出に富み、おのずから世界の一大商業区である。いまや既にニカラグワあるいはパナマ運河の開通に着手した。その竣工を見るに及んでは、我が日本は交通上、現時のような絶東国ではなくて、東洋貿易の中心を占め、その幹線ルートに当り、大いに貿易の発達すべきことは実に明白である。そうであるならば、その影響の及ぶところは遠大であって、そのため、東洋の局面は一変し、外国の交渉は益々頻繁を来すことになるであろう。そしてその時は、我が国の最も多く望みを属[ショク]する時であって、また最も多く患いを生ずべき時である。その時にいたって始めて海軍を拡張する必要を感じるようなこととなれば、臍を噛むも及ぶことのないことになる。そもそも戦時に備える者は、今日において予め計画する所がなくて良いのであろうか。論語に「天の未だ陰雨せざるに及び牖戸[ユウコ、窓と戸]を綢繆[チュウビョウ、囲みふさぐ]す」という言葉がある。
 以上陳述したところの計画を実行するにいたれば、条約改正の完成を見ることは勿論、平時は貿易の安全を保護して、東洋の商権を握ることができ、戦時は強敵を海上に迎撃封鎖するなどの運動をすることは自在であることが可能となる。このようにして始めて、日東一帝国の真面目を発揚し、併せて民力休養の実利を享有させることになるであろう。願わくば、この計画を称賛して、直にこれを実行することを。なお詳細の造船計画等はその主務者に調査させていただきたい。

    明治24年4月11日



(伊藤博文編『秘書類纂 兵政関係資料』、1935年刊より現代語訳)
奥山真司さんのブログ「地政学を英国で学ぶ」のつぎのエントリーへの実質的なトラックバック。





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2009年03月08日

1923年4〜5月に海軍経理学校で寺島成信(日本郵船参事)が行った「海運政策」についての講義を、全文翻刻し、勤務先の紀要に掲載した。ネット経由で閲覧できる。

大阪工業大学図書館の「紀要情報」ページにアクセクし、「人文社会編53巻2号(2009.2.28発行)」をクリックするとその号の目次に入る。「《学術調査報告》寺島成信「海運政策」講義----柴崎力栄」というリンクをクリックすると、PDFファイル49ページ分の内容が表示される。回線速度が遅い場合、時間が掛かるので注意してください。


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2007年12月25日

『政治経済史学』494(2007年10月)、495(同年11月)、496(同12月)が届いた。495号に、熊谷光久さんの論考が載っている。明治23年から24年における海軍の広報活動を考える上で、前提となる状況の考察である。広報政策上、海軍編修書記という職をこの時期どのように運用していたかも確認する必要がある。寺島成信以外にどのようなひとが採用されていたのか。

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2007年09月02日

『海軍振興論』(1890年11月)、『兵商論』(1891年7月)の著者が、寺島成信であることを発見。肝付兼行を含む何人かの海軍軍人の共同執筆かも知れないと漠然と思っていた。慶應義塾を卒業して海軍に文官として入って数年の若者が著者だったとは驚きだった。

寺島成信は1869年生まれだから、1863年生まれの徳富猪一郎より6歳若い。『将来之日本』『日本国防論』の論旨の一番大切な部分を、論理の力でねじ伏せられたのだから、蘇峰にとっていやな記憶となっただろう。



[2008.03.04追記]
古林亀次郎編『実業家人名辞典』(1911年、東京実業通信社)「テの部」3頁に、寺島成信についてつぎのように記されている。なお、同書には復刻として、立体社(1990年)、および、『日本人物情報大系 32 企業家編2』(2000年、皓星社)がある。
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君は羽前旧庄内藩士、明治二年七月を以て同藩鶴岡に生る、嚴君を成則氏と称し、君は其三男、幼にして頴悟、学を好んで文を能くす、郷閭の異数とする所たり、夙に東京に出て慶応義塾に学び、明治二十二年其業を卒ゆるや、程なく海軍参謀部編纂課に入り、列国海軍の材料を蒐集し、又戦史地誌を編するの任に当り、勤労少からず、居ること五年にして、大に海に関する知識を得、明治二十六年時局に鑑み日本経済会が賞を懸けて天下に日本海運論を募集するや、君直に之に応じて優賞を得、其該博なる識見と流麗なる文とは大に世の喝采を博せり、当時三菱及び郵船会社の重役等は深く其英材に屬望し、三十年遂に郵船会社に拉し来り、日露戦争には大阪支店の助役として功あり、三十九年本店に帰りて監督課助役として其職に盡しつゝあるの傍ら慶應義塾大學理財科の海運業に関する講義を担任す、四十三年春日本戦後の経営と題して大阪朝日新聞一萬号の記念懸賞に当選したるは、君の対外国商工策なりき、別海軍振興論、海事総覧等の著あり、海に関する智識の博大にして深遠なる当代無比と称せらる。(東京市牛込区南榎町六四)
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『近代日本海事史年表』(1991年、東洋経済)には、寺島についてつぎの記述がある。
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<<1923年>> 2.16 日本郵船参事寺島成信、論文「帝国海運政策論」により、東京帝国大学よりわが国最初の経済学博士の称号を受ける. 12.28 『帝国海運政策論』巖松堂書店 出版.
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2007年08月30日

28日(火)、府立中央図書館で『海事雑報』199号(明治38年4月10日)に掲載された肝付兼行の表題の論説をコピーしてきた。

日露戦争の講和にいたる前に、すでに、国際貿易港として機能する港湾を日本各地に整備することを戦後経営の要として主張している。第一次西園寺内閣の内務大臣原敬による港湾政策の体系化(港湾調査会)は、この海権論にもとづく海軍の主張に呼応したものである。両者の接近が海権論と港湾政策の照応関係としてきれいに見える論説であった。

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2007年07月22日

日露戦争中の1904年12月から1905年1月にかけて、仮装巡洋艦「香港丸」と「日本丸」は、シンガポール・ジャワ島付近に派遣され、別に巡洋艦からなる分遣艦隊(現実には存在せず)とともに派遣されたように偽装行動をとった。二艦でシンガポールに寄港し、欧米マスコミの取材を受けたことと、バルチック艦隊が泊地とする可能性のある個所の実地調査をした。この時、井上敏夫大佐は、香港丸艦長であり、また先任艦長であったので、二艦の指揮をとった。

アジア歴史資料センターを「香港丸」で検索すると「極秘 明治37、8年海戦史」の記事がヒットする)

仮装巡洋艦の遠隔海域への投入という作戦の経験をもったことは、退役前後に、義勇艦隊建設を遊説して回るときに、説得力をもったであろう。

またこの作戦には、佐藤鐵太郎中佐が同行している。曰く、「又上村第二艦隊司令長官ハ、伊集院軍令部長ヨリノ注意ニ基キ、後来ノ作戦ニ資スルカ為メ、参謀海軍中佐佐藤鐵太郎ヲ香港丸ニ便乗セシメタリ」(294頁、第1編「露国増遣艦隊に対する作戦準備」第5章「香港丸日本丸の南洋巡視」より)。

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2007年07月04日

国立国会図書館近代デジタルライブラリーを見ていたら、井上敏夫海軍中将に「日本海員掖済会理事」として著作があることに気づいた。『海国民之事業』という題名で、奥付が付いていない。内容から判断して、明治43年頃の出版と判断できる。マハンの海上権力論を下敷きにして、海軍の後備としての海員、民間船の世界の意義を説明している。

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2007年06月17日

海軍拡張ノ議(←アジア歴史資料センター画像閲覧、公文別録・海軍省・明治21年〜大正6年・第1巻・明治21年〜明治30年、A03023081400)。閲覧にはアジア歴史資料センタートップページからプラグインを入手しインストールしてください。
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  海軍拡張ノ議
右閣議ニ提出ス。
夫レ国ニ兵備アルハ以テ国土ヲ保全シ以テ国民ヲ防護スル所ナリ。若シ兵備ニシテ全カラサルトキハ国土安全ナルヲ得ス。而シテ国民ノ利益亦将ニ護ルヲ得サラントス。故ニ兵弱シテ国富マス、国貧シテ兵強カラス。内治固ヨリ忽ニスヘカラスト雖、兵備亦一日モ怠ルヘカラサルナリ。况ヤ欧洲諸強国ノ日ニ東洋ニ侵入シ印度ニ安南ニ既ニ之ヲ併呑シ、我カ対岸ノ朝鮮モ或ハ終ニ全キコトヲ得サルノ恐アル今日ニ於テヲヤ。
我陸海ノ軍備ハ維新以来欧州各国ノ兵制ニ就キ其ノ長ヲ取リ短ヲ補ヒ着々拡張ノ歩ヲ進メ、陸軍ハ其計画稍緒ニ就キタリト雖、海軍ニ至リテハ未以テ外侮ヲ禦キ我帝国ヲ防護スルニ充分ナラサル者アリ。盖兵ノ強弱ハ将帥ノ謀略士卒ノ精鋭如何ニ由ルト雖、今日専ラ器械ヲ戦ハスノ世ニ在テハ主トシテ兵備ノ標準ハ自国ノ地勢ト他国ノ兵力トヲ考ヘ、以テ之ヲ定メサルヘカラス。抑我国ノ地勢ハ四面海ヲ環ラシ沿海線殆ント八千海里ノ長ニ達ス。防備ノ道亦決シテ容易ナラス。顧テ我帝国海軍ノ形勢ヲ見ルニ、一旦事アルノ日ニ当リ、近クハ清国ニ対シ、遠クハ欧洲各国ノ東洋ニ派遣シ得ヘキ軍艦ニ対シ、果テ能ク之ニ匹敵シ得ヘキ勢力ヲ有スルヤ。今特ニ支那海軍ノ力ヲ以テ我カ海軍ノ力ニ対比スルトキハ、兵艦ノ数ニ於テ彼ノ我ニ優ルコト凡ソ三分ノ一ナリトス。此ノ薄弱ノ力ヲ以テ、而シテ四面環海ノ国ヲ守ル、果テ能ク我カ国土ヲ保全シ国民ノ利益ヲ防護スルヲ得ヘキヤ。
然ルニ海軍大臣請議ノ計画ニ基キ軍艦ヲ増製シ、沿海ノ警備ヲ完フセンニハ、今ヨリ七年ノ間、年々千有余万円ノ巨額ヲ支出セサルヘカラス。今我民力裕ナラス、国費多端ノ時ニ於て如此巨額ノ軍需ヲ支出スルハ容易ノ事ニ非ス。依テ其費用支出ノ財源ニ付キ宜ク先ツ大蔵大臣ヨリ計画ヲ定メ閣議ニ提出セラレ然ルヘシト信ス。
   閣議決定ノ上ハ大蔵省ヘ通牒ノ事
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(内閣罫紙、墨書)

上記の文章に続いて、海軍罫紙に墨書で「海軍事業計画ノ議」が綴じられている。そのなかに、つぎのような文言がある。『日本国防論』的な議論への反論である。
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或ハ説ヲ作シテ云ハン、我海軍ハ防御ヲ主トシ小艦ヲ造ルヘシ、敵国ニ航進スルヲ目的トスル大艦ハ造ルニ及ハス。然ルトキハ費用省ケント。是甚タ目的ヲ誤ル者ナリ。我国権ヲ維持スルトハ他ノ侮ヲ禦クヲ云、退テ守ルノ策アレハ進テ攻ルノ実無ル可ラズ。軍艦海上ノ勢力ハ攻守ノ別ナキモノナリ。敵国ニ進攻スルヲ得ヘキ艦ナキトキハ到底彼我匹敵スルモノアラサルナリ。
軍艦ハ平時ト雖モ負担スヘキ任務アリ。即チ商船、外国居留民ノ保護、密猟取締ノ如キ是ナリ。然ルニ今日之を充分ニ行フ能ハサルハ軍艦ノ足ラサルニ依ル。夫レ海軍ヲ張ルノ要ハ唯戦時ノ用ニ供スルノミニアラス、外侮ヲ受ケス、戦争ヲ未萌ニ防クニアリ。宜ク速カニ前記ノ軍艦ヲ増製スヘシ。
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これは、同年11月に刊行された伴正利編『海軍振興論』と同じ反論の仕方である。なお、国会図書館の目録に伴正利が「著者」となっているが、奥付を見ると「編輯兼発行人」である。著者名は伏してある。
翌年7月の伴正利編『兵商論』がまったく別の立論で『日本国防論』を克服することになる。

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2007年05月20日

(1) 狭義の海軍、戦時における戦闘組織としての海軍に対するもの。平間洋一さんの論文だと、「A・T・マハンが日本海軍に与えた影響」(政治経済史学320号、1993年2月)がこれに対応する。

(2) 広義の海軍、平時戦時を通じた通商・漁業・移民をバックアップする組織としての海軍に対するもの。平間洋一さんの論文だと、「『陸奥海王国』の建設と海軍」(政治経済史学370号、1997年4・5・6月合併号)がこれに対応する。

後者の論文には、「なぜ、 海軍が大湊に商港を開港することを認めただけでなく、 積極的に支援さえしたのであろうか。 /それは、 マハン(Alfred Thyer Mahan)大佐の『海上権力史論』の影響にあったように思われる。 マハン大佐は海洋活動を行う商船隊や漁船隊、 それを擁護する海軍、 その活動を支える港や造船所などを「シーパワー(海上権力)」と規定し、シーパワーの増大が産業を拡大し、 産業の拡大が海外市場を必要とし、 製品と市場(植民地)を結ぶため海運業が育つ。しかし、 国際法は万能ではないので、 海運・貿易・市場を保護するため海軍力が必要である。海洋を制する国家が世界の富を征し歴史を制する。 シーパワーが国家に繁栄と富をもたらすと論じた。この戦時のみならず平時における海軍力の価値の重要性を強調したマハンの著書を最初に日本に紹介したのは、ハーヴァード大学に学んだ明治の国家指導者の1人でもあった金子堅太郎であった」で始まり、つぎの文面につづく個所がある。

「明治末期から大正初期には佐藤の『帝国国防史論』などの一連の著作が、海軍を支えるシーパワーである港湾、 商船隊、 漁船隊を整備し造船所を起こし、貿易を振興させて日本に富をもたらし、 それを保護する海軍を整備すべきであるとの海権論として広く国民にも理解されるに至った。そして、 大湊興業の創設には大阪商船をへて神戸桟橋株式会社の社長となった南郷三郎(筆頭株主)、北前船の船主で大阪の経済人の大家7平、 大倉組みの大倉喜八郎など、 この理論が国家発展主義者、造船業者、 海運業者、 貿易業者、 自らの栄進を望む海軍軍人、 すなわち大海軍の建造と積極的な対外政策から利益を得ることのできる人々に歓迎され、日本を海洋国家建設に、むつ湾一帯を「東洋の海王国」建設に走らせたのであった。 /そして、 海軍は港湾の整備、 鉄道の敷設がシー・パワーを増大する1要素であると理解し、 大湊興業の創設のみならず、大湊興業の業務が開始されると、 発電機や船舶の修理などを要港部の修理工場が支援し、 ケガ人などを要港部軍人家族診療所で診断するなど協力した」。

海権論が力を失って行く条件変化として、平間さんは、同稿「おわりに」において、つぎのように指摘する。

「大湊興業が創設時に前提としていたこれら条件は、 ロシア革命による共産主義政権の出現、ウラジオストーク港の軍港化、 1929年10月24日にニューヨークのウォール街を襲った株価の大暴落による景気の低落、アメリカ、 イギリス、 フランスなど植民地を有する国の経済のブロック化などにより覆されてしまった」。

これは、広義の海軍を説く海権論が国民の支持を得る基盤を失い、狭義の海軍が表面化する前提の変化でもあろう。現在取り組んでいる明治期から先の時代、後への見通しを得た気持ちになった。



rshibasaki at 13:20コメント(0)トラックバック(0) 

2007年05月16日

昨日、15日(火)は東京へ日帰りし、国会図書館で、海軍の将校団体である水交社の機関誌、『水交社記事』1号(1890年6月)〜44号(1894年2月)を通覧してきた。

寄書「海上ノ権力ニ関スル要素」「日本ノ海軍ニ関スル欧米学士ノ意見」が金子堅太郎から寄せられているのが、37号(1893年7月)であった。

その二つの論考の前に、『水交社記事』の編者によるつぎのような紹介がある。編者とは、肝付兼行と澤鑑之丞の二人である。
「此両篇ハ金子堅太郎氏ヨリ我か海軍大臣西郷伯ヘ贈呈セラレ同伯ヨリ又我カ社員参考ノ資ニトテ寄セラレタルモノナルガ、一ハ即チ彼ノ米国ノ海軍大佐マハン氏ノ近著ニ係ルゼ、インフリューエンス、オフ、シー、ポワー、アポン、ヒストリー第一篇中ノ要領ヲ綱訳セルモノニシテ、一ハ即チ同氏ノ先キニ欧米巡回中ニ面会セラレシ諸家ノ日本海軍ニ関スル各意見ヲ集メシモノニ係ル。乃チ前者ノ原書ハ我々ノ既ニ有益ノ著トシテ許ス所、後者又其各意見ノ切実ナルト切実ナラサルトニ論ナク特ニ我海軍ノ為メニ吐クル所ノ説ナルヲ以テ両者共ニ我カ社員参考ノ資ニ供シテ蓋シ必ス益アルベキモノナラント信ス」


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白石崇人さんのブログ「教育史研究と邦楽作曲の生活」のうち、発言「肝付兼行について

rshibasaki at 16:33コメント(4)トラックバック(0) 
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